綾野剛×田中麗奈が挑んだ“愛と性” 荒井晴彦の脚本は「美しくて、滑稽で、誠実」

綾野剛×田中麗奈が挑んだ“愛と性”

 吉行淳之介の芸術選奨文部大臣受賞作を、脚本・監督の荒井晴彦が長年の念願をかけて映画化した『星と月は天の穴』。「愛と性」を真正面から見つめ、人間の本質を描き出す本作に役者たちはどんな思いで挑んだのか。主人公の小説家・矢添克二役の綾野剛、その矢添のなじみの娼婦・千枝子役の田中麗奈にインタビュー。言葉の「とげ」や「美しさ」を全身で浴びたという撮影の日々について、じっくりと話を聞いた。

“珍味”と言っても過言ではない『星と月は天の穴』

ーー吉行淳之介さんの原作を荒井晴彦が映画化、しかも舞台は1969年。近年の日本映画の中でも非常に挑戦的な作品ですが、最初に脚本を読んだときどんな思いを抱きましたか?

田中麗奈(以下、田中):千枝子は娼婦という職業をしていますが、心の中には非常に純粋な少女のような部分がある人だと感じています。だから、職業としての役割を全うしながらも、ふとした瞬間に心の中の純粋な自分が顔を出してしまって戸惑ったり、また職業という部分に戻って冷静になったり……。そうやって心の中で行ったり来たりしている女性なのかな、と。台本をいただいてからは、千枝子が自分の体の中に住んでいる状態、同居しながら暮らしているような感覚で作品に入っていきました。

綾野:初めて脚本を読ませていただいた時、「なんて美しくて、滑稽で、誠実なんだろう」と思いました。この言葉の渦を浴びられるのは、役者としてすごく幸せなことです。矢添という役は、行動や感情、思考がすべてセリフで「オン」になる書かれ方をしていました。だから僕は、なるべく表情化しない、肉体化しないことに努めました。

綾野剛

ーー「肉体化しない」とは具体的にどういうことでしょうか?

綾野:矢添は、田中さん演じる千枝子さんや他の女性陣の豊かなセリフを「編むためだけの拡声器」として存在する、ということです。彼女たちの豊かさを邪魔しないように、自分はいかに「拡声器」になりながら情報を抑制できるか。いわば、ラジオボイスのような役どころに徹しました。ただ、千枝子さんに対してだけは漏れてしまう「張りきれない虚勢」や、距離の近さを感じさせる人間味みたいな部分だけはどうしても残したかったんです。それ以外は、麗奈さんから出てくるセリフの豊かさを邪魔しないように、情報を削ぐという状態でした。

ーー非常にストイックなアプローチですね。

綾野:チャレンジングな役でした。ただ、この時代(1960年代)の脚本や役者さんたちには当たり前だったのかもしれません。今は時代も変わり、いろんな表現方法を楽しむのがエンタメの行事の一つですが、まさにこの作品は「珍味」と言っても過言ではない作風だと思うんです。

田中:(笑いながら)「珍味」っていいね。

綾野:なかなかこの「珍味」は、作らせてもらうのも大変ですし、観ていただくまでの道のりも時間がかかるものなので、特段のありがたみを感じながら演じました。

田中麗奈

ーーお話を伺っていると、やはり「荒井晴彦」という一つのジャンルの映画なんだなと感じます。田中さんはこれまでも荒井監督の脚本作に出演されていますが、今回「監督」としての荒井さんはいかがでしたか?

田中:(綾野を見て)剛くんがいるから「荒井組」は初めてだけど大丈夫、ついていけば大丈夫だという安心感がありました。荒井さんは、監督になられても以前と変わらずフラットに接してくださいました。ただ、脚本家である荒井さんが監督もされることで、言葉がよりダイレクトに現場で入ってくる感覚はありましたね。荒井さんの書かれるセリフって、本当に色気があるというか、香りがしてくるんです。映画の香りがしてくる。「早くセリフを言いたい」という衝動に駆られるんです。だから今回、その「ジャンル・荒井晴彦」の一部に自分がなれるんだという喜びが、撮影中ずっとありました。

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