「97世代」が音楽を豊かにするーー降谷建志、TRICERATOPS、GRAPEVINEのアルバムを聴く

「狭間の世代」が担保するシーンの豊かさ

田中「まあ、やっぱり僕らは狭間の世代なんですよ。僕らがバンドを始めた時代っていうのは、バンドでやっていくとなると、もうアマチュアかメジャーデビューか、その二者択一だった。でも今はもっとやり方が多様化してる」

和田「そうだな……確かに自分たちが狭間の世代だなっていうのはすごく思ってます」

(RealSound トライセラ和田×バイン田中が語る、ロックバンドの美学(後編)「音楽にはセクシーさがすごく大事」より https://realsound.jp/2015/01/post-2186.html

 TRICERATOPSとGARPEVINEのそれぞれのフロントマン、和田唱と田中和将は自分たちのことを「狭間の世代」と称している。ここでの発言の意図は最近の若いミュージシャンと比較した場合というものではあるが、もっと短いスパンで区切った話でも97年デビューの彼らは「狭間の世代」と言える立ち位置のように思える。

 J-POPという呼称の元でCD販売が産業として一気に巨大化し始めた90年代前半と、過去最高のCD売上を記録する中でゼロ年代以降の音楽シーンの方向を決定づける数々の才能が見出された98年。Dragon Ash、TRICERATOPS、GRAPEVINEの「97世代」はこの2つの時代の狭間にメジャーデビューを果たした。

 くるり、ナンバーガール、スーパーカーという「98世代」が現在の日本のロックシーンのいわば始祖として様々な形で引き合いに出される一方で、「97世代」に対する言及は思いのほか少ない印象がある。それはもしかしたら、バンドとしての生き様によるものかもしれない。Dragon Ashは時代の空気を一身に背負いすぎた結果ロック云々というスケールでは語るのが難しい存在になったし、TRICERATOPSとGRAPEVINEはどちらかというとシーンの流行り廃りとは関係なく(バンドとしての紆余曲折はありながらも)淡々とキャリアを積んできた。また、実は最近のロックバンドとの音楽的な接点が見つけづらいという側面もあるかもしれない。Dragon AshのミクスチャーサウンドやGRAPEVINEが放つ渦のような音の世界を表層的な意味ではなく継承できているバンドはあまり見かけないし、TRICERATOPSの「踊れるロック」と現状主流になっている「四つ打ちロック」は特にリズムの強度・バラエティにおいて大きく異なるものである。

 次から次に「期待の新星」が登場する中で、当たり前のように長く続いているバンドの存在感というのはともすれば希薄になりがちだ。自分のリスナーとしての態度を振り返ってもついつい新しいバンドを追いがちになるし、その結果として「最近のロックバンドは自分には合わない」などと悪態をつきたくなる瞬間もある。ただ、ほんの少しだけ視線をずらすと、自分が年を重ねているのと同じように大人になったロックバンドが「懐メロ」には陥らないロックを鳴らしている。

 最近、とある報道番組で「日本の音楽の多様性が失われている」という切り口での解説を目にすることがあった。このメッセージには様々な観点からの反論が可能だが、僕は2015年における「97世代=狭間の世代」の充実を反証材料として提出したいと思う。20年近く前に「期待の新星」だった面々の弛みない歩みが、今の日本のポップミュージックの深みと豊かさを支えているのだ。

■レジー
1981年生まれ。一般企業に勤める傍ら、2012年7月に音楽ブログ「レジーのブログ」を開設。アーティスト/作品単体の批評にとどまらない「日本におけるポップミュージックの受容構造」を俯瞰した考察が音楽ファンのみならず音楽ライター・ミュージシャンの間で話題に。2013年春にQUICK JAPANへパスピエ『フィーバー』のディスクレビューを寄稿、以降は外部媒体での発信も行っている。

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