鬼束ちひろは“終わらない旅をしている” ツアー完走で実感した唯一無二の表現
7月18日、Zepp DiverCity。中野サンプラザホール公演から6日後に、その場所で特別追加公演を観た。ピアノを弾く坂本昌之とふたりだけによる追加公演は、14日の(彼女の生まれ故郷である)宮崎公演と18日の東京公演の2回のみ。Zepp DiverCity公演はツアー全日程のファイナルでもあった。
因みに坂本昌之は、徳永英明、平原綾香、柴田淳らの作品で編曲やプロデュース、ピアノ演奏を行なってきた人で、鬼束ちひろ作品の編曲やプロデュースを担当するようになったのは2008年のシングル「蛍」から。以来、鬼束にとってなくてはならない存在となり、5年半前のアコースティックツアーもふたりで行なっている。東芝EMI時代からのファンならば、鬼束に必要不可欠な存在と言うとまず羽毛田丈史が思い浮んだはずだが、坂本昌之は「蛍」から数えてもう9年。不安定なときも彼女を支え、そうしていまがあるのだから、鬼束が全幅の信頼を寄せるのもよくわかるというものだ。
この日も開演前はクラシックのピアノ曲が延々流れ、場内は恐ろしく静かだった。そして予定時間を15分くらい過ぎたところで客電が落ち、ふたりがステージに登場して演奏がスタート。先に書いておくと、アコースティックセットだからといって曲の差し替えがあるわけではなく、セットリストはバンドセットの公演とまったく一緒だった。
観客たちはやはり固唾を呑んで観ていたし、いつもと同じように張り詰めた空気が流れてはいたが、中野サンプラザホールのときに比べたら鬼束は落ち着いてそこにいるように見えた。リラックスしているとまでは言わないが、バンドをバックに歌うよりも、やはりピアノとふたりという形が彼女の原点でもあるからして、安心もできるのだろう。ただ、オープナーの「good bye my love」はやはりこの日もピッチが不安定で、声の伸びもいまひとつだった。メロディに高低差のある曲だから難易度が高いのかとも考えたが、続く「碧の方舟」や「Sweet Hi-Five」も少し頼りなさを感じた。だが4曲目「BORDERLINE」の後半は、中野サンプラザ公演のその曲同様、入り込み方が凄くて迫力があった。ピアノと歌だけで驚くほどの濃密さ。むしろ言葉がより直截に耳に入ってくる。
それでも前半は中野公演と同じように、最高のコンディションにあるとは思えない状態が続いた。ときどき声が裏返ったり、高い部分が苦しそうだったり。しかし、変化は突然訪れた。それは8曲目「眩暈」のときだ。ここで彼女の集中力が急に増したように感じられた。歌に揺れがなくなり、声の音量もあがって、一気に力強くなった。いきなりスイッチが入ったというような感じだ。
このとき彼女はステージ上手の前のほうに立ち、そこから近い距離にいる特定の観客に向けて歌っているようだった。そしてアウトロが演奏されているとき、彼女は視線の先にいる観客に向かって「大丈夫?」と言った。ステージ中央に戻ると「周りを見て歌えなくて、ごめんなさい」と続け、もう一度上手の前方にいる誰かに向かって「大丈夫?」と声をかけた。後方に座ってステージを観ていた自分には何が起きているのかわからず、「え?」という感じだったが、そのあと何事もなかったかのように次の曲「夏の罪」が始まった。
帰宅後に観客のツイートを見て知ったのだが、どうやらそのとき、最前列にいた観客のひとりが体調不良か何かで倒れたのだそうだ(その後、係員に抱きかかえられて退出したとのこと)。鬼束はその人の様子がおかしいことにいち早く気づいて声をかけたというわけだが、しかしそのちょっとしたハプニングによって鬼束自身の雑念が払われたのか、そこから歌唱のあり方が大きく変化した。前半とは見違えるようによくなったのだ。
「夏の罪」の歌唱表現は、それはもう見事なものだった。このツアーの山場となるそのあとの『DOROTHY』からの3曲「帰り路をなくして」「ラストメロディー」「X」も圧倒的に素晴らしく、これぞ鬼束ちひろと言える力強さや深遠さや包容力があった。まさしく完全復活。自分がこれまでに観た鬼束のライブでもっとも深い感動を得たのは2002年の“伝説の”武道館で、その数日後に取材で会った際、彼女は「ステージに竜がいるみたいだったって友達から言われた」と笑いながら話していたことを前にも書いたが、そこから15年が経ち、再びその竜がステージに現れたという、そんな印象を持った。繰り返すがその安定感と力強さのある歌唱表現は前半の彼女と別人のようで、先の中野サンプラザホール公演のそれとも比較にならないレベルにあった。
12日の中野公演は「X」でピークを迎えたあと、それに続く『シンドローム』からの4曲と「月光」で再びピッチに危うさが戻ってしまっていた。が、この日はそんなこともなく、8曲目の「眩暈」で切り替わったあとは最後まで安定したばかりか、曲をおうごとに凄みと深みが増していくようだった。彼女はただ集中して歌っていただけでなく、曲ごとに自在に緩急をつけ、完全に場を掌握していた。復活どころか、これこそが2017年現在の鬼束ちひろの底力であり、紆余曲折あったがとにかくデビューから17年歌い続けてきたことのひとつの到達点のようにさえ思えたものだった。と同時に、“まだまだこのように深化し続けるのだろう、この人は”という確信もはっきりと得たのだった。
ピアノの音だけで歌われる「月光」は、まさしく17年を経てそこにある「月光」の形であり、“時間が加速させた痛み”と同時に、それがある意味においてはもう昇華されたことも感じさせた。それもあってか、最後の曲「火の鳥」を歌う前に、彼女はファンに対して感謝の言葉を述べた。中野サンプラザホール公演の最後に「ツアー、どうもありがとうございました」という一言が発せられただけでも我々は驚いたわけだが、ここでの言葉は一言ではなく、次のように丁寧なものだった。
「ここには、デビューして17年、私が苦しいときも、精神的にまいってしまったときも、支えてくださった方がたくさんいるんじゃないでしょうか」「ありがとうございます」「じゃあ、みんなに捧げます。“火の鳥”」。
とてもしっかりした口調で彼女はそう言い、そして「火の鳥」を歌い始めた。すると、その曲に込めた思い(歌詞)と先に述べた感謝の言葉がひとつに重なった。〈金色の夜を越えて 貴方の瞬間(とき)になり ただ輝いてゆく〉〈こんな想いは 他へは何処にも やれないから〉。その歌詞がストンと胸に落ちた。
そう、昔から彼女はいつだって、そのときの正直な思いを言葉に(歌詞に)託していた。直截的な書き方をせず、独特の文脈や言葉の飛躍があったりもするため、きちんと評価されるどころか目立った1フレーズがヘンな誤解を招くこともあったわけだが(例えば「月光」の〈I AM GOD’S CHILD〉)、感情の動きを物語のようにして表現する才は日本においては稀有なもの。そしてその歌詞表現のレベルが一段階上がったのが、アルバムで言うなら2009年の『DOROTHY』であり、抽象性が少し薄らいでより伝わりやすいものとなったのが2016年の『シンドローム』であったと自分は捉えている。この2作品には現在の彼女の心境が投影された曲も多く、だからこのツアーで『シンドローム』の全曲に加え、『DOROTHY』からも5曲が歌われたのだろう。実を言うとリリースされた当時よりも昨年11月の中野サンプラザホール公演を観て以降、『DOROTHY』というアルバムに対する自分内評価が高まった。先に「X」について述べた通り、当時は時代錯誤的なアレンジやボーカル処理の仕方に抵抗を覚えたものだったが、昨年の公演と今回のツアーの2公演を観てから、改めて楽曲そのものと歌詞の奥深さに感じ入るようになったのだ(わけても「帰り路をなくして」、そして「ラストメロディー」!)。当たり前だが、演奏(アレンジ)と歌唱が素晴らしければ素晴らしいほど、言葉の意味性と説得力も増していくもの。即ち彼女は昨年の公演と今回のツアーで改めて楽曲に命を吹き込み直し、そしてその言葉(歌詞)を輝かせることにも成功したわけだ。それが意図的ではなかったにせよ。
そんなわけで、「火の鳥」の歌詞が胸にきた。“貴方に響け”と観客に手を伸ばして歌いながら笑顔になった彼女のその目からは、歌詞の通り“涙が溢れ”ていた。優しいその笑顔を、彼女は恥ずかしそうに手で覆った。そんな鬼束ちひろを見るのは初めてのことだった。“貴方に届け”。“貴方に響け”。彼女のその思いは100%以上叶った。そこにいる全員に届いて、響いた。“涙が溢れる”という素直な歌に泣いたのは彼女だけじゃなく、観客の多くが“もらって”いた。もちろん自分もだ。
歌い終えて鬼束は、涙声で「どうもありがとうございました」と言い、そのあともう一度「ありがとうございました」と繰り返した。観客一同、スタンディングオベーション。鬼束は素晴らしいピアノ伴奏を聴かせた坂本昌之と抱き合い、そのあと次のように告白したのだった。
「私はこの10数年間、ツアーを怖くて逃げてきました。でもみんなのおかげで、いま私はここに立てています。本当にありがとうございます」
そして、その“みんな”のうちのひとりでもある坂本昌之を見て、いつものように「礼!」と一言。お辞儀をして坂本はステージを去ったが、残った鬼束はさらにこう続けた。
「あとひとり、紹介させてください。ちえちゃん……」(呼ばれた女性がステージへ)。
「私、このツアーで、正直ボロボロで……。彼女は私のメンテナンスマネージャーです。24時間、私が壊れないように、ずっと見ていてくれました。私がここにいるのは彼女のおかげでもあります。彼女にも拍手を」「ありがとうございました。彼女はデビューのときから私のファンでいてくれました。それは最近わかりましたが(笑)」
そう言ったあと、その女性と抱き合い、そして笑顔で客席にタオルを投げ込む鬼束。観客の拍手はひときわ大きくなり、いつまでもやまなかった。いつまでも。
最後の告白の通り、やはり計10公演のツアーは彼女にとって厳しいものであり、精神的にも肉体的にも相当きつかったのであろう。だが、やりきった。完走できた。しかも最終公演となったこの夜は述べた通りに途中から最高と言える声の状態になり、彼女は自分でもハッキリと手応えを得たはずだ。その安堵感と達成感と集まってくれた人たちへの思いが「火の鳥」における涙の歌唱となり、そして最後の告白と感謝の弁にもなったわけだ。その安堵感は、完走できたということに加えてもうひとつ、自分の居場所、存在すべき場所が、ここ(ステージ)だとわかったことによるものでもあっただろう。そして観客たちの涙もまた、それを感じ、思いを重ねたことによるものであった。
いままでいろんなライブを観てきたが、これほどまでにドラマチックで感動的だったライブはそうそうない。自分はこの日を一生忘れないだろうし、きっと観た人たちの間であとあと語り継がれることにもなるに違いない。
NEXTは恐らく、すぐには来ないだろう。でも、いつか……必ず……また……。そう信じて、僕たちは歩いていくことができる。「火の鳥」の歌詞じゃないが、このツアーを観て自分たちも気づくことができた。鬼束ちひろは“終わらない旅をしてるのだ”と。
(文=内本順一/写真=堀田芳香(7月12日中野サンプラザ公演/記事2ページ)、橋本塁(SOUND SHOOTER)(7月18日Zepp DiverCity公演/記事3ページ) )