『カルテット』この4人なら、やり直しスイッチはおさなくていいーー最終話が提示したアンサー

『カルテット』最終話が出した“アンサー”

 坂元裕二脚本・土井裕泰演出のドラマ『カルテット』が、遂に最終回を迎えた。本当に最後の最後まで最高なドラマだった。以前別府(松田龍平)が『スターシップVSゴースト』という宇宙も幽霊も出てこない映画のことを「そういうのを楽しむ映画なんです」と言って微笑んでいたが、このドラマこそ、そのようなドラマだったのではないか。家森(高橋一生)の「行間案件」ではないが、視聴者は、このドラマの行間を読むことを楽しんだ。

 最終回は、第1話の反復、そして椎名林檎が手がけたエンディングテーマ曲「おとなの掟」への帰結だった。そしてなにより、物語の幕開けである1話、1章の終わりの第5話を中心に彼らが何度も直面してきたテーマである、プロになれなかった「アリとキリギリス」のキリギリスたちはどう生きるべきかという問題の彼らなりのアンサーだった。カルテットドーナツホールへの手紙に書かれた「皆さんの音楽は煙突から出た煙のようなもの」という言葉は、なにかしら表現することに関わっている人にとっては胸を鷲づかみにされる言葉だっただろう。

 冒頭は、ヒリヒリとした感覚に襲われた。なぜなら、前回、前前回を通して描かれた彼らの醒めない夢のような美しい光景とはうって変わって、彼らがその夢から目覚めようとしていたからだ。警察に行った1年後の真紀は、起訴はされなかったものの世間から疑いの目を向けられ、他の3人と離れてひっそりと暮らしている。「私が弾く音楽はこれから先全部灰色になると思う」と言って、『カルテット』の世界では珍しい、眩しいぐらいの日差しを前に佇む。その後、別府が、ワゴンに真紀の代わりのゲスト奏者である、松本まりか演じる大橋を乗せ、初対面らしき犬となぜかじゃれあっている家森を乗せ、机の下から足だけを出して眠っているすずめ(満島ひかり)を見つけるところまでは初回の反復であるが、小声で囁く松たか子と違い、松本まりかは目が覚めるようにハキハキと話す。そして彼女は、「肉の日」のイベントのために各々のコスプレをして演奏しようとする3人を「低レベル」と断定し、いなくなるのでる。さらには眠ってばかりいたすずめが資格の勉強のために徹夜すると言い出し、家森は週7で働き、彼らが演奏していたライブレストラン「ノクターン」は割烹ダイニング「のくた庵」になっている。

 家森、別府、すずめ、真紀が再会し、それぞれの近況を語る時、再び、彼らは初回の時の問題を持ち出す。好きなことを仕事にすることが出来なかった人は、この先どうするかを決めなければならない。趣味にするか、夢にするか。趣味にするほうを選ぼうとする家森とすずめと、それを受け入れ、これまでの努力を美化して終わろうとする別府。それに対し、真紀が「コーン茶淹れますね」という言葉で抵抗する。月日は流れ、初回ではあったコーン茶も今はない。そこで彼女は、大きなホールでのコンサートという、「カルテットドーナツホール」としての大きな夢を呈示するのである。1人の時は、どこまでも疑惑が付き纏う自分の音楽なんてと言っていた彼女は、あえてそれを逆手にとって、消えかけた「カルテットドーナツホール」としての夢をもう一度灯す。

 そのコンサートはまるで夢のようだった。ステージ上には空き缶が飛んでくるし、野次馬精神で見に来た観客たちは1曲目が終わったらすぐに出て行くが、観客席には、これまでカルテットの4人と関わってきた人たちが楽しそうに笑っていた。そして、これまで彼らが辿ってきた軌跡が音楽に重なっていく。そして、決して偶然ではなかった、それぞれの嘘から始まったカラオケボックスでの4人の出会いは、「自分の気持ちが音になって。飛ばす、そう、届いた時嬉しい」という彼らの夢の原点とも言うべき言葉によって、運命になり真実になる。

 その後、また最初のように、机からすずめの足が飛び出している。眠りから醒めた彼女がしばらく周りを見渡して、コンサートの記念写真を見つめ「夢じゃなかった」とでも言うように微笑むのもまた、素敵である。

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