市川哲史の「すべての音楽はリスナーのもの」第34回
『嵐が〈崖っぷち〉アイドルだった頃』完結編 卓越したセルフプロデュース力を読み解く
そんな〈一般人以上アイドル未満〉な嵐になぜか後ろ髪をひかれ、彼らから目が離せなくなった。当時〈創意工夫二世代住宅〉V6も頻繁に取材しており、この2組を〈代々木第一体育館担当ジャニーズ〉略して《代ジャニ》と秘かに呼んで応援していた、マニアックな私なのだ。いま思えば、単なる判官びいきだったような気がしないでもないでもないでもないでもない。
でまあ言うまでもなく、いまではその嵐が日本最強のスーパーアイドルの座に君臨し続けている。それを最近最も実感したのが、《キリン午後の紅茶》のCMだった。
本人出演はないのに、07年のヒット曲「Love so sweet」が8年後のCMで流れるのだ。しかも洋楽や日本のロックではなく、アイドルの楽曲が。一時は明日すら見失いかけていた、あの嵐の歌がである。つくづく感慨深い。
というわけで、あえて《崖っぷち三部作》を書くことで嵐の本質を論じてみたのだが、時期も同じ今春、〈あの頃〉の嵐を元側近スタッフ一同が匿名で語った非公式本『嵐、ブレイク前夜』が、出版された。おもいきりカブってるじゃんコンセプト。しかも向こうは15万部を超えるベストセラーになっちゃうのだから、笑うしかないけども。
ちなみにこの本の版元は主婦と生活社。同社発行の『週刊女性』がジャニーズ系の私生活を容赦なくスッパ抜くため、そのとばっちりで『JUNON』は現在に至るまでジャニーズ出禁の憂き目を見続けている。2001年夏、SMAPの記事の裏ページがDA PUMPの広告だったのが直接的な契機だが、要は「国家安康 君臣豊楽」――大阪冬の陣における方広寺の鐘銘みたいなもんだろう。
とはいえ『JUNON』自体は《ジュノン・スーパーボーイ・コンテスト》の強化や非ジャニーズ系アイドル、男優、スポーツ選手へとイケメン枠を拡げて新たなイケメン金脈を開拓できたのだから、素敵な怪我の功名だったに違いない。そして『JUNON』1誌に限ったことではなく、00年代中期にアイドルやミュージシャンを凌ぐイケメン俳優ブームが世間を席巻したことを考えれば、歴史的意義も兼ね備えたとばっちりなのであった。
さてそんな因縁の主婦と生活社が〈とんでも嵐本〉を出したうえに、かの『週刊女性』誌上でも度々紹介しつつ嵐絶賛記事を載せ続けている。「背に腹は代えられない」の一言で片付けると身も蓋もないが、こんな便乗話ですら嵐の圧倒的な存在感の裏返しなわけで、まさに戦意喪失というやつだ。
考えてみたら、当リアルサウンドも同時期に〈嵐本〉を発売してるのだから、目くそが鼻くそを笑ってはいけない。こうして好きに書いてる私だって耳くそだ。なので完結篇はお蔵入りさせる気でいたのだが、最近の嵐に少し想うことあってもう一度だけ書くことにする。
〈和洋折衷=歌謡曲=日本〉のコンセプト・アルバム『japonism』といい、櫻井&松潤主導による布袋寅泰とのコラボ曲“心の空”といい、20周年以降の嵐は急速にアーティスト性が増している。これまでの「徹底的にカジュアル」な嵐から「圧倒的なまでにスタイリッシュ」な嵐へと、シフトチェンジした観がある。無論、悪いことではない。アイドルとしてここまで巨大化してしまったからこその、〈必死のオトシマエ〉なのだ。
そんな「成長」にまだ慣れてないこっちはこっちで、実は面映かったりもする。しかし、セルフプロデュース力の標準装備が要求されるジャニーズ勢の中でも、嵐のセルフプロデュースは飛び抜けて的確だった。〈崖っぷちアイドル〉時代が長かった分、自分たちをとことん客観的に捉えられたのだ。そんな素敵な副産物が、嵐の可能性を最大限活かしきったといえる。
そしてこれからはトップアイドルに相応しい〈特別なアーティスト〉感が求められるし、実際そちらに舵を切った。それだけにやはり、彼らの原点にもう一度触れておきたいと思った次第なのである。