栗本斉の「温故知新 聴き倒しの旅」
今こそ聴きたい極上の日本語ポップス ビリー・バンバンの“隠れ名盤”を紐解く
前回はアカペラやドゥーワップについて書きましたが、今回もコーラス・ネタです。僕は個人的に、コーラス・グループというのが復活しそうな気がしているのです。というのも、今のJ-POPシーンを見ていると、バンドはサウンド指向だし、アイドルは人数勝負。でも、そろそろそういった音圧の高い音楽ではなく、ソフトな歌モノ、いわゆるフォーク・ソングに近いハーモニーが復権するのではないでしょうか。チャートを見渡しても、そういったアーティストはほぼ皆無ですから、フォーク・ソング的な音楽を志しているミュージシャンは逆にチャンスです。
ここでいうフォーク・ソングとは、「四畳半」のイメージの湿っぽいものでも、ボブ・ディラン直系の硬派なプロテスト・ソングでもありません。60年代末に登場した爽やかなカレッジ・フォークのイメージが近いでしょうか。カレッジ・フォークとは、ピーター・ポール&マリー(PPM)という米国のフォーク・グループにヒントを得て、美しいハーモニーを奏でるのが特徴で、フォーク・ブームの初期には「五つの赤い風船」や「はしだのりひことシューベルツ」などが人気を博しました。その流れで登場したのが、ビリー・バンバンという男性デュオ。後に「学生街の喫茶店」という大ヒットを飛ばすガロや、さらにいうと、その後のゆずやコブクロなどの男性2人組ブームにつながる先駆者といってもいいかもしれません。
さて、ビリー・バンバンは、1966年にバンドとして結成。1969年に兄・菅原孝、弟・菅原進のデュオ編成に落ち着き、シングル「白いブランコ」でデビューします。いきなり大ヒットするのですが、彼らは歌謡界の大御所作曲家である浜口庫之助に指導を受けたのだとか。1972年にはテレビドラマのタイアップ曲「さよならをするために」が80万枚を超えるビッグセールスを上げ、紅白歌合戦にも出場するほどの人気ぶり。しかし、この曲は後に「もしもピアノが弾けたなら」を作曲した坂田晃一が手がけたもの。自作自演を売りにしていたフォーク・シンガーたちとは違い、外部の作曲家を起用したことがメジャーになった勝因でした。しかし、アーティストとしての自我を持ちソングライターとしても優秀な才能を持った弟と、黙々と職人的に仕事をこなしていく兄との間で意見が食い違い、数年後に解散してしまいうことになります。それぞれ別の活動を続けた後、80年代に入って再結成。いいちこのCMソングで知られる「また君に恋してる」などのヒットを飛ばしながら、現在も元気に活動中です。