栗原裕一郎の音楽本レビュー 番外編:『松尾潔のメロウな季節』著者インタビュー(後編)

「21世紀のR&Bバラードは90年代の余韻」松尾潔の考える、R&Bの変わらないスタイルと美学

なぜ歌詞ばかり語られるのか

松尾:歌詞のことを質問するにしても、その歌詞が生まれた背景などを考察してくださるならまだいいんですが、そのときにヒットしている曲の歌詞の内容がどうだみたいな話題に終始することが多いですよね。どうしてでしょうか。

――うーん、誰でも語りやすいというのがまず大きくあるとは思うんですよね。それから最初にお話したのと同じことなんですが、歴史的に見ると、戦後、大衆音楽に評論が導入された初期に歌詞偏重の方向性が決まっちゃったというのもあると思います。
 思想の科学が歌謡曲研究にまず手を付けたわけですが、最初の論考集を見ると、監修者が「流行歌は音楽であって文学ではない」と牽制しているのに、各執筆者の書いたものは実は歌詞論が多くなってしまっているんですよね。それは彼ら進歩的文化人と呼ばれた人たちが、民衆の心情と流行歌をセットで考えていたからだと思います。西田佐知子の「アカシヤの雨がやむとき」を60年安保闘争と絡めて論じた新左翼の人たちも、彼らは進歩的文化人を批判していたけど、大衆の心情と歌詞を結び付けていた点では似たり寄ったりでした。
 で、70年代後半に、吉本隆明が突然、さだまさしや中島みゆきを絶賛し始めたんですが、これもやはり歌詞論で、「中島みゆきの歌詞は現代詩に匹敵する」という調子のものでした。このへん今では忘れられていると思うんですけど、吉本は当時、影響力絶大でしたから、彼の信奉者たちも一斉に中島みゆきやニューミュージックを論じ出したんですね。そしてそれらも当然ほぼすべて歌詞論でした。2000年くらいに中島みゆき論を調べたことがあるんですが、単行本だけで20数冊出ていましたか。そんなに論じられたミュージシャン、日本には他にいないですよ(笑)。
 一方、ニューアカの流れを汲む新人類たちはアイドルを論じていましたけど、彼らはアイドルを存在あるいは現象として見ていた。いずれにしても、音楽自体は脇にうっちゃられがちなままずっと来てしまったというのが日本のポピュラー音楽批評の流れだと思います。

松尾:その少し前にも、平岡正明の『山口百恵は菩薩である』などもありましたし、自作型ではない芸能人の存在を論評するという流れがあったんでしょうね。

――平岡さんも新左翼で、藤圭子から山口百恵に至る、存在に過剰に意味を読み込む系譜ですよね。

松尾:歌詞ではなくて存在を読み込もうとしたら、当然その人の出自などを市場調査のように調べ上げるという傾向になりがちではありませんか。私生児だからこういう性格になったとか。

――そこまで行けばまだいいんですが、勝手にこしらえた虚像を元に論じるみたいなのも多くて。

松尾:たとえば宇多田ヒカルを論じるときでも、宿命論的に論じるようなことが多くて、はじめから結論ありきで進めているように見えてしまうんですよね。

――藤圭子の娘だから云々というのは多かったですねえ(笑)。菊地・大谷コンビが手ずから批評に乗り出したのには、音楽批評の状況に対する批判もあったんじゃないですか。大谷氏は批評から始めた人ですけど。西寺さんも指針になる人が見当たらないから使命感を持っているという趣旨のことを書かれていました。

松尾:菊地さんは、インストゥルメンタルの世界の人たちこそ本を書かなければいけないんだとおっしゃっていました。ジャズの演奏家には文章が上手い人が多いというようなことがよく言われるが、むしろその逆で、文章を書いているジャズメンだけが高い知名度を獲得してるだけなんだと。

 菊地さんはもちろん、山下洋輔さんや南博さん、クラシックでは小澤征爾さんや團伊玖磨さんなどは、音楽家としても書き手としても一流の評価を得ています。菊地さんの論法でいえば、書き手として一流だから、音楽ファンではない人たちからも評価を得ることができるのかもしれませんね。

――自分の活動に関して、自分で宣伝も解説もしなければいけないと。

松尾:インストゥルメンタル音楽こそ言論の必要の度合いが高いというのは、抽象画にタイトルをつける理由のようなものではないでしょうか。菊地さんは師匠の山下洋輔さんから学んだとおっしゃっていました。ずっとやりたいんだったら、文章を書かなければいけないと。それはたとえば、映画監督でも、テレビに出るような人だけが資金を集めることができるというのと同じ理屈かもしれないですね。

――聴き方を教えてもらいたいリスナーというのは多いと思うんですよね。別に程度が低いとかそういう話じゃなくて、ぼくなんかでも、どう読んでいいのか迷う小説なんかに遭遇したときは、書評や評論を参照しますし。そういうナビゲーションをするのも評論家の仕事だったんだけど、それが薄れてきてしまった感じはしますね。

松尾:音楽メーカーに骨抜きにされたせいでしょうか。

――ぼくはプロパーの音楽ライターとは言い難いのでおこがましいんですが、良くも悪くもジャーナリスティックな動きをする人が多くなった感はありますよね。一方で論の面が手薄になっているのかな。松尾さんがやられてきたことに近いと言えば近いのかもしれませんが、伴走や代弁はあるけれども、それ以上のプラスαに乏しいかなという印象は個人的にはありますね。

松尾:作り手の人に対しても、何かの刺激になるものを提供することはできるはずなんですよね。ジャンルは異なりますが、映画の世界では、批評家が作家を育てる、批評家が作家になるということが、フランスや一時期の日本でもあったわけですから。

――ただ、ぼくはよく「批評は市場に勝てない」と言うんですが、市場がきっちりあるジャンルでは批評が弱いというのはあると思います。市場が指標になる、つまり売れているか否かというかたちでジャッジを下すので、批評のニーズが生じにくい。

松尾:「だから批評から制作に移ったの?」と自分もよく言われますね。「批評から移るときにためらいとか逡巡する気持ちはなかったか」ともよく聞かれるんですが、批評の仕事から他の仕事に移行した人もたくさんいるわけですし、移行したからといって批評の仕事を辞めなければならないわけではないのに、どうして二つに一つを選べみたいなことを言われるのかよくわからない。

――昔は、作曲家で音楽評論家、作家で文芸評論家あるいはその逆という人もそれなりにいましたけど、いつからか分業が進んで、どちらかの専業というのが普通になってしまいました。

松尾:マーケットが拡大したのも原因かもしれないですね。

 ポップ・ミュージックの世界でも、ブルース・スプリングスティーンとジョン・ランドーの出会いのエピソードは、自分が制作の仕事に移行する前からいい話だと思っていました。評論家ランドーが新聞に寄せた「ロックンロールの未来を見た。その名はブルース・スプリングスティーン」という評に感動したスプリングスティーンがランドーをプロデューサーに迎えて、あの傑作アルバム『明日なき暴走(Born To Run)』が生まれたというエピソードです。

 ぼくは批評的な視点というのが創作の邪魔になることは絶対にないと思っているんですが、「批評家に何がわかるんだ」というような短絡的で古色蒼然とした発言をするミュージシャンもいまだにいて、本当にお気の毒だと思います。批評家も、ミュージシャンも。

――でも、そういう悪態を吐かれる音楽評論家も、もはや絶滅しつつあるかもしれない。とりあえず文芸評論では絶滅しました。だから今後はまず、悪口を言われるようになることを目指さなければいけないのかも(笑)。

松尾:栗原さんの発言がいちばん大人ですよね(笑)。

(取材・文=栗原裕一郎)

※記事初出時、アーティスト名の表記に誤りがございました。訂正してお詫び申し上げます。

■書籍情報
『松尾潔のメロウな日々』
発売中
価格:¥1,944(税込)

『松尾潔のメロウな季節』
発売中
価格:¥1,944(税込)

松尾 潔
1968年生まれ。福岡県出身。音楽プロデューサー/作詞家/作曲家。
早稲田大学在学中からR&B/HIP HOPに関する文章を中心に、多数メディアにて執筆を行う。その後、久保田利伸との交流をきっかけに90年代中頃から音楽制作に携わり、平井堅やCHEMISTRYらをプロデュースし成功に導いた。2008年にEXILE「Ti Amo」(作詞/作曲/プロデュース)で第50回日本レコード大賞、2011年にJUJU「この夜を止めてよ」(作詞/プロデュース)で第53回同賞優秀作品賞を受賞するなど、ヒット曲、受賞歴多数。プロデューサー、ソングライターとして提供した楽曲の累計セールス枚数は3000万枚を超す。

2014年、初めての音楽エッセイ集『松尾潔のメロウな日々』を上梓。
2015年6月には続編となる『松尾潔のメロウな季節』を発刊した。
NHK-FMの人気番組『松尾潔のメロウな夜』は放送6年目を数える。
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