トレモロイド小林郁太の楽曲分析
スピッツのメロディはなぜ美しい? 現役ミュージシャンが名曲の構造を分析
『涙がキラリ☆』になると、そのスパンは更に長いです。この曲では、歌い出しの歌詞で言うと「目覚めてすぐのコウモリが / 飛び始める夕暮れに」という1フレーズの前半部分(「目覚めてすぐのコウモリが」)の符割りは、導入部のAメロも、展開部のBメロもほとんど変わりません。同じ譜割りで始まるものを音を上げながら反復し、2つのセクションを合わせた4小節×4回=16小節の大きなスパンでサビまでの流れを作っています。少し細かく見てみましょう。
Dadd9 | E7 | G6 | Dadd9 | |
目覚めてすぐの | コウモリが | 飛び始める夕 | 暮れに | / |
Dadd9 | E7 | G6 | Dadd9 | |
バレないように連 | れ出すから | カギはあけてお | いてよ | / |
F#m | Bm | Em | A | |
君の記憶の | 片隅に 居座 | わることを 今 | 決めたから | / |
F#m | Bm | Em | A | |
弱気なままの | まなざしで 夜が | 明けるまで 見つ | めているよ |
Aメロでは前半部分(「目覚めてすぐのコウモリが」)と後半部分(「飛び始める夕暮れに」)で「上がって、下がる」という動きを、草野さんにしてはやや抑制的に2回繰り返します。ちなみに、それに呼応して4つ目のコードが1つ目と同じコードで終わるところが、このセクションの静的な回帰性を高めています。Bメロでは前半部分は音を上げて同じ譜割り(「君の心の」)を始めますが、Aメロ(「コウモリ」)では半音下がった部分(「片隅に」)を1音上げます。そして後半部分で前半部分の直前の符割り(「片隅に」)をさらに1音上げて繰り返し(「居座ることを」)ます。更にBメロの2周目では、1周目ので落ち着いた最後の1小節(「今決めたから」)でも、同じ譜割りで更に音を上げてサビにつなぎます(「見つめているよ」)。
このような、音符の長さとメロディの動く幅の連動、その反復の中での変化、それを通して巧みに作る全体的な波の大きさ、これが草野さんのメロディの真骨頂です。美しいものはたいていそうですが、理論的に作ったかどうかはともかく、後から分析すると理論的な必然性を持っています。メロディアスである、ということは、ただ音程が上下すれば良い、ということではなく、その動きの形が重要であることが、草野さんのメロディからよくわかります。
「日本語を日本語として歌う」ことの意味
今見たようなメロディの特徴と密接に関わるのが、「日本語を日本語として歌う」草野さんのボーカルのスタイルです。ちなみに一方で、イントネーションや発音、語の区切り方を崩して、「日本語を英語っぽく歌う」技術の代表格としてよく名前が挙がるのは桑田佳祐さんです。洋楽の影響を当然受けているロックバンドでありながら、伝統的な歌謡曲のスタイルと同じように、日本語を日本語の発音で歌う草野マサムネさんのボーカルスタイルに関しては、「歌詞を聞き取りやすいため」「言葉の美しさを表現するため」という、歌詞論と絡めたアプローチで分析されることが多いように見受けられます。それももちろん間違いではありませんが、ここでは音楽的な面、特にリズムにおける効果を見てみましょう。
日本語は、ほとんどの音が子音と母音の組み合わせで作られていて、子音単独での発音が少ないことに特徴があります。従って英語などの欧米の言語と比べると、音楽的には重さが均等になりがちな言語です。ポップスやロックにおいて、日本語でも輸入元の英語のような豊かなリズム表現をしたければ、日本語が本来持っている音節以外にアクセントの強弱をつけて表現することになります。つまりそれが「英語っぽく歌う」ということです。言葉の音韻の問題や、音楽文化のリズム的な特徴なども含めるともう少し細かい話になりますが、ここではざっくりと「日本語はリズムが平坦」「英語はリズムが繊細」と考えてみます。つまり音楽として考えると、動機は何であれ、日本語をそのまま歌うか英語っぽく歌うか、ということの本質は、歌でリズム表現を重視するかどうか、という問題です。
では、日本語の歌は平坦で英語の歌は起伏があるかというと、そういうことでもありません。単純に「何を動かすのか」ということの違いで、日本語の歌は、リズムが平坦であるからこそメロディを動かすのです。逆に、英語圏の音楽は、リズムが豊かなのでメロディは比較的平坦です。
「どっちも豊かならすごくドラマチックじゃん」と思われるかもしれませんが、実はこれは両立しないと考えています。僕もコード進行の話などで「1音だけ動いているからきれい」とよく書いていますが、メロディにせよリズムにせよ、音の動き(ドラマ)というのは相対的な関係によって初めて意味を持ちます。つまり、音楽の快楽の重要な要素は、反復(不変)の中にある変化にある。全てが動いてしまうとゴチャゴチャとして、動いているもののドラマ性がかえってぼやけます。簡単に言うと、メリハリをどうつけるか。言語的な性質の違いから、リズムとメロディのどちらがメリでハリか、日本語圏と英語圏で異なるのです。
その点、スピッツの楽曲では、ボーカルによるリズムフックという要素は希薄です。反復と変化から生まれるドラマを、メロディが強く持っているからです。リズムという意味ではパンチが弱くなりますが、これによって、ボーカルはリズム的には常にバンドとは離れて、トラックの上に乗って大きく流れるような存在になります。草野さんの歌に柔らかさや透明感、広がりを感じるのは、本人の歌唱力もさることながら、歌がそのようなリズム構造を持っているからです。
草野マサムネさんの歌を「メロディアス」と言うときに、しかし派手さをイメージする人はあまりいないでしょう。それは今回見た、反復性の中での変化やリズムといったように、相対的に関係する要素が整理された上で、必然性を持ってメロディのドラマ性に特化しているからではないでしょうか。
■小林郁太
東京で活動するバンド、トレモロイドでictarzとしてシンセサイザーを担当。
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