石井恵梨子が「音楽界のコトバ」を考察 第6回:電気グルーヴ
電気グルーヴの歌詞はなぜ気持ちいい? コトバが生み出すグルーヴを考察
これはPUFFYから聞いた話だが、井上陽水から届く歌詞はいつだって「目で読むと意味わかんない。でも歌ってみるとすんごく気持ちいい!」という。〈北京 ベルリン ダブリン リベリア〉の歌い出しが強烈だったデビュー曲「アジアの純真」もそうだが、単語自体に意味はない。だが無意味な単語を重ねていくと確かに快感が生まれていく。素人が歌っても決して噛まないコトバ。発声してみると想像以上に気持ちよく流れていくコトバ。それを「歌詞自体がグルーヴになる」という言葉で説明したのは岡村靖幸だ。
「たとえば『氷の世界』。あれはフォークかロックかダンスミュージックかわからないですけど、ものすごくグルーヴィな曲だと思うんです。踊れるし、詞の合わせ方もすごく上手。突出してグルーヴィーな名曲だと思いますね」(2012年、「SPA!」ロングインタビューより)
自分の想いを込めた歌詞ではなく、それ自体がグルーヴになる歌詞を。おそらく井上陽水も電気グルーヴも、そういう曲の作り方をしているのだと思う。無意味、シュール、おバカと片付けられてしまう彼らの歌詞だが、文学的に見れば、ではなくて、音楽的に見れば、それは日本語に対してすこぶる自覚的な人間のものだとわかる。ただ言いたいことを垂れ流しても鬱陶しいだけだし、本音をぶちまければ誰もが感動するとは限らない。音楽である以上、コトバを音に乗せるときにはどれだけの注意とセンスが必要か。その事実を電気グルーヴは本質的に理解している。だからこその「音読み」であり「音響」なのだ。
なんか絶賛してますけどぉ、とツッコミが入りそうだ。井上陽水には「少年時代」や「心もよう」みたいな名曲があるじゃないか。電気グルーヴにそんな泣かせる曲が、本当に情景的な歌詞があるのかと。確かに、25周年記念のミニアルバム『25』にそれはない。むしろ記念だからと積極的におバカ路線を邁進する曲もあり、やっぱこの人たち面白いわと笑うのが正解だろう。だが、前作『動物と人間』に収録された名曲「Slow Motion」は、たとえばこんな感じ。
〈夏が過ぎて焦らすように いつの間にかスローモーション
懐かしさ連れ去るように 殺伐の景色スローモーション〉
曲とのマッチングは完璧。メロディは途方もなく綺麗で、意味はよくわからないがグッとくる情景もたっぷりである。普段はそんな素振りを見せない電気グルーヴが、ふとした瞬間に見せるナイーヴな文学性。それを味わいたくて、私は彼らの歌詞カードをいつも熟読してしまうのだ。
■石井恵梨子
1977年石川県生まれ。投稿をきっかけに、97年より音楽雑誌に執筆活動を開始。パンク/ラウドロックを好む傍ら、ヒットチャート観察も趣味。現在「音楽と人」「SPA!」などに寄稿。