flumpool山村隆太は何を乗り越えてきたか「デビュー時、バンドに実像がないと感じていた」

「音楽の力は自分たちが思ってる以上に大きなものだと感じた」

――セカンドアルバムを作っている時期も、そういうモードだった。

山村:あのアルバムのタイトルには「Fantasia」という言葉が入っていて。あれは、周りからの視線とかにただ応えるのも反抗するのも嫌だ、俺らは俺らだっていう、そういう意味があるんですよ。「Life Stripe」っていうのはまた別の意味なんですけれど。そういうことを考えると、あの頃は逆に、バンドの実像の伝わり方が間違ってるんじゃないかって思いだした頃ですね。伝わり方が多様すぎてそれに翻弄されていた時期というか。

――それはどういうことだったんでしょう?

山村:flumpoolのことをロックだと言ってる人もいれば、すごくポップで聴きやすいって言ってる人もいるし、アイドルだと言う人もいれば、いやそんなことないっていう人もいた。いろんなジャンルから、それぞれに「こういう曲を作ってください」って言われてるような感じがしたんですよね。で、「どうしたらいいの?」っていう。

――とにかくがむしゃらに走ってきて、そこでflumpoolというバンドのイメージが生まれたがゆえに、バンドのアイデンティティは一体何なんだということを考えはじめた。

山村:そうですね。自分たちに問うたというか、そういうところもありますけどね。

――どうでした? そこで改めてflumpoolはどういうバンドだと思いました?

山村:泥臭いバンドだなって思いました。ロマンチックな、希望とか愛とか綺麗なことを歌ってきてはいるけれど、それだけでは終わらないという。むしろ、自分たちが生きてる世界ってそんな綺麗ごとばかりじゃないし、悩んでることも日常のことだし。そういうところを考えるようになりましたね。

――デビュー当初に比べて、山村さん自身のセルフイメージはどう変わりました? 

山村:この頃は徐々に責任が生まれてきた感じはありますね。というのも、バンドを始めたきっかけなんて、「モテたい」とか「目立ちたい」だったんです。どうにかのし上がってやろうという気持ち、馬鹿にしてきたやつらを見返してやろうという気持ちも強かった。最初はあんまり聴いている人のことを考えてなかったんすよ。武道館だって、誰に届けてるのか分かんない状態でやってたから覚えてないわけだし。でも、「フレイム」で「あ、こいつらに届けてるんだ」って初めて気付いて感動して、そこでちょっとずつ芽生えてきたものがあった。

――それはどういう感覚だったんでしょう?

山村:自分たちを本当に愛してくれてる人がいるし、その人たちの日常に自分たちの音楽が溶け込んでるんだなって感じるようになったんです。さっき言った「Life Stripe」っていう言葉の意味もそこに繋がっていて。日常の中の一瞬なんですよね。僕は辛い時に音楽を聴いたりするんですけど、自分たちの音楽も、聴いてくれる人にとってそういう存在になっているということを感じた。だったら、そこにちゃんと向き合おう、と。責任を持って、自分の本心でやっていこうと思うようになっていったんです。

――セカンドアルバムをリリースしたのが2011年の1月でした。そして3月に震災があった。ツアーも一部見送りになりました。

山村:そうですね。

――この頃のことで、印象的だったエピソードはありました? この時期にリリースされたシングルの「証」は合唱曲として「NHK全国学校音楽コンクール」の課題曲になっていたわけですけれども。

山村:「証」という曲は震災の前に作ってたんですけど、あれを実際にみんなが歌ってくれたのがすごく印象的でしたね。実際に、仙台の八乙女中学や何校かに合唱を聴きにいかせてもらった。それまで自分たちが疑問に思っていた「音楽の力ってなんだろう?」ということが、この時期にすごく明確になった。仙台の中学生の女の子が、その子自身も辛い経験をしたのに、「もっと辛い子がいると思うから、この音楽を通して、歌うことで私は誰かに力を与えたい」って言ってたんですよ。今まで自分はそんな気持ちで歌ったことないなって思った。だから、自分らに何ができるかって僕らも考えたし、あの時は日本中がそう考えた時期だった。改めて、音楽の力は自分たちが思ってる以上に大きなものだと感じましたね。

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