宇野維正の映画『セッション』論評
話題騒然のジャズ映画(?)『セッション』、絶対支持宣言!
先述した教師の発言を思いっきり要約するなら「天才は圧倒的な努力の積み重ねによって生まれる」ということだ。本作の主人公はそれを信じて、文字通り手から血が流れるような猛練習に励むわけだが、それはそのまま高校生の頃にプロのジャズドラマーを目指していたデイミアン・チャゼルの姿でもあった。本作で描かれている、魅力的なガールフレンドに対する主人公の驚くほど身勝手な振る舞いも、カタギの家庭の中で音楽というヤクザな道でプロを目指すことからくる孤立感や虚勢も、おそらくはデイミアン・チャゼルの実体験をかなり反映したものであるに違いない。ちなみに、デイミアンの父親は計算幾何学における世界的権威として知られるコンピューター科学者バーナード・チャゼル、現プリンストン大学教授。きっと同じ道に進んでどれだけ努力したとしても父親や家族を見返すことができないと若くして悟ったデイミアンは、『セッション』の主人公がそうであったように、音楽や映画というアート/エンターテインメントの世界へと逃げこんだのだろう。
そう考えると、本作『セッション』全体を覆っているある種の毒っ気、不愉快さ、怒り、憤りの本質にあるものが見えてくる。本作が描いているのは、「圧倒的な努力の積み重ね」によって天才の領域に達することができると信じていた若き日の自分の愚かさへの悔恨であり、そんな自分の努力を裏切った音楽の世界に対する愛憎だ。その愛憎の「憎」の部分に過敏に反応したのが、本作のテーマを語る上でいわば道具として利用されたかたちとなったジャズの関係者たちだったと言えるのではないだろうか。そして、きっとプロのジャズミュージシャンたちの多くは、本作の主人公≒デイミアン・チャゼルが乗り越えられなかった努力と才能をめぐる堂々巡りの最初の壁を、容易くとまでは言わないまでも運命的に乗り越えてきたからこそ、現在プロとして生活ができているのだろう(興味深いことに本作は、自分の知る限り、海外でも日本でもジャズ以外のジャンルの多くのミュージシャンからは絶賛されている)。
本作『セッション』はその壮絶なラストシーンとは別の意味で、ホラー映画(『ラストエクソシズム2 悪魔の寵愛』)の脚本で雇われライターなどをしながらこの脚本の映画化に奔走してきたデイミアン・チャゼル監督に、商業的成功と若き天才監督という名声のハッピーエンドをもたらすことになった。音楽の世界において報われなかった彼の圧倒的な努力は、映画の世界において大いに報われたのだ。「この映画の中で、僕は演奏のひとつひとつをカーチェイスや銀行強盗のような、生死を分ける闘いであるかのように撮影したかった」。そんなデイミアン・チャゼルの発言を踏まえるまでもなく、本作を「音楽映画」、ましてや「ジャズ映画」ととらえるのは矮小化に過ぎるだろう。その演出の切れ味と外連味は、アメリカ本国ではテレビ映画として放映された『激突!』で突然世界中の映画ファンから注目を浴びた、同じ20代の頃のスティーブン・スピルバーグを思い出させると言ったら少し褒めすぎだろうか。
■宇野維正
音楽・映画ジャーナリスト。音楽誌、映画誌、サッカー誌などの編集を経て独立。現在、「MUSICA」「クイック・ジャパン」「装苑」「GLOW」「BRUTUS」「ワールドサッカーダイジェスト」「ナタリー」など、各種メディアで執筆中。Twitter
■映画概要
『セッション』
監督・脚本:デイミアン・チャゼル
出演:マイルズ・テラー『ダイバージェント』 J・K・シモンズ『JUNO/ジュノ』
配給:ギャガ 提供:カルチュア・パブリッシャーズ、ギャガ
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2015年4月17日(金)TOHOシネマズ 新宿(オープニング作品) 他 全国順次ロードショー