チャットモンチーにとって“完結”は不可避だったーー兵庫慎司が観た武道館ラストワンマン

兵庫慎司が観たチャットラストワンマン

 それから。最後のワンマンならではのピークポイント、何度もあった。

 最初のMCは3曲目「the key」と4曲目「裸足の街のスター」の間だったが、橋本絵莉子、「みなさんこんばんは、チャットモンチーです」と言ったあと、しばし黙ってから「最後までがんばります、応援してください」と、やたら素朴なひとことを発する。

 7曲目「惚たる蛍」の前のMCでは、福岡晃子が「ここまでやってみて、味わったことのない気持ちやな」と言うと、橋本絵莉子も「うん、不思議。味わったことない。説明し難い」と同意。福岡晃子、「ごめん、言葉が続かなくて。なんか、みんなに見守られてるなって感じがします。来てくれてありがとう」とお礼を言う。

(写真=古溪一道)

 アンコールで、2曲やって恒岡章が去り、ふたりになったところでは、福岡晃子が「まあ座りなよ」と橋本絵莉子を促し、ふたりでステージ前方に座る。しかし橋本絵莉子、黙ったままで、福岡晃子「もうしゃべらん気なんやろ?」。客席から笑いが漏れるが、橋本絵莉子は「なんて?」と素で返し、また笑いが広がる。

 それまでも客席から飛ぶ声援に「もう泣いてまうわ、そんなん言われたら」と答えていた福岡晃子だが、ここで「今やさしい言葉かけられたら、えっちゃんヤバい」とひとこと。が、客席からどんどん飛ぶ声援を受けて、橋本絵莉子よりも先に福岡晃子が泣き崩れてしまう。「ありがとう……あたしがヤバかったわ」。

 「こんなにしゃべれんくなるとは思わんかったな」「うん」などと言い合いつつ、「本当にみなさん13年間応援してくれてありがとうございました」と橋本絵莉子も泣く。チャットモンチーのお客さんはやさしくておもしろい、お客さんはバンドを写す鏡やってよく言うけどほんとにそう思う、というような言葉のあと、「どういう精神状態になるかわからなくて、歌えなくなるかもしれないから、歌詞を出します。みんなで歌ってほしいと思う曲です」と、福岡晃子がグランドピアノを弾いて「サラバ青春」へ。途中で声を詰まらせてしまった橋本絵莉子を助けるようにお客さんたちが声を限りに歌い、橋本絵莉子がそれに聴き入る――というエンディングでは、ふたりも、歌っている人も、歌っていない人も、きっとスタッフ等も含めての落涙率、すごかった。なんだ「落涙率」って。ねえよそんな言葉。でも、こんなに大勢の人がこんなにいっぺんに泣いている光景、人生でなかなか味わうことはないなあと思った。

(写真=古溪一道)
(写真=古溪一道)
(写真=上山陽介)
(写真=上山陽介)
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(写真=古溪一道)
(写真=古溪一道)
(写真=上山陽介)
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 以上、ざっとですが、概要でした。で、以下は、これをこの場で体験して私がどう思ったか、どう感じたかについてです。

 こんなラスト・ライブ、初めてだった。まだ『こなそんフェス』があるので、正しくはラストワンマンライブと呼ぶべきだが。とにかく、高2で初めて解散ライブをというものを観て以降(私の場合1986年2月22日、奥田民生がユニコーンの前にやっていた広島のバンド、READYの解散ライブが人生で初めて生で観た解散ライブになります)、33年間でけっこうな数の解散ライブや活動休止ライブを観てきたつもりだったが、こんな気持ちになったことは、一度もなかった。

(写真=上山陽介)

 昨年(2017年)のライブから始動した、チャットモンチーの最新形であり結果的に最終形となった「チャットモンチー・メカ」で1曲目から6曲目まで。高橋久美子脱退後、福岡晃子がドラムにコンバートしたり橋本絵莉子もギター以外の楽器に挑んだりして「増員なし、ふたりだけ」で再始動した『変身』期のフォーメーションで7曲目と8曲目。

 9曲目から11曲目までは、「チャットモンチー・アンサンブル」という、今日ここで初めて挑んだ新しい形。12曲目からアンコールの「シャングリラ」「風吹けば恋」は、恒岡章がドラムということで「男陣」(恒岡章、下村亮介参加)、「乙女団」(世武裕子、北野愛子参加)期のフォーマットであるとも言えるし、3ピース時代のチャットモンチーのそれであるとも言える。つまり、過去のすべての時期と、現在と、これまでやってなかった未来までを提示してみせた、ということだ。

(写真=古溪一道)

 という「20曲ですべて見せて聴かせる」構成も、選曲も、演出も、もちろんライブ・パフォーマンスそのものも含めて、これ以上はないだろう、というステージだった。掛け値なしにすばらしかった。ただ、そのすばらしさが、目標とする地点があったから成し得たものであることが、誰の目にも耳にも明らかだったところが、これまでのチャットモンチーとは異なるところだった。

 やってみないとどうなるかわからないけど、やらないとワクワクしないから挑む。リスクを避けたり安定を目指したりして「置きに行く」ようなことをするなら、音楽やってる意味がない――というのが、特に高橋久美子脱退後のチャットモンチーの行動原理だった。ふたりになって最初のシングル「満月に吠えろ」(2012年2月リリース)の〈大丈夫はもう誰も言わない だから行くんだろ 行くんだろ〉というフレーズが僕はもう「墓に持って行きたい日本のロック名リリック」レベルで大好きなんだけど、まさにそういう姿勢だ。

 で、今、その姿勢で「ワクワクできること」を思いつかなくなった、そこで「置きに行く」ことができないから活動の「完結」を選んだ――本人たちはインタビュー等ではそんな言い方してないが、そういうことだと思う。

(写真=古溪一道)

 でもその状態で、ファンになんの挨拶もしないでいなくなることは、できないし、したくない。そこで、たぶん初めて、目標を設定して向かったのが、『誕生』というミニ・アルバムであり、この日本武道館だった。言うまでもなく、その目標が「完結」だ。つまり「完結」なしでは、『誕生』も、日本武道館もあり得なかった、ということだ。

 バンドにはいろんな続き方があるし、いろんな終わり方がある。次にワクワクすることがなくなろうが、やりたいことが浮かばなくなろうが、詞や曲が書けなくなろうが、とにかく続けるんだよ、生活かかってんだからこっちは、どんな状態であれ転がり続けるのがバンドなんだよ、という人もいる。

 ただ、どちらが正しいとか間違っているとかではなく、チャットモンチーはそういうバンドではなかった、ということだ。まず「これやりたい!」「どうなるかわからないけど進みたい!」という、向こう見ずでリスクを恐れない音楽への情熱ありきで、それをエンジンに進んできたバンドだ。で、そうじゃないと生まれ得ない音楽をクリエイトしてきたし、我々はその音楽を愛して来たわけだ。

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