二人の大重鎮が明かす、ディープな日本ロック史
外道・加納秀人×頭脳警察・PANTA対談「40年蓄積されたホンマモンのことが、やっと出来る」
「50mのシールドとギターだけで10万人が総立ちになってノってた」(加納)
――昔の曲だと、今とは気持ちが違うからやり辛かったりしませんか。
加納:そういう時期があればやらないの。1回書いてそのまま終わっちゃうのもあれば、何回もレコーディングしてどんどん生まれ変わって行ったりとか、発展して行ったりとか、そういうことをやるんです。
――12曲目の「俺のRock’n Roll」を聞くとわかるんですけど、レコーディングは一発録りですよね。
加納:俺のレコーディングスタイルっていうのは昔から「曲が出来たんでやってみようか」っていって、いきなりリードも録るし、歌も録るんです。ほとんどスタジオライブみたいな感じだよ。今回も、こんな感じだよっていう歌を入れておいて、それを聞きながらみんなで一緒に合わせて録って、というのがほとんどですね。みんなでせーので録って、サイドだけ録ってないからサイドだけ録ろうとか。それぐらいなもんですよ。ドラムとベースが一部屋で、ギターが別の部屋で別れてはいますけど。
PANTA:そこは数少ないアナログ録音が出来るスタジオなんですよ。
――それはいいですね。オープンリールですか?
加納:そうそうオープンリール(笑)。
――それ、レコード盤出した方がいいですよ! 外道のファンの世代の方ってレコード世代だし、若い世代もそうですけど、レコードを求めているファンも多いと思います。外道のファースト・アルバムのレコードジャケットもかっこいいじゃないですか。段ボールみたいな地に、外道って名前だけが書いてあって、中学の時にジャケ買いしましたよ。でも、そういえば頭脳警察は売ってなかったですね。
PANTA:すみませんね、発売禁止ですから。店頭に並ばせて貰えませんでした(笑)。だから、あの頃から通販を意識してやっていました。
加納:ハッハッハッ(爆笑)。
――ところで外道は、日本で初めて海外のフェスに出演したバンドですよね。
加納:さっき話に上がっていた、ワンステップフェスティバルに出て、外道が一発で全国区になったんですよ。たくさんバンドが出ていたんだけど、NHKで外道とイエローと内田裕也さんとオノヨーコとサディスティックミカバンドが放送されて。その後、サディスティックミカバンドとかクリエイションとかジェフ・ベックとかと一緒にフェスを廻るようになって、アメリカにも呼ばれた感じです。
PANTA:ハワイのサンシャインヘッド・ロックフェスティバルでやってるもんね。
加納:世界中から有名なバンドが出る有名なコンサートで、10万人いました。映画のウッドストックとかを観て「ああ、こんなのあるんだなぁ」って思っていたけれど、日本でやってもせいぜい集まって1万人とかだから、あんまりその規模感を意識してなかったの。それで、普段日本ではマーシャル三段積みを三台ぐらい使っていたのに、50mのシールドとギターしか持って行かないで、エフェクターも持って行かない(笑)。着物は持って行ったけどね。五千人ぐらいしかいないのかと思っていたからアンプも小さいやつでいいやって。それ積んでトラックの荷台に載って着いたら10万人ぐらいいて、馬に乗ってる人とかもいるし「ええーっ! 機材持ってくれば良かった!」って(笑)。あんなにすごいイベントだとは思わなかったから。ホントみんなびっくりしていた。だって日本のバンド始まって以来ですからね、すごかったですよ。2曲目で10万人総立ちになってノってましたから。