BRAHMANがライブで伝える“歌の真意” 小野島大が『梵匿 -bonnoku-』ツアーから感じたこと

 ライブが終わったあとの興奮で放心状態でその場に座り込み、隣にいたリアルサウンドのT君とライブの感想をとりとめなく話す。「こないだの武道館より良かった気がする」「あ、そうですか。僕はやっぱり武道館の特別感が良かったですねえ」とか、そんな他愛のない内容だが、話すうち、「このタイミングで申し訳ないですけど、今日のライブレポ書きませんか」と来た。ライブ評を書く時は予めそのつもりで臨むのが普通で、ライブが終わったタイミングで受けることなどないのだが、今回なぜかやる気になってしまったのは、この日感じたことを文章に残しておきたいという思いが強かったからだった。終了後に決定したので当日のライブ写真もなし、まとまったレポにも評にもなっていない単なる感想文だがお付き合いください。(6月14日Zepp Tokyo公演)

 日本のアーティストにとって特別な場所である歴史と伝統の会場で、多数参加したゲスト、大がかりなセットと照明、手の込んだ演出でアルバム『梵唄 -bonbai-』の世界を表現してみせた武道館公演が、いわばBRAHMANの「ハレ」であったとすれば、ゲストなし、セットなし、ショーアップを狙った凝った演出もなし、ごく当たり前のライブハウス(というには少しサイズが大きいが)で、全国37カ所39公演にも及んだツアー『Tour 2018 梵匿 -bonnoku-』のいち公演として行われたこの日のZepp Tokyoライブは、「ケ」だったと言えるだろう。そしてそれゆえにこそ、BRAHMANの「日常」が、等身大の姿が浮き彫りになっていたからこそ、彼らが伝えようとするメッセージが鮮明になっていた。というより彼らのメッセージは日常のなにげない営みから生まれてくるものであり、お祭りのあとの日常にこそ人生の真実があるのだと彼らは訴えているように思えた。心で繋がること。自立すること。地に足の着いた生活者であること。不満があるなら他人に頼らず手前自身でやってみること。国家ではなく国土を、人々を、文化を愛すること。そうしたメッセージが強い説得力をもって迫ってきたのだ。

 まだツアースケジュールが2カ所ほど残っているので詳しいネタバレは避けるが、今回のツアーの演奏曲は全カ所ほぼ同一のメニューで行われた(1曲入れ替わりがあるぐらい)らしい。つまり彼らがこのツアーでやろうとしたことは最初から最後まで明確であり、揺るぎがなかった。「日常としてのツアー」を淡々と、だが誠実にこなすことで楽曲に込められたメッセージをより鮮明に浮かび上がらせる。ライブを、終わってしまえば忘れてしまう非日常にするのではなく、日常に接続し、それを強化すること。2月の武道館公演よりもはるかに成熟度を増し、無駄を削ぎ落とし、厳しく突き詰められて、より肉体と密着していた演奏は、いかに観客に楽曲の、歌の真意を伝えるか、極限まで効率化されていた。そしてライブ前に流された映像、ライブ途中で流された映像を含め、バンドの見せ方、楽曲のプレゼンの仕方が抜群にうまい。それは単なるビジネス上のテクニックや小手先の演出技術なんかでは断じてなく、この歌をなんとしても観客に伝えてやる、というアーティストの強い思いにほかならない。

 「鼎の問」で流された映像は、MVでも使われたものだが、福島原発で働く10数人の人たちのコメントを写真と共に見せていく。震災直後に作業員として福島第一原発に入り、原発内部の写真や作業員の方々のポートレイトを撮り、コメントと共に写真集『Reset Beyond Fukushima』にまとめたのはフォトジャーナリストの小原一真だ。その写真が「鼎の問」のMV、そして、今回のツアーのために提供されたわけである。その重い現実の光景に身が引き締まり、音楽とシンクロする。音楽は絵空事のファンタジーを歌うだけのものではない。

 もちろんそこからは現在の行政、政治への強い批判を勝手に読み取ってしまうわけだが、それはただの机上のメッセージなどではない。BRAHMANにとって大事なのは、空疎な映像や照明や演出や口先だけの言葉でショーをその場限りに盛り上げることではなく、観客に歌を伝え、メッセージを伝え、ショーが終わったあとも考え込ませ、行動させてしまうような、そんなライブにすること。そのためにいかなる努力をも惜しまないということだ。そうした地道な努力の結果、「誰がやってもいいっていうならお前がやれ」というTOSHI-LOWの渾身の叫びが強い説得力をもって迫ってくるのである。

 この日のライブを見たライターの今井智子さんが言っていたが、TOSHI-LOWは人の心を動かす力を持っている。音楽の力、歌の力、肉体の力、言葉の力。総じて言えばそれはロックスターのカリスマ性という言葉に置き換えられるだろうが、そこらのカリスマを気取ったロックスターもどきが足元にも及ばない志の高さと、それゆえの説得力がある。

 Zepp Tokyoの二階席から見るBRAHMANは、メンバー全員、一時も休むことなくよく動いているのがよくわかった。まさに頭脳ではなくカラダを張った音楽なのだ。TOSHI-LOWはいつものごとくフロアにダイブして、観客にリフトされながら歌う。そのTOSHI-LOW目がけて観客が次々とポップコーンのように跳びはね近づいていくと、TOSHI-LOWが当たるを幸い片っ端から殴り倒していく光景は、まるで猪木の闘魂ビンタのようで笑えた。これはつまり、愛の物語なのである。

 今回のツアーでは公演ごとにMCの内容をすべて変えているという。次の公演地に向かうたび、その土地の歴史や伝統、生活について調べ、その土地に相応しい「お話」をする。演歌歌手がドサ回りで、行く先々の地名を歌い込むのと大差はないが、かかっている手間は桁違いだ。相手の気持ち、立場、生活に寄り添う。そうすることで見えてくるものも、歌の説得力も変わってくる。それをTOSHI-LOWは、BRAHMANは日々実践している。そこは彼らが昔から大きく変わったところだろう。もちろん良い方に、である。

 終演後、楽屋に挨拶にいこうかと思ったら、アイドルのチェキさながらのものすごい長蛇の列におののく。ゲスト多すぎ。ふだんならすぐ心折れて帰ってしまうところ、列に並んでしまったのは、やはりこの日受けた感動を直接彼らに伝えたかったからだ。そしてTOSHI-LOWは狭い部屋にひとりゲストを待ち受け、丁寧に応対し、気軽にスマホでの写真撮影に応じている。その誠実さと我慢強さに感心した。それもこれも彼らの音楽をひとりでも多くの人に伝え、少しでも良い現実にしたいから。多くの人々が彼らを応援するのは当然だ。

 私はもう十分なオッサンだが、高校生ぐらいの時にどっぷりBRAHMANにハマって、がっちり影響を受けたかった、と心から思った。若者よ、BRAHMANを聴け。

(文=小野島大)

BRAHMAN オフィシャルサイト

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