長澤知之が語る、“アーティスト”としての理想の姿 「数ではなく、記憶の質にこだわっている」

長澤知之が語る、“アーティスト”としての理想

「“やっぱりこいつはいいアーティストだった”と思ってもらえれば何より」

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――自分がすごくいいなって思うのは、さっきもホワイト・アルバムについて「ちょっとふざけたことをしてる」と言ってましたけど、そういうビートルズのユーモアの部分が、長澤くんの作品の中に、作品を追うごとにすごく自然に洗練されたかたちで入ってきているところで。今回の『Archives #1』でいうなら、「R.I.P.」とかまさにそういう曲ですよね。

長澤:そうですね。やっぱり、ユーモアって余裕がないとうまく出てこないですからね。初期の頃の俺の作品では、ユーモアというか、怒りを込めたブラックジョークみたいな感じの曲が多かったから。デビューシングル(2006年の『僕らの輝き』)のカップリングに入ってる「三年間」(『Archives #1』にも収録)とか、もうユーモアというより完全に攻撃でしたからね(笑)。そういう精神状態を、少し一歩引いて見ることができるようになったっていうのは、成長といえば成長なのかもしれないです。

――いや、本当にそう思います。というか、日本のポップ・ミュージックに何が一番足りないって、自分はユーモアなんじゃないかって思っていて。「ユーモアがまったくない」か「ユーモアだけ」かみたいに両極端で(笑)。長澤くんがビートルズとともに生きてきて、そこで学んできたことの重要なことの一つとして、音楽的でバランス感覚のとれたユーモアみたいなところもあるんだろうなって。

長澤:ビートルズが入り口になって、モンティ・パイソンとかにも昔からどっぷりつかってきましたからね。確かに、同世代のバンドの作品とかを聴いてると、自分も同じようなことを思うことはありますね。

――ただ、<ビッチよ帰れ 家を出ず眠れ>と歌う「R.I.P.」とかって、上っ面だけとったらミソジニー(女性嫌悪)ともとられかねない危うい曲で(笑)。

長澤:あの曲は女性賛美の曲なんですよ(笑)。実際、何かで炎上をしたりとか、そういうことはないんですけど、もし何かを言われても「これはこういうことです」とちゃんと言えるものしか作ってきてない。

――それはよくわかります。でも、今って、言葉の一部を取り出してあげつらうような風潮ってどんどん高まっているじゃないですか。それは歌詞に限らず、自分が書いたものであったり、話したことであったり。ポリティカル・コレクト的なものがはびこりすぎていて。そういうことに対して、息苦しさのようなものを感じることはないですか?

長澤:言葉を自由に使いづらくなっているというのは、感じますね。これはポリティカル・コレクトとはまたちょっと違うことですけど、2011年の震災の後は、みんながそういうことにナーバスになっていて。もちろん、あの時期にナーバスになること自体は理解できるんですけど、実はそれ以前からあった「そういうことは言っちゃいけません」みたいな空気が、あの震災を機に支配的になっていったようなことは、わりと肌で感じてきましたね。実際に、それによって歌詞が変わったりすることはないんですけど、やっぱり歌詞を書いている時にいろんなことが頭をよぎるんですよ。で、その「頭をよぎる」こと自体が、やっぱり表現の自由にとっては一つの弊害かなって思っていて。無意識に表現のフィルターみたいなものができてしまっていて、それを通さなきゃいけないみたいな感じで。

――今、震災の話が出てきてふと気づいたんですけど、長澤くんのこれまでのキャリアって、ちょうどあの震災の前後で前半と後半に分けることも可能ですね。

長澤:あぁ、そうですね。自分にとっても、これはいい意味で、さっきも言った「聴き手の顔が浮かぶようになった」ことの一つのきっかけがあの震災だったと思います。

――長澤くんがデビューした時期には既にCDの全盛期は終わっていたけれど、その後、またこの5、6年間で音楽を取り巻く環境も大きく変わってきた。長澤くんよりもさらに下の世代になると、「音楽で食う」ってことにリアリティを持てずに、他の仕事をやりながら音楽をやっている「プロ」というのもわりと当たり前のことになりつつある。

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長澤:俺は、自分が今いる環境、状況に満足していますし、それについてはすごく周りに感謝をしてるんです。デビューするまでは、ずっと自分の部屋で音楽を作っていて「これがいつか誰かに届く日があればいいな」って思ってきた。それが、今はこうして届くべき人に届いているわけだから。それだけで、もう報われたと思うし、本当にありがたいことだと思ってます。だから、今の自分にできることは、自分の音楽を好きでいてくれる人を裏切らないようにしていくということで。そういう人たちにとって、現在の自分が、まだ失望をさせるようなことをしていないのであれば何よりだし。ただ単に音楽を続けていくんじゃなくて、そういういい記憶を持ってもらったまま音楽を作り続けていきたいなって思ってます。自分が好きなことを貫いていったら、それができるのかなって。

――うん。それはすごくわかるし、実際にそういう活動をしてきたと思うけど、そこには新しい出会いも必要でしょ?

長澤:もちろん、そういういい記憶を持ってくれている人たちが増えたら最高ですよ。最高ですけど、結局のところ、やっぱり数ではなくて、記憶の質というところに自分はこだわっているんだと思います。俺という個人が発信して、聴き手それぞれ個人が受けとる、そういう記憶としての質。

――パーソナルな音楽ってことですね。

長澤:はい。いつか自分が歳をとって、音楽をやめることがあるかもしれない。その時に、「あいつのやってきたことには、最後まで失望させられなかったね」って思ってもらえれば、おじいちゃんおばあちゃんになった彼らが、ふとした時に自分の音楽を聴き返して「やっぱりこいつはいいアーティストだった」って思ってもらえれば、自分にとってそれは何よりで。

――そうなんだ(笑)。でも、自分が音楽をやめることなんて想像できないでしょ?

長澤:今のところは……そうですね、はい(笑)。

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