イーストウッドは“重厚な余白”をどう作ったか? 松江哲明が語る『ハドソン川の奇跡』

松江哲明の『ハドソン川の奇跡』評

実話の映画化は、“裏側”が重要

 トム・ハンクス演じるサリー機長の悪夢から本作は始まります。飛行機がニューヨークの市街につっこみ、大惨事となるその夢は、ありえたかもしれない未来です。この描写が冒頭にあることで、サリー機長の苦悩や、繰り返し挿入される飛行シーンの回想がより生きたものになっています。

 本作で描かれている飛行機事故は、故障から着水まで、時間にすればわずか数分の出来事です。この題材をジェリー・ブラッカイマーが制作していたら、実際に5分で終わる映画になっていますよ(笑)。でも、イーストウッドはその5分ほどの出来事を、1秒単位も無駄にできないという繊細なスリリングさで描いていきます。多くの人が知っている実際にあった事件であり、サリー機長が“英雄”とされていることも事実として知られています。それでも、あの事件の裏に何があったのか、サリー機長の選択が本当に正しかったのか、観客である僕らの認識をグラグラと揺らがせる作り方をしている。

 実話の映画化って、みんなが知っているのはこんなことだけど、でも裏側ではこんなことがあったんだよ、と示すものですよね。本作でいえば、サリー機長は飛行機事故から155名の乗客を救った英雄のはずなのに、事故調査委員会に追及されていたという点が重要です。フラットに事実だけを伝えるのは、映画ではなくニュースであって、裏側にドラマがないと映画にはならない。それは劇映画もドキュメンタリーも一緒だと思います。

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 トム・ハンクスは、これまでも『キャプテン・フィリップス』の船長役や、『プライベート・ライアン』の大尉役など、信念を抱いた人物を演じてきました。それがいつの間にかアメリカという国を背負う役者、アメリカ人の理想の象徴となっていきました。そんなトム・ハンクスが演じている以上、観客の誰もが、サリー機長は糾弾されるような悪人ではないだろうと想像するはずです。でも、昨今の合理主義的な社会においては、サリー機長がとった行動は非難の対象となっても仕方がないかもしれないと、観ているうちに思わされます。それがひとつの仕掛けになっているんです。サリー機長こそが異端なんじゃないかと疑わせるスリリングさが、この映画のポイントのひとつでしょう。

 事故調査委員会がサリー機長を追及する公聴会のシーンは、特に注目したいところです。「私たちの検証の結果、あなたの行動は異常だということになりました」と突きつける感じ。そこにある感情や経験を無視して、理屈だけで通してしまう調査委員会たちの姿は、現在の社会のあり方ーー白黒はっきり付けたがって、些細なことで大騒ぎしてしまう風潮を示唆するものだと思います。でも、最後にはほっとするカタルシスが待っている。やったぜ!という感じではないんだけど、映画があるべき場所にすっと着陸してくれる。それがすごく気持ちいい。

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