永野芽郁と佐藤健が見た夢の顛末 『半分、青い。』が描く、残酷な“時間”の生々しさ

『半分、青い。』が描く残酷な時間の生々しさ

 『半分、青い。』(NHK総合)ほど、色彩と台詞、懐かしのフレーズ、シーナ&ザ・ロケッツの「ユー・メイ・ドリーム」など珠玉の名曲で美しく愛おしい夢を彩る一方で、鈴愛(永野芽郁)と視聴者にジリジリとシビアな現実を突きつけ、時に突き放してくるドラマは朝ドラ史上ないだろう。

 「お気楽な時間は終わり」というバブルが弾けた後の平成を生きる鈴愛の人生は、漫画家デビューを果たした夢いっぱいの20歳(第67話)から、“運命”のはずだった幼なじみ・律(佐藤健)のすれ違いによる唐突な結婚、なんとも残酷な挫折、そして100円均一ショップの店員として働く28歳(第82話)まで怒涛の展開だった。18歳とはとても思えない凄みのある演技を見せた永野芽郁の底知れなさ含め、このひとっ飛びに通り過ぎつつある20代は、特筆すべきものがある。

 特に第78話ほど残酷なものはなかった。糖分を過剰摂取しないと頭が働かない鈴愛と、鈴愛のネームを見て「あいつは自分が書けなくなったことに気づいてないのか」とボクテ(志尊淳)たちに問いかける秋風(豊川悦司)。「才能というものは残酷です。湧き出るときは温泉のように止めどなく湧き出して、そしてある時、3日目の風船のようにしぼんでしまう」と風吹ジュンのナレーションが追い討ちをかける。ボロボロの鈴愛は自分の愚かな行動の動機を「漫画のため」と言い訳し、周囲を攻撃し、うまくいかないことを自分の耳のせいにする。極めつけは秋風にネームを読ませる時の焦点が定まらない、絶望に似たなんとも形容しがたい表情のクローズアップである。

 「時間が足りん」と焦り、紙パンツを履いて仕事をするほど漫画を優先し、年相応の恋愛や結婚にも頭が働かず、第70話でのユーコ(清野菜名)の「それじゃ漫画を描く機械だよ」という言葉に「機械上等」と答えるほど没入していたはずの鈴愛は、誰のせいでもなく、自身の才能の枯渇というシビアで唐突な終止符を突きつけられる。まるで猪突猛進で青い空を飛んでいた魔法使いの女の子が、ある日突然魔法が使えなくなり、真っ逆さまに地面に落ちていくかのように。そして、女の子がかかった呪いの正体は「時間」だ。

 『半分、青い。』の時間経過は容赦ない。彼女が連載を3年続け、4冊のコミックスが出たという充実期はナレーションで片付けられ、第73話の夏虫駅での律との再会を夢のように描いたと思いきや、あっという間に「夢」は飛んでいき、律の唐突な「結婚」という言葉によって現実に引き戻され、第74話ではさらに4年もの歳月が経過し、律の結婚と鈴愛の挫折が描かれる。

 第74話での彼らが「律の夢は、私の夢やった」「僕は鈴愛のために自分の夢を叶えようと思った」と互いの夢を思いあっていたのはそれこそ、漫画家編で夢見る登場人物たちが儚く消え去りそうな自らの夢を抱いて口ずさむ「You may dream(あなたは夢かもしれない)」という恋愛のトキメキを含んだ「すてきな夢」であり、それは鈴愛が夢に見た、地面を這って手を伸ばしても届かないまま霧散してしまう白い船のように、壊れそうな何かだ。この失恋もまた、1つの夢の顛末なのである。

 また、もしかしたら鈴愛とユーコにとって、漫画に対する感情自体が夢であるとともに恋だったのかもしれない。少女漫画という「鮮やかな色彩に彩られた恋物語」という性質と、2人の代表作『一瞬に咲け』『5分待って』というタイトルにおける瞬間の儚さ、その時間の有限性の示唆は、いずれその場所から巣立たなければならない彼女たちの青春、人生の1ページに過ぎない漫画家としての時間を示すのである。そしてその輝かしい時間は少女漫画と同じように実に鮮やかな色彩で溢れていた。

 彼女を支え、助言する優しい人々は一様に「女の価値は若さである」と告げる。鈴愛の母親はじめ家族は、鈴愛が25歳を過ぎたあたりからことあるごとに鈴愛の結婚のことを懸念し、ユーコとボクテは「若くて売れるうちに」「女は腐る」「刻々と若さという女の価値は下がっていく」と口々に言う。一切頓着なさそうな秋風でさえ、時が経過しても何も変わらずオフィスティンカーベル付きの妖精のように微笑んでいるツインズ(MIO&YAE)の「目尻の皺」を指摘するのである。ヒロイン・鈴愛自身も言う。「私はこの夏で28だ。でも結婚もしてない、恋人もいない、漫画はどんずまり、私には何もない」と。『半分、青い。』における「時間」は実に生々しく残酷だ。

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