日本のポップス黄金時代を支えた“裏方”たちーー『ニッポンの編曲家』が伝える制作現場の熱気

“いい話”満載のモニュメント

 登場する編曲家、ミュージシャン、エンジニアの名前を抜き出しておこう。

編曲家:川口真、萩田光雄、大谷和夫、星勝、瀬尾一三、若草恵、船山基紀、大村雅朗、井上鑑、佐藤準、新川博、武部聡志
ミュージシャン:矢島賢(ギター)、吉川忠英(ギター)、島村英二(ドラム)、松武秀樹(マニピュレーター)、加藤高志(ストリングス)、ジェイク・H・コンセプション(サックス)、数原晋(トランペット)、広谷順子(ガイドボーカル)
エンジニア:内沼映二&清水邦彦、鈴木智雄

 それぞれのインタビューはむろん、70年代から80年代にかけての音楽制作の実際を伝える貴重な証言であり、資料価値満点なのだけれど、それ以上に"いい話"が満載なのだ。

 たとえばこんなエピソード。中島みゆきのアルバム『パラダイス・カフェ』は、全曲の4リズム(ギター、ベース、ドラム、キーボードのこと)を、日本のミュージシャンとアメリカのミュージシャンで2バージョン録音して良いほうを採用したのだそうだ。瀬尾一三いわく「すごくお金のかかる実験」。潤沢な時代だったとはいえよく予算が下りたものである。

 こんなエピソードもある。船山基紀はケレン味のある派手なアレンジがトレードマークで、筒美京平は「船山くんは僕ができないような恥ずかしいことを全部やってくれる」と評していた。だが、C-C-B「Romanticが止まらない」のあの有名なイントロを聴いた筒美は渋い顔をしたという。

『プレイバックの時に、イントロのフレーズが気に入らなかったみたいで、「やっぱりこういう曲は船山くんじゃないな」ってうしろで言ってるのが丸聞こえなの(笑)。(…)♪テテテ・テテ・レッテレ・テーレテーっていうあのフレーズが期待外れだったみたいで(笑)。(…)スタッフみんな下向いちゃって。しょうがないから僕が京平さんのところに「このイントロ変えた方がいいですか」って聞きに行ったら、「うん、変えて」と』

 ところがC-C-Bのメンバーが「僕たちこのイントロが好きなんです」といったためそのまま行くことになり、ご存知のとおりの大ヒットとなった。

『その次、京平さんに会った時、「なんでもやってみるもんだね」って言われて。もう崩れ落ちそうだった(笑)』

 もう一つだけ気に入ってるエピソードを。新川博はカルロス・トシキ&オメガトライブやラ・ムーのアレンジを手掛けていたが、アメリカ風のサウンドを求めて海外でレコーディングするようになり、やがてドラムのジョン・ロビンソンと家を訪ねるくらい親しい仲になった。

 同時に、海外で録音を繰り返すうちに意識が変わってきて、ついには「日本のためにアレンジするようにな」ったという。海外録音で日本のためにアレンジするとはどういうことか。

『ジョン・ロビンソンに「お前なんでサザンみたいに叩けないの?」って言いたくなるんですよ。オメガとかやってると「これは湘南サウンドにならないとダメなんだよ、お前わかるか? 湘南サウンド」って(笑)』

 じゃあ日本で録ればいいじゃん(笑)と思わず突っ込んでしまったが、無茶ぶりもいいところである。

 複数の人が口を揃えるエピソードというのがいくつかあって、一つは萩田光雄のドンカマ(クリック)伝説。演奏者の癖にあわせてドンカマを絶妙にコントロールして気持ちの良い流れを生み出していたという。

 あるいは大村雅朗の天才性と完璧主義者ぶり。それが高じて煮詰まりアメリカに移るのだが、日本に拠点を戻して活動を再開した数年後に亡くなった。

 ストリングス・セッションを牽引していた多忠明の優雅で温厚な人柄(多は宮内庁雅楽部出身)についても多くの人が触れている。

 ニューミュージックでも歌謡曲でもやることは同じ、違いはなかったとほとんどの編曲家が述べているのも印象的だ。だが、何より異口同辞に嘆じられるのは、現在の音楽からある種の魔法が失われてしまったことである。テクノロジーの進歩によって音楽制作はPCの個人作業でほぼ完結するようになったが、人と人との関わり合いから生じる化学変化がなくなってしまった、と。

 現状に関して悲観的なトーンが強いのは、邦楽制作の黄金期を支えてきた人たちからすれば当然の感慨だろう。評者はさほど現在の音楽状況を憂えてはいないけれど、あの時代の熱気が二度と戻ってこないことはたしかだ。本書は、日本のポップスがもっとも輝いていた時代のモニュメントである。

■栗原裕一郎
評論家。文芸、音楽、芸能、経済学あたりで文筆活動を行う。『〈盗作〉の文学史』で日本推理作家協会賞受賞。近著に『石原慎太郎を読んでみた』(豊崎由美氏との共著)。Twitter

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