小野島大が"鬼才音楽家”を直撃インタビュー

CMJKが明かす、J-POPのサウンド制作最前線「アイドルの仕事こそやりたいことができる」

「みんな「歌詞が好き」とか言いますけど、まずはイントロなんですよ」

ーー既存の価値観や常識をぶっ壊してこそ「凄い曲」である。

CMJK:やっぱり(自分は)根がパンクですからね。やっぱりポスト・何とかが好きなんですよ。PILの1曲目の「パブリック・イメージ」のPVで、ジョニー・ロットン改めジョン・ライドンが、ジャケットを着て踊り出すんですよ。あのジョニー・ロットンがジャケット着て踊るってことが、そもそももうポスト・パンクじゃないですか。そこで笑うわけですよ、我々は。そういう感動をお届けしたい(笑)。えへへへ、ちょっとわかりづらいかな?

ーーその場合の「楽曲」は、メロディや詞だけではなく、アレンジも含むわけですよね。

CMJK:もちろん。どういうビートか、とか。ファッションも映像も全部入ってますよね。

ーーたとえば川谷さんが弾き語りのデモテープを作って、それにJKさんがいいアレンジを施すことで「凄い曲」になる。

CMJK:もちろんメロディや詞がいいから、いい曲になるんですよ。でもあのデモテープだと音質も良くないし、モノラル録音だったから、あのまま出しても昔のフォークソングみたいになっちゃうかも。

ーー楽曲の向かってる方向とか表現してるものをサポートして、自分なりのものを加えていく、という作業。

CMJK:うーん…今サポートとおっしゃいましたけど、メロディ以外全部やるわけじゃないですか、我々サウンド・プロデューサーーー日本ではアレンジャーと言いますが、要はレコーディングの現場を仕切る者ですねーーっていうのは。だから…メロディをよく聞かせるために、という役割もありますけど、でもね、イントロとか死ぬほど大事なんですよ。たとえばU2の「サンデイ・ブラディ・サンデイ」ってどういう曲、って聞かれたら、ダカダカッ、っていうスティーヴ・リリーホワイトが仕切るところのドラムの音が出てくるじゃないですか。ローリング・ストーンズの「スタート・ミー・アップ」だったら、ジャーララ、ていうギターのリフが出てくるでしょ。そういうことなんですよ。それを作るのが我々の仕事なんです。

U2 - Sunday Bloody Sunday

ーー単なるサポートではない。

CMJK:昔の歌謡曲も素晴らしいですよ。都倉俊一先生とか馬飼野康二先生とか。特に馬飼野先生は、最初はアレンジャーだったんですよ。のちに(西条)秀樹の「傷だらけのローラ」とか作曲もやるようになりますけど。とにかくイントロがぶっ飛んでますもん。たとえば沢田研二の「六番目のユ・ウ・ウ・ツ」は、白井良明さんがアレンジなんですけど、あのイントロだけが凄い好きで、繰り返し繰り返しイントロだけを聴いてたんです、子供の頃。あれぶっ飛んでるじゃないですか。最初に買ったレコードは「およげ!たいやきくん」なんですけど、イントロのストリングスが好きで、♪まーい(にち)♪ぐらいで戻してずっとイントロを聞いてましたね。サビとか歌詞とか…みんな「歌詞が好き」とか言いますけど、まずはイントロなんですよ、とっかかり、第一印象は。その第一印象を決めるのは僕らの仕事なんで。メイクさんとかスタイリストさんと近いものがあると思うんです。トレンドも知ってなきゃいけないし、その人の魅力を引き出さなきゃいけないし。だからサポートっていうのとちょっと違うんです。こっちからもどんどん提案していくし。その人(アーティスト)が、ここぐらいまでできるかなー、というのを、もう少し上までもっていってあげなきゃいけない。

ーーそういうアレンジャー/サウンド・プロデューサーの役割は、昔の歌謡曲の時代に比べ、今のJ-POPの時代になって、より重要になってきたと言えるんでしょうか。

CMJK:昭和歌謡の頃は凄く重要だったと思うんですよ。その後バンド・ブームとかあって、またプロフェッショナルの手に戻ってきてる、ということだと思います。今ユーザーはリアルを求めてないんで、エンタテインメントにおいて。ファンタジーが欲しいんです。そこそこキレイな姉ちゃんが日記みたいな歌詞をダラダラ歌っても、そういうのはもういいんです。いらないんです。それだったらボカロとか「レリゴー」の方がいいんです。我々もいろんな「業」を作品に出しますけど、それを<可愛い子ちゃんの歌>っていうフィルターを通すことによって、ファンタジーにしてくれてるじゃないですか。

ーーああ、CMJKのもつ闇や孤独や空虚をチームしゃちほこがファンタジーにしてくれる、と(笑)。

CMJK:(笑)そうそうそうそう。その方が、よりやりたいことができるってことに、ようやく気がついてきたんです。フィルターがあった方いいと。

ーー自分自身はフィルターになりえない。

CMJK:自分自身の闇をそのままばらまいたらテロですから!(笑)。

ーーでも闇を闇のままぶちまけてる人も一杯いますよね。

CMJK:それで売れればいいですけどねえ。絶対長続きしないんですよ、一瞬売れても(笑)。闇をぶちまけ続けて何十年、なんて人、そんなにいないじゃないですか。

ーー精神がもたないですよね。

CMJK:そうなんです。イアン・カーティスみたいにね。「ビジネス闇」の人はすぐバレますし(笑)。やっぱり今、みんな疲れてると思うんです。作品の意図してるところの裏を読もうとか、そういうの絶対やらないですよ、みんな。パッとわかりやすい方に飛びつく。

ーーそういう風潮はご自分としてはどうなんですか。あまり歓迎できないのか、それとも当然のこととして受け止めているんですか。

CMJK:うーん…単純に、エロスとタナトスが繰り返し来るものだと思ってます。いずれ揺り戻しが来るのかもしれないし。本格アーティストの時代みたいなものが。でも3~5年は今のままなんじゃないですかね。

ーーたとえばこないだのミトさんのインタビューで、バンドものはもう現代のポップ・ミュージックとして、決定的にスピード感が足りないと言ってましたよね。たぶん意思決定の速度や制作・宣伝などの対応の速度、コミュニケーションの問題としてそういう現状認識があると思うんです。だからそういう意味でひとりで何もかもできるボカロの方がはるかにスピード感があると。そういう傾向もまた揺り戻しが来る、とお考えですか。

CMJK:いやあ…どうなんだろう。今のバンドものを見てると、悪くないなあと思うんですけど、なにもかも。でも…今ヴォーカルとかソングライターが凄いってバンドはいくつかあると思うんですけど、僕が気になるのはベースとドラムなんですね。ものすごく一生懸命練習したんだろうなあ、っていう感じのプレイを丁寧にやってるんですよ。そこそこみんな上手いんだけど、でも完全に置きにいってる。まったく面白くない。

ーークリック聞きながら、外れないように叩いてるだけ。

CMJK:それもそうですし、ゆとり・さとり世代と言われてる人たちは、突出した個性を良しとしない世代だと思うんですよ。こういう服を着てカラオケでこういう歌を歌っていれば、そこそこ周りとうまくやれるよ、みたいなことが大事だった世代。そういうマニュアル化された感性が演奏にも反映されてて、途方もない個性のある若手のミュージシャンってあまりいない気がするんです。ヴォーカルが凄いんだったらベースもドラムもぶっ飛んでてもいいと思うんですけど、そういうバンドっていないんですよ。わりと丁寧に折り目正しくやってる。洋楽だと結構いるんですよ。すげえこのドラム、みたいな。

ーー破天荒さがない、逸脱しない。

CMJK:そうですね、うん。あ、’N夙川BOYZは面白いです。上手い下手はおいといて(笑)。発想がぶっ飛んでて面白ければ、多少荒くて未完成な方が好きですけどね。バンドであれボーカロイドであれ。なんじゃこりゃ、みたいな。今や、みんな一生懸命練習したんだろうな、っていう小ぎれいにまとまってるのばかりだから。

N'夙川BOYS/ジーザスフレンド inclメイキングver.

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