女王蜂は“異端”にして“ポップ”であるーー担当プロデューサー×柴那典が語るデビューから『Q』まで

女王蜂はなぜ“異端”にして“ポップ”なのか?

「初期の女王蜂は、箱庭的なイメージがあった」(柴)

柴:2013年には一時休止した時期もありましたね。

薮下:例えるなら成長痛みたいなものですよね。いきなりメジャーデビューして、そこで加速してさらに生き急ぐ精神に体の各所筋肉がついていけなくなってしまった。実際、ギギちゃん(G)の利き腕の原因不明の強い痛みという肉体的なことに起因する脱退もあってバンドのバランスも崩れてしまって、やしちゃん(B)も神戸に帰ることになって実質脱退、結果一年間活動を停止せざるを得なくなりました。映画『モテキ』の大ヒットによる反響もあって、状況も一番よくなってる時にいきなりフッと止まってしまった。でも今となっては逆によかったのかなとも思いますけどね。あのままやってたら本当に死んでたんじゃないかなと思うところも、正直ありましたから。この期間を経たことで、作品に向き合う姿勢がより強くなりましたし、逆境の中で一度自分を見つめ直して、ライブだけではなく、楽曲作りも含めてやっぱり私は女王蜂をやるしかないとアヴちゃん本人の中で女王蜂再生を決意させる、まるで生贄のような、禊のような重大な出来事だったんじゃないかなと思います。

柴:休止中にアヴちゃんは獄門島一家のボーカルとしても活動を始めて。KenKenさん、中村達也さん、長岡亮介さんという、シーンのキーパーソンとも言えるような人と一緒にやることで、変化もあったと思うんですが。

薮下:その通りですね。獄門島一家のセッションを通して、バンドをやる楽しさみたいなものを追体験したんじゃないかと思うんですよ。それを経て、獄門島一家はやっぱりすごい楽しいけど自分にとってのホームはやはり女王蜂だなと思い至った。それで彼女がやしちゃんに会いに神戸に行って邂逅して、女王蜂のリバースに繋がるんですよね。

柴:僕としては、初期の女王蜂は、箱庭的というか、アヴちゃんのこだわりと美意識と世界観の中で全部を完結させていたようなイメージがあります。

薮下:まさに箱庭です。曼荼羅みたいなもの。

柴:そうそう。そこにはもちろん美しさと衝撃性はあるんですが、刹那的であるがゆえにどこまで行くかわからないし、当然行き着くところまで行っちゃうだろう状態だった。それが、一度休止して、アヴちゃんが獄門島一家をスタートさせたことでうまいこと空気が抜けた。プラス、ディスコ感というか、ディープでダークなだけではない軽い感じが入ってきたのは、その獄門島一家のエッセンスがうまく作用しているのかなと。

薮下:箱庭ということだと、河合隼雄の箱庭療法というのがあるんですけど、ある種の精神疾患の方って箱庭の中に曼荼羅を描くことによって自己治癒して、外の世界に出て行ける。つまり医者が治すのではなく、自ら治るんだそうです。そういう意味でいうと、女王蜂も箱庭の中で自己治癒していくプロセスとして、獄門島一家をはじめ徐々に外の世界に触れることで大きく自己治癒して、ポップなことやってもいいんだなと思い至ったような気がしますね。

柴:おそらく曲のモチーフというのは初期から今に至るまで、そこまで変わってないと思うんです。でも、サウンドメイキングは結構違っていて、『孔雀』『蛇姫様』はかなり音圧高めですが、『奇麗』以降はそこまでギチギチしてないですよね。

薮下:そうですね。サウンドの凄味、迫力だけで相手を殺さなくていいということに気づいたんだと思います(笑)。鋭さだけではなく、音楽の、楽曲の素晴らしさでも敵は倒せるし、ポップでもいいということに気づいた。女王蜂も本来そういう側面もあったのに、あえて出さずに突っ張ってきたけれど、活動休止と獄門島一家を経て、メッセージや思いはあれど、その伝え方が全てハードでアグレシッブである必要はないと気付いたんだと思います。

柴:「ヴィーナス」を聞いた時に、こんなに軽やかなんだと驚いた記憶があります。

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薮下:「ヴィーナス」は『怪奇恋愛作戦』(テレビ東京系ドラマ)の主題歌ということもあり、ダンスチューンを作ろうという話になりました。その時はアヴちゃんも、MJとかプリンスとかデヴィット・ボウイとか、いろんなことを吸収していた時期でもありましたね。奇しくもみんなお星様になってしまいましたが……。また、『怪奇恋愛作戦』のエンディングテーマが電気グルーヴの「Fallin' Down」だったんですよ。そこで電気グルーヴとの繋がりが生まれて、石野卓球さんに「ヴィーナス」のリミックスを頼むんですよね。卓球さんとの接点が生まれたことにより、クラブとかイベントでも会って交流するようになった。何をやっても、ちゃんとポップでダンスミュージックとして機能するというのは、彼の影響もあるように思います。

柴:卓球さんとの接点が生まれたことによってアーティストの新しい才能が開花したことって、過去にも例があるんですよ。その代表が七尾旅人。初期の七尾旅人は伊藤銀次のプロデュースだったんですが、どうも相性が悪くて、所属していたレーベルの消滅もあって、行き詰まっていた。でも、その頃に卓球さんと仲良くなった。石野卓球 Feat.七尾旅人「ラストシーン」のようなコラボもリリースされてました。そのあたりから、今につながるような自由奔放で刺激的な七尾旅人本来の才能が表に出てきた。「はみ出しちゃっていいんだ」っていう自信を旅人さんに与えたのは、卓球さんだと思う。

薮下:それに近いのかもしれないですね。Seihoに「デスコ」のリミックスを頼んだり、アナログの7インチを切ったり、そこでクラブ的な感覚も生まれ、これまで以上にダンスとかソウル、ファンクという音楽にアヴちゃん自身も興味を持った。その経緯が、『ヴィーナス』から『奇麗』に至る流れじゃないかな。その頃から、レコーディングにサポートメンバーや外部スタッフも関わるようになりましたし、卓球さんとの出会いによってLIQUIDROOMのクラブ系のイベントや海外アーティストのライブにも遊びに行くようになるんです。そこでアヴちゃんが出会ったのが、同世代のLicaxxx、また今回MVを制作してもらったdutch_tokyo(yahyel)だったみたいです。それまでは割と孤高の存在と思われがちだった女王蜂が、いわゆるクラブシーン的なフロアーにもこれまで以上に足を踏み入れ始めたみたいな。

柴:なるほど。やっぱり、いわゆる“石野卓球再生工場”みたいなものってあると思います(笑)。卓球さん本人は多分「そんなんじゃないよ」って言うと思いますけど。

薮下:「そういうのやめてもらっていい?営業妨害だ!」みたいな(笑)。でも、卓球さんをはじめとするこの時期の色々な方との出会いからアヴちゃんの様々な可能性が大きく進捗していったのは間違いないと思います。

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