いまアイドルをどう語るべきか 必読の書『アイドル楽曲ディスクガイド』執筆者座談会

岡島「ピロスエさんの本だからピロスエさんがセレクトするのが面白い」

——2010年以降のシーンというのは、楽曲の質も含めて80〜90年代とは明らかに違うものですか?
 
ピロスエ:ガラッと変わった、というわけではないと思います。2010年に限らず、やっぱり歴史っていうものはグラデーションを描いて変化していることは、この本をザッと眺めるだけでもわかってもらえるかな、と。2000年代後半にAKB48やPerfumeが出てきて、それがその後のアイドル戦国時代の予兆だったんだと、今になれば言えるのではないかと。そういうものの積み重ねで歴史が紡がれているんだ、ということは何となくみんな思っていることでしょうけれど、個々の楽曲や実際の発売日も含めて並べてあると、それが大きな説得力を持つんじゃないかと考えました。
 
岡島:セレクションはどういう観点でやられたんですか?
 
ピロスエ:256ページでオールカラー、と、まずページ数を決めました。その中で1ページ5枚というレイアウトを決めました。それで950タイトルという数が決まったんですけれど、選盤の作業が一番大変で時間かかりましたね。でもそれがディスクガイド本の背骨になる部分なので、そこは妥協せずに念入りにやりました。
 
岡島:目次に「選盤協力」と書いてある人たちに手伝ってはもらったんですよね?
 
ピロスエ:僕が出したタイトルに「これじゃなくてあっちの方がいいんじゃないですか?」と提言してくれた人たちがここに書いてある人たち(笑)。まあ本数的にはちょっとでしたけど。
 
岡島:僕は、ピロスエさんの本だからピロスエさんがセレクトするのが面白いと思いました。「僕はこれを入れたい」というのもありましたけど、そうすると意味がわからなくなってきます。それに、たぶん読んでそう思う人ってたくさんいるってことですよね。そうすると「俺の好きな○○が入ってない」とかツイッターで書くじゃないですか。そうやって情報が拡散していけばいいと思います。どうせ全部入れることはできないし。
 
ピロスエ:「知られていない名曲」を紹介するというのは、もちろんディスクガイド本の機能の一側面です。一方でこの企画の元々のテーマで、アイドルの歴史を表現したい、というのがあって、そのコンセプトに基づいて選曲したラインがある。この2つの要素のバランスにはけっこう悩みました。最終的にはレア曲紹介的な要素は全体の1割くらいでいいかな、と考えました。それよりも「基本中の基本」というような曲をすべて載せないことにはしょうがない、という。
 
岡島:そこのバランス感覚は素晴らしいと思います。レアなものをピックアップして「俺はこんなに知っている」とひけらかすような本もありますけれど、それは自己満足で外に広がらないので、ネットや同人誌でやる面白さはあるし僕も好きですが、現状出版社から書籍として出す意味を、僕自身はあまり感じません。さっきも言いましたけれど、ディスクガイドである以上は、ガイドしてほしい人が読むべきものになっていないといけません。AKB48はほとんどの全シングルが載っていますよね?
 
ピロスエ:最終的にAKB48とモーニング娘。のシングルは(2012年までの分は)すべて載せています。どちらも活動期間が長いです。すべて載せることでその変遷のグラデーションがわかるようなものがいくつか欲しいと考えました。それから単純にページ数の都合もありますね。たとえば広末涼子はシングル全7枚でちょうど見開き2ページに収まるので、そういう場合はすべて載せています。
 

栗原「この本の一番の批評性は『網羅した』というところ」

——歴史を追うということは、ガイドとして網羅するという面と、時代を象徴するものをセレクトする、という批評的な側面があると思いますが――。
 
栗原:この本の一番の批評性は「網羅した」というところだと思いますね。
 
岡島:それでもピロスエさんの視点が出ていますよね。僕は昔のアイドルはわからないけれど、広末以降では、例えばさっき言ったように、楽曲派のDJがかけるような定番曲が全て入っているわけではなく、AKB48が全曲入っているように、普通に売れたアイドルの曲を入れていく。そういうバランス感覚です。それが昔からピロスエさんの一番の特徴だと思っています。『エスロピ』という個人ニュースサイトで、ハロプロのニュース情報を網羅するとか、菊地成孔の情報を全部リンク貼るとか、そもそもハロプロ楽曲大賞、アイドル楽曲大賞もそうなんですけど、ものすごい作業量なのに、情熱でやってしまう。だからこの本も、ピロスエさんだからこその本になっていると思います。
 
栗原:世代なのかな、ピロスエさんには「網羅してアーカイヴにしたい」欲望というか性癖(笑)がある気がする。過去の批評とか評論って、恣意的で独善的な傾向が強かったんですね。むしろそれがいいんだとする時代風潮もあった。僕は仕事柄いろんなジャンルの批評や評論を大量に読んでるんですけど、その反動で、「もっと事実に即して押さえるべきところは押さえなきゃ駄目じゃないか?」という機運が、ジャンル問わず、あらゆる方面で起こっている印象はあります。
 
さやわか:現在、アイドルについては、自分の体験や愛情に根ざして語る語り方しかほとんど存在しません。それが歴史を語るような語り口になっていても、結局は自分たちあるいは自分の個人史に近いところになっていました。ピロスエさんはそうじゃないことをやろうとしているのが面白いところですね。これはいわば、全体性をカバーすることを意識されているということかなと思います。批評というものはある種、全体性をカバーした書き方をしなければならないんだけど、情報量が増えるに従って限界が出ています。そこに抗うような作業をピロスエさんはやっているのかな、と。だからアイドル楽曲の非常にポピュラーも、逆にマイナーな楽曲も、両方をカバーする、という視点があります。

 たとえば松田聖子のことでも、今さらこれだけの枚数の楽曲を持ってきて語る必要はないと思う人も多いはずです。どうかすると今アイドルを好きな人たちは、昔のアイドルの話なんてどうでもいいと思っているかもしれない。だけどこの本は、今自分が立っている地平は昔と接続されているんだ、という話をしたかったんだと思うんです。それはこの本の第1章が2010年から始まるところでわかりますよね。ここですでに批評的な意図が働いていると思います。単なるディスクガイドであり、カタログであるなら2010年代は最後でいいはずですから。「今、私たちが立っている場所は、どうやって作られたのでしょう?」という問いを感じさせる。書き手はたくさんいるけれども、企画や本の構成の時点でピロスエさんがきちんと批評的意図を込めているわけです。
 

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