荏開津広『東京/ブロンクス/HIPHOP』第8回:カルチャーの“空間”からヒップホップの”現場”へ

田中康夫『たまらなく、アーベイン』

 太く弾むプレイで有名なファンク・ベーシスト、Graham Central Stationのラリー・グラハムのソロ、1981年の「Just Be My Lady」は、5分足らずの間に彼の太く低い声で<Just be my lady>と10回呼びかけ、最後には“私のレディになってくれ、私のものに”とダメ押しが4回繰り返されるバラードだ。

 今は政治家であり、時代の寵児だった作家の田中康夫は、彼の4冊目に出版された本、1984年の『たまらなく、アーベイン』で、この曲を紹介するために、日本の郊外にあるホテルに文句をつけるところから始める。「…それに比べると、パリやフィレンツェの郊外にある、その手のホテルって、いい雰囲気。モネの絵に出てきそうな川のほとりにあって(中略)ダンスの出来るフロアもあったりで…」と、それはヨーロッパのホテルの話になり、オー・ド・トワレのつけかたの指南が続き、ついに彼はフィレンツェのレザー・ブランド、ゲラルディーニのウォモ・ゲと女性用ではドンナを読者に薦める。

 Alessiからグレイス・ジョーンズまでを含む100枚の(当時ゆえ、アナログの)レコード盤についてのレビューという形式を借りたこの本のタイトル“アーベイン(urbane)”とは、上品で洗練されたマナーを意味し、あとがきで彼は「…一貫してエンプティなドラマを描いてきた」自分が「小説以外のジャンルで、その追求をした」のだと記す。100曲の“アダルト・コンテンポラリー、ブラック・コンテンポラリー”をそれぞれ聴いたらぴったりくるシチュエーションを通じて紹介するというこの本の、目黒区八雲から首都高速葛飾川口線まで主に東京のなかを移動する、ばらばらで、中心のない、延々と続く色恋の“アーベイン”なエピソードは、遥かに洒落本を貫く。

 執筆の前の数年間に渡って7,000枚のレコードをコレクションにしたという田中康夫によると、過去のジャズやロックと異なり、「アダルト・コンテンポラリーやブラック・コンテンポラリーは、誰もが否定し得ないまでに成長した豊かな物質社会という、私たちが暮らしている目の前の現実を、あるがままに受け入れている(あとがき)」音楽だという。彼はこのことを厳しく意識し音楽を峻別する。当時より過去の音楽だけでなく、それゆえビリー・ジョエルをこの本の世界を作る空間から名指しで排除する。「…目の前の現実を、あるがまま…」。

 指摘しておきたいのは、まず、大袈裟なようだが、この本のなかで反復される100余の風景のように、時代の求心的な力として、音楽は、人と場や異なったカルチャーの領域を接続することにより私的/公共的イベントを創造し更新していたということ。

 ふたつめに、そのとき、ガイドブックという『たまらなく、アーベイン』の体裁を離れても、実際にその接続と創造の核にあるのは作曲家でもなく演奏家でもなく、むしろ音楽の作り手自体よりも、(プレイされる)レコードであるということ。

 最後に、田中康夫のいう「僕たちの信じられるもの」であり「確実にその時代のプリベイルな気分」を生成するその音楽とは“アダルト・コンテンポラリー、ブラック・コンテンポラリー”のかなりの部分を占めるダンス・ミュージックでもあるということ。

 はっぴいえんどの『風街ろまん』とキャロルやクールスの衝撃から10年余、1970年代初頭にはまだ青山や白金にも残っていた戦後の雰囲気は消失し、1980年代の東京は、ポストモダン建築のメッカになっていく。その一翼を担っていたのも、ニューヨークの巨大なダンスの神殿として喧伝されたパラディアムやロキシー、それにダンステリアなどを倣って東京や大阪に出現していった一群のディスコやバーだった。

 1966年にはディスコは新宿に一軒しかなかったが、『たまらなく、アーベイン』にもひんぱんに“ディスコ・パーティ”やそれに替わる“ナイト・クラビング”という新しい単語が登場する。そんなひとつ、Shalamarについてのテキストの最後の部分においてはこうある。

「…また、スクラッチ物を集めたStreet Soundsのアルバム、Electro、同じくスクラッチ物のグループ、フリーズのGonna Get You、ご存知、ハービー・ハンコックのRockitが入ってる83年のアルバム、Future Shockも揃えておくと、なるほど、スクラッチ全盛の時代もあったのかと、そのうち、懐かしむことが出来ますーー」

 次に日本のヒップホップのための現場の原型としてのディスコ/クラブを振り返る。

■荏開津広
執筆/DJ/京都精華大学、立教大学非常勤講師。ポンピドゥー・センター発の映像祭オールピスト京都プログラム・ディレクター。90年代初頭より東京の黎明期のクラブ、P.PICASSO、ZOO、MIX、YELLOW、INKSTICKなどでレジデントDJを、以後主にストリート・カルチャーの領域において国内外で活動。共訳書に『サウンド・アート』(フィルムアート社、2010年)。

『東京/ブロンクス/HIPHOP』連載

第1回:ロックの終わりとラップの始まり
第2回:Bボーイとポスト・パンクの接点
第3回:YMOとアフリカ・バンバータの共振
第4回:NYと東京、ストリートカルチャーの共通点
第5回:“踊り場”がダンス・ミュージックに与えた影響
第6回:はっぴいえんど、闘争から辿るヒップホップ史
第7回:M・マクラーレンを魅了した、“スペクタクル社会”という概念

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