かりゆし58・前川が語る、音楽観の変化とルーツへの思い「何のために音楽をやるのか考え直した」

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「ひとりの担い手として(沖縄の音楽を)継承していけたら」

ーーなるほど。実際に歌いながら作ったとき、歌詞も同時に出てきたんですか?

前川:そのときに浮かんだものと、後から書いたものが半々ですね。「さあウージが鳴いた鳴いた」のところは最初からありました。必ずしも戦争のことに向けた歌ではないし、“悲観”でも“傷跡を忘れるな”ということでもないんですけど、ちょうどこの曲を作っていた時期に「慰霊の日」があったりもして。自分がとてもいい気持ちで音楽をやらせてもらっていること、ありがたい場所にいられることを改めて実感できたんですよね。自分の家族もいっしょだったんですけど、2歳の息子にとっても「慰霊の日」に平和記念公園にいるっていうのは良いことなんじゃないかなって思って。俺が初めて平和記念公園に行ったのは幼稚園の遠足で、最初の印象は「すごく気持ちいい場所」っていう感じだったんです。自分の子供にも「沖縄の歴史を知らないといけない」みたいなテンションではなく、「お父さん、お母さんとドライブしたな。楽しかったな」という思い出になってくれたらいなって。

ーーそういう沖縄の思い出、風景のなかでたくさんの歌が生まれてきたわけですからね。もちろん「かりゆしの風」もそのひとつだし。

前川:うん、そう思いました。他のバンドと自分たちを比べて「勝った」とか「負けた」みたいなことを気にしてると、音楽が狭く、安くなっていくと思うんです。そういうことではなくて、ひとりの担い手として(沖縄の音楽を)継承していけたらなって。それはモンパチ、HY、ORANGE RANGEも同じだと思うんですよね。先輩にはBEGINがいてくれて、その上の世代には沖縄の島唄を長く歌ってる方たちがいらっしゃるんですけど、その一角に自分たちもいるんだな、と。そのことに気付いたら、ヘンな欲や打算がスッと抜けたんですよ。あと、BEGINの25周年のライブも大きいきっかけでしたね。会場は石垣島だったんですけど、現地のエイサーとかフラ(ダンス)を踊ってる人、吹奏楽部なんかが次々とステージに登場して、BEGINとセッションするんです。それを見て、若い人からジイちゃん、バアちゃんまでが歌ったり踊ったりしていて。そのときに知名定男さん(1950年代から活動している沖縄民謡の歌手)と話をする機会もあって、「音楽は作るものでなくて、もともとあるものを蘇生させるんだよ」って教えてもらったりとか。音楽について考え直す機会が多いタイミングだったんですよね、ホントに。

ーー沖縄の音楽を継承しているという認識は、バンドを始めた頃はなかったですよね…?

前川:そうですね。「先輩はすごい」「若者は稚拙」というだけで、つながりは感じていなかったので。それよりも「県外で活動しないと生活はできない」とか「他のバンドに負けられない」ということがモチベーションにもなっていたし、同時にコンプレックスにもなっていて。フェスですごいバンドを見ると落ち込んだりもしたし、「こういう部分をマネしたら、売れるかもしれない」と思ったり…。

ーーかりゆし58って、他のバンドのマネをしている印象はまったくないですけどね。

前川:それはたぶん、不器用だからですよ。マネが上手くできなくて、それが結果的にオリジナリティに見えてたというか。「おまえらは“上手くいかなかった”と思ってるかもしれないけど、そこにオリジナリティがあるんだ」って教えてくれた先輩もいたんですよね。

ーー「かりゆしの風」にもしっかりと独創性が反映されてますよね。もちろん沖縄の雰囲気はあるんだけど、それだけじゃなくて、バンドのオリジナリティも強く感じられて。

前川:アレンジは「電照菊」「ナナ」などにも関わってくれた関淳二郎さんにお願いしたんですけど、「沖縄の風景が見えるような音にする必要はないと思うんです」って言ったんですよね。沖縄らしさみたいなものが、聴く人にとっての壁になるのがいちばん良くないなと思って。“沖縄の音楽”という言い方も好きではないんですけど、そういうイメージで捉えられるのも良くないですからね。

ーー曲を作ってる時点から“沖縄らしさ”は意識してなかった?

前川:うん、そうですね。これは僕が勝手に感じてることですけど、沖縄の景色、空気のなかでメロディを口ずさむと、自然とああいう雰囲気になると思うんですよ。車を運転して、風を受けながら歌ってると「先人たちもこんな感じで沖縄音階と言われるものを作り上げたんだろうな」って思ったり。

ーーまさに土地が生み出す音楽ですよね。この先もずっと歌って、「かりゆしの風」を育てないといけないですね。

前川:そのつもりでいます。そのことをいちばん実感したのは、「島ぜんぶでおーきな祭(第8回沖縄国際映画祭)」のフィナーレを任せてもらったときなんですよね。SPEEDのhiroちゃん(島袋寛子)やイトキンにも参加してもらったんですけど、「ハイサイおじさん」とスカアレンジでやった「花」がとにかく盛り上がって、お客さんがみんな踊ってくれて。そのときに会社のスタッフの方から「生まれ育った場所の歌がこんなにも楽しく受け入れられて、盛り上がる街は他にないよ」って言われたんですよね。そのときに「やっぱり、そういうことなんだな」と改めて思って。そうやって自分のテンションが変わると、周りの反応も違ってきたんですよね。

ーーどういうことですか?

前川:僕らはずっとアウェイを感じていたというか、どこにいても孤独感みたいなものがあったんです。ロックフェスに出たときは「そこまでガッツリとロックをやっているわけではないしな…」って感じだったし、レゲエ系のイベントに呼ばれても「ちゃんとレゲエを知ってるわけではないから」という気持ちがあって、混じり切れなかったり。でも、それはこっちのカンチガイだったんですよね。最近も湘南乃風の若旦那さんが呼んでくれたり、難波章浩さんといっしょにやったときもMCで俺らのことを話してくれたりして。こっちが自分の内側に閉じこもってなければ、活動の幅はどんどん広がるんだなって。

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