松居大悟が描く、誰かを想う優しい激情 『不死身ラヴァーズ』で最高純度の「好き」が響く
「好き!」だとか「愛してる!」だとか、対象が何であれ、そう簡単には口にできなくなってきた。そもそも、年齢を重ねるとともに「好き」という感情がいまいち分からなくなってきている。これは私だけなのだろうか。いや、誰もが同じようにこの複雑な社会の中で生きている。それに大人になれば多くの人が、「好き」のその先の感情までも知るものだと思う。そこではポジティブなだけではない、いろんな感情が生まれるはずだから。
しかし振り返ってみたとき、あの「好き!」とか「愛してる!」といった感情で満たされていたときの自分を、あの時間を、尊いものだったと感じずにはいられないのも事実。そんないつかの自分を、あの時間を、思い出さずにはいられない映画が『不死身ラヴァーズ』である。
『君が君で君だ』(2018年)や『ちょっと思い出しただけ』(2022年)などの松居大悟監督の最新作である本作は、マンガ家・高木ユーナの同名コミックを実写化したもの。先述した二作は松居監督のオリジナル映画だが、こちらはいわゆる“原作モノ”だ。監督としてのキャリアの初期の段階から、いつか映画化しようと企画を温め続けてきたらしい。原作に描かれている「好き」の感情の強さに圧倒され、魅せられ続けてきたというのだ。
物語はいたってシンプル。主人公・長谷部りの(見上愛)が、幼い頃に出会った運命の相手である甲野じゅん(佐藤寛太)と再会を果たすところから、すべてははじまる。中学で陸上部に所属する彼に、「好き!」だと想いを訴え続ける毎日。ところが、めでたくやっと両思いになったとたん、彼は消えてしまう。これは比喩ではない。まるで魔法のように目の前から消えてしまうのだ。しかも最初からこの世にいなかったかのように。「甲野じゅん」の存在は、誰も覚えていない。
やがて高校生になり、大学生になっていくうち、りのは何度も「甲野じゅん」と再会を果たすことに。ひとりは軽音楽部の先輩として、ひとりは車椅子に乗った男性として、またあるひとりはクリーニング屋の店主として。見た目と名前は同じだけれど、中身はまったくの別人。それでもりのはその身を燃やすようにして、「好き!」の気持ちをぶつけていく。しかしやはり、両思いになるたびに彼らは消えてしまうのだ。長々と書いてしまったが、ようは“両思いになったら相手が消える”というものである。
設定からしてかなり変わっているが、さすがは松居監督。これまでにもさまざまな人間の感情を映画というフォーマットでスクリーンに焼き付けてきたが、「好き」という感情を描いたものとしては本作の純度の高さがズバ抜けている。この映画には、誰かを想う優しい激情がほとばしっているのだ。主演の見上愛はその肉体と声をもって長谷部りのというエネルギッシュでチャーミングなヒロイン像を立ち上げ、松居監督の胆大心小な演出家としての手腕により、スクリーンの中をにぎやかに駆け回る。恥ずかしげもなく剥き出しで生きる彼女の姿は、一部の観客にとって、みっともなく映るかもしれない。あるいは彼女の一挙手一投足が、エゴイスティックなものだと映るかもしれない。
しかし、彼女は周囲の視線なんて気にしない。世間の声なんかに惑わされない。社会の常識なんて通用しない。彼女こそが彼女の人生の主人公なのだから当たり前だ。本来であれば私たちも、誰もがそう生きるべきなのである。“恋は盲目”ということわざがあるが、誰だって一度くらいはこの言葉の体現者となった経験があるのではないだろうか。誰かを好きになる。するとそれまでとは世界の見え方が一変し、ふいにどこからか音楽が聴こえてきて、ただ空が青くて広いというだけで胸がいっぱいになる。こうした状態のときの私たちは、この世界を愛することができているのではないだろうか。決して健やかだとは言い難い、この世界を。