『ならば風と行け』リリースインタビュー
「役者であることをエクスキューズにしちゃいけない」中村雅俊が振り返る、42年の音楽人生
「『ふれあい』が売れた時は『役者が歌ってる』って感じだった」
ーーそれにしても40年以上も間、2時間半ものコンサートを年間20本30本とこなす。体力的にも大変でしょうし、精神的にも「今日はやりたくないなあ」とか、あるでしょう。
中村:いやいや、それはないんです。コンサートは楽しいですもん。俺はもともとから歌は好きで、大学時代は曲もいっぱい作ってたし。そんなにめちゃくちゃ巧いわけじゃないけど、歌とか音楽自体はやはりすごく好きだから。大学在学中から文学座という役者の劇団の研究生だったんですけど、デビューは本当にラッキーで、『われら青春!』ってドラマ(1974年。日本テレビ系列で放映された『青春とはなんだ』に始まる青春ドラマ・シリーズのひとつ。主役は高校の教師)に先生役として主役で抜擢されたんです。それで先生役の人は歌をうたうって決められてたんですね。俺は先生役として5代目だったんですけど、じゃあ中村も歌おうかってことになって、4月に始まったドラマで7月にレコード(デビュー曲「ふれあい」)を出したら、なんとオリコンで10週間連続で1位になったんですよね。
ーーそれもお訊きしたかったんですが、役者としての本格デビューとなった作品でいきなり主役に抜擢されヒット、出したデビュー曲も大ヒット。言ってみればほかの人が大きな目標とするようなことをデビュー時にあらかた達成しちゃったわけですよね。
中村:そうですよねえ。
ーーそのあとの目標やモチベーションをどう保ってたのか。
中村:いやあ、だから…まあ深刻には考えてなかったかもしれないけど、まあ自分は「一発屋」かなと当時は思ってました。主役で俳優デビューして、デビュー曲は100万枚以上売れて。これ以上のことなんてないですからね。そういう意味では、このまま右肩下がりでずっといくんだろうなって思ってましたね。
ーーそんなに冷静に考えてたんですか。
中村:よく取材で「将来はたぶん八百屋をやってると思います」って言ってたんですよ。八百屋の奥に「中村雅俊コーナー」があって、「ふれあい」が流れてる。お客さんが来ると「この歌知ってます? 実は私、昔は結構有名だったんですよ」みたいな(笑)。そういうことを取材で言ってたんですよ。それはきっとある意味逃げてたんですよね。でも『俺たちの旅』ってドラマ(1974年)をやってる時に、「俺はこの世界でやっていくんだ」って決心がついた。デビュー当時から学生気分でやってて、これはちゃんとやらなきゃいけないって心を入れ替えたのが『俺たちの旅』をやってる時でしたね。その時までは自分は一発屋かもしれないって思ってたから。
ーーなるほど。
中村:その後ドラマも主演をずっとやることになって、歌も最初に売れて勢いがついて、一発屋にならずコンスタントに出し続けることができた。幸運もあったと思いますけど。だから俺の2つの自慢は、コンサートの本数が1500回になるのと、連続ドラマの主演が34本あるということ。単発ドラマじゃなくてね。これはなかなかできないだろうと思いますね。それとコンサートを1500回を続けることができた喜びを、いつかしみじみ噛みしめたいなと思って。でもまだ途中なんだよね。
ーー途中ですよね。コンサートの魅力って何ですか。
中村:うーん……怖さ、楽しさ、いろんなファクターがいっぱい入ってるんですよ。あんなに楽しいものなのに、別の見方をするとあんなに怖いものもない。お客さんが離れてしまうかもしれないし、歳をとると声も出なくなる。でも中毒みたいに、歌うことは楽しい。でも一人だけで歌ってるんじゃなくて、自分が歌うことで聴く人を喜ばせなきゃいけない、という使命もあるし。そういう思いがごちゃまぜになるけれど、最終的にはコンサート終わったあとにお客さんが「良かったね」と感動して笑顔で帰っていく姿を見たい。それは…すごい大変なことなんですよ。だからこともなげにそれをやってのけるように見せる(音楽家の)皆さんは凄いなと思いますね。
ーーライブは反応がダイレクトですよね。
中村:ねえ、ほんとに! 俺はあまり舞台(演劇)のライブは本数としてはやったことがないけど、コンサートのライブ感に匹敵するものはないんじゃないかと思います。ステージから暗闇にいるお客さんに向かって歌う。そしてそこから歓声が返ってくるというあの感じはやはり独特です。
ーー一発勝負の緊張感もありますし。
中村:ええ。コンサートツアーだと20曲以上歌うんですけど、その作業って積み木みたいなものなんですね。俺の感情もそうだし、お客さんの気持ちっていう積み木をどんどん重ねていく。ちょっとしたことでその積み木を崩してしまう時もあるけど、積み上げていって、上まで行って達成したときの喜び、お客さんの感情のピークを一緒に作っていく流れがうまく行った時は、すごく嬉しいですね。
ーーこれだけ長いことやっていると、お客さんの反応はステージに立っただけでわかるんじゃないですか。
中村:わかりますよ。あんな暗闇の中にみんな蠢いているのに、今すごくいい感じで聴いてくれてるな、とか。ちょっと(観客の)気持ちが離れてるな、とかね。すごいわかるんですよ。特に俺はロック調のコンサートではないから、常にお客さんを煽っているわけではないんで。静かな歌を歌ってることでより伝わってくるのかもしれませんね。
ーーお客さんとちょっと気持ちがズレてるな、と思った時はどうされるんですか。
中村:うーん、まずはMCをちょっと頑張って。こうやって(引き気味に)座ってるお客さんを、ちょっと前のめりにさせたいなと。歌(選曲、曲順など)はだいたい事前に決めているので、当日の空間の中で最大限の自分なりの表現を頑張る、という。
ーーお客さんの反応を見てその場で対応していく、という意味では、予め収録する映画やドラマとは違う。
中村:違いますね。アドリブみたいなところがありますよね。MCも台本は用意していないですし、そういうスリリングな感じがあるから、巧くいったときは嬉しいです。いろんなことを含めて、幸せだと思いますよ、こうやってコンサートをやらさせてもらってる自分が。
ーー42年前にプロとして歌い始めて、音楽に対する考え方とか、音楽する姿勢のようなものは変わってきましたか。
中村:それはねえ、まず最初だよね。「ふれあい」ってデビュー曲が売れた時は、「役者が歌ってる」って感じだった。それはそうだよね。ずっと歌い続けてる今の姿なんて想像もできなかった。
ーーそのころ役者で歌う代表格っていうと石原裕次郎さんとか小林旭さんとか。
中村:ええ。加山雄三さんとかね。ただ、当時の世の中は、役者が(余技で)歌をうたっているという言い方だし、そういう風にみなさんにも捉えられていた。でも考えてみると、そういうエクスキューズはしちゃいけないような気がして。ライブをやればやるほど。やっぱり(ライブに来てくれる)お客さんが中村雅俊に求めてるものは、ほかのアーティストと同じように、歌でちゃんとやって欲しいってことじゃないかって思ったんです。エクスキューズしながら歌っちゃいけない。歌詞間違えると冗談で「俺、役者なんで」みたいなことは言うけど(笑)、でも役者であることをエクスキューズにしちゃいけない。だから役者が歌ってるって意識は、けっこう早い時期になくしましたね。芝居では100%役者で、コンサートでは100%歌手でやる、という。そういう意識になりました。
ーー学生時代は吉田拓郎の大ファンで、ご自分でも歌って、曲もかなり書いてらっしゃった。そこでアーティストとしての自覚みたいなものも。
中村:あ、それはありましたよ。学生時代の夢は、自分の作った曲がレコードになるってことでしたからね。そういう意味では音楽に対する思いは強かった。でもそこで、アーティストになる、歌手になるっていうのは大変なことなんだと気づき始めた。そしてそれ以上に、役者になりたい、芝居をやりたいという気持ちが強くなってきたんだよね。
ーー歌うことよりも、芝居に関心が行くようになってきた。
中村:そうですね。最近は違うかもしれないけど、あの当時歌手になりたいとか言ったら、何とぼけたことを言ってるんだお前、って話なんですよね。現実味がない話だった。