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『ゴースト・イン・ザ・シェル』なぜ賛否両論に? 押井守版『攻殻機動隊』と比較考察

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 劇場用アニメーション『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』は、アニメーターによる従来の職人的な手描き技術と新しいCG技術の融合によって生み出された、クールな映像表現、また士郎正宗原作、押井守監督による先進的なテーマや哲学性などによって、アメリカをはじめ世界に日本製アニメの存在を知らしめた代表といえる作品である。『マトリックス』のウォシャウスキー姉妹監督など、決定的な影響を受けたことを表明するクリエイターも少なくない。その伝説的作品をハリウッド映画として実写映像化したのが、本作『ゴースト・イン・ザ・シェル』である。ここでは、押井監督版のアニメーション映画を、分かりやすく『攻殻機動隊』、アメリカの実写映画を『ゴースト・イン・ザ・シェル』と表記し、主にテーマの面で両者を比較しながら、賛否渦巻く実写版の内容を検証していきたい。

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 『攻殻機動隊』は、人体よりも高性能な「義体」を、人間の体のあらゆる部分に組み込むことが可能になった近未来を舞台に、そこで発生する国際規模のハイテク犯罪と闘う警察の組織「公安9課」の活躍を描くSF作品だ。その中心的存在である、主人公「少佐」こと草薙素子(くさなぎ もとこ)は、脳と脊髄の一部のみが生身で、ほぼ全身が義体化されたサイボーグである。

 義体化の延長線上にあるものとして、脳にネットワーク端末を埋め込み、また脳自体を一部機械化する「電脳化」という技術も登場する。無線を通してフランス語を瞬時に覚えるなど知識を劇的に向上させたり、あらゆるトラブルの対処法を検索したり、気の利いたことばを過去のあらゆる文学作品から引用しながらしゃべることもできる。その代償として、自分以外の者が脳の中に侵入し、視覚を奪われ幻影を見せられたり、記憶が書き換えられてしまうなどのリスクが発生することにもなる。

 公開当時、この世界観は原作の漫画同様に、SFファンやコンピューターの知識がある一部の観客以外には理解しづらい部分もあったと思われる。しかし、多くの人間がスマホなどのネット端末を常備し、ハードディスクやSNSなどで、自分の脳以外のデジタルな領域に記憶や自己の存在の一部を託すようになった現在、『攻殻機動隊』で描かれる問題は、より広く理解され得るだろうし、その実写化作品となる『ゴースト・イン・ザ・シェル』も、より受け入れやすいタイミングでの公開となったのではないだろうか。その意味で、『攻殻機動隊』は時代を先取りする予言的作品であったともいえよう。そのような「記憶の拡張」と「他者との情報の共有」は、やがて「自分は何なのか」という哲学的不安を生むことにもなる。

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 フランスの小説家ヴィリエ・ド・リラダンの『未来のイヴ』をはじめ、ドイツの監督フリッツ・ラングによるSF映画初期の名作『メトロポリス』、多くの後進に多大な影響を与えることになった、リドリー・スコット監督のアメリカ映画『ブレードランナー』などのように、テクノロジーによって生み出された存在について語りながら、人間の存在を哲学的に思考していくというSF作品の流れが存在する。日本の『攻殻機動隊』も、やはりそれらに影響を受けながら、その流れに連なっていく作品である。

 ヴィリエ・ド・リラダンは、「断頭台の秘密」という興味深い小説も書いている。ギロチンにかけられて首が切断された人間は、当分の間意識を保っているという一つの説を、本当かどうか実験によって試そうとする内容である。もしそれが正しければ、人間の意識、魂の在処(ありか)は脳にあることを証明できるということになる。『攻殻機動隊』では、その考え方をさらに進めて、脳の一部分だけを残し、他の部分を義体や電脳という人間以外のものに移し替えても、その存在は人間でいられるのかという問いを投げかけている。さらにユニークなのは、彼女のもとに、ネットワークの情報の海から生まれたという、肉体を持たない「意識」だけの存在が現れるという展開である。そこでは脳という最小限の肉体を捨ててすら、もしかしたら人間は人間でいられるのかもしれないという可能性が示され、そのある種の希望は、新たな人間の進化のかたちを、サイボーグとゴーストという二段階で提示することになった。このような内容の厚みや知的テーマは、従来のアニメーションの枠をはるかに越えたものである。

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 それに対して、今回の実写映画化作品『ゴースト・イン・ザ・シェル』は、どうだろうか。本作は、『攻殻機動隊』や、その続編『イノセンス』の印象的な場面を、新しい脚本のなかで再構成しつつ、かなり忠実に、これら存在の不安というテーマをなぞるような内容になっている。そして、記憶や感受性、他者との関係など、人間が人間でいるために必要なものを、一つずつ提示していくことによって、「魂=ゴースト」の姿というのを浮き彫りにしていくという、デジタル社会における人間のあたたかみを強調する、より現実的で共感しやすい内容になっている。そのような展開によって生まれるカタルシスの方向性は正反対であるものの、描かれる問題自体は同質のものである。

     
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