少女は死と対話する 感覚的な鋭さが光る『白の花実』の不思議で幽玄な趣に取り憑かれる

『白の花実』の不思議で幽玄な趣

 10代のいつかに感じたことのある果てしない無力さと虚しさを、長編監督デビュー作とは思えない演出の数々で映し出す。それが坂本悠花里監督の『白の花実』だ。少女映画というジャンルには、直接的でも間接的でも、そこはかとなく“死と生”の香りが漂っている。しかし本作は、“死の向こう側”に触れるという独自のアプローチで、このジャンルに新たな息吹を吹き込むのだ。

名作を彷彿とさせつつ、独自に深化する “ファントム・ファンタジー”

 本作は、転校を繰り返してきた少女・杏菜(美絽)が、無理やり連れてこられて入学したキリスト教寄宿学校を舞台に、“完璧”と言われた少女・莉花(蒼戸虹子)の突然の死と遺された日記をきっかけに、少女たちが初めて“自分”を知っていく、というストーリー。

 偶然にも筆者である私はカトリック系の女子校出身で(挨拶も「ごきげんよう」だった)、10代の女子だけが集う空間特有の“あの空気感”はもちろん、本作におけるあらゆる要素に少しばかり馴染みがある。厳格な眼差しと、求められる言葉遣いや振る舞い。立派な考えや教えに富んだ聖書の引用と、現実との折り合い。羨望と焦燥。自分を形容するあらゆる言葉を浴びせられ、気がつけば心に澱が溜まる。周囲と少し違うだけで馴染めず、極まる孤独。誰かから向けられた感情や言葉を受け止めきれず、訳がわからないまま手放した。そんな三者三様の少女を中心に展開される本作は、そのストーリーテリングから耽美な映像まで、近年のA24作品にも通じる、インディペンデントな魅力に富んでいる。

 女子生徒や寄宿学校が彷彿とさせるピーター・ウィアー監督の『ピクニック at ハンギング・ロック』は、坂本監督もスタッフ陣に参考映画として名を挙げている作品だ。豊かな緑と自然の中ですぐ汚れてしまいそうな装いの少女たち、説明のつかない不思議な出来事(怪奇現象)など、確かに重なる部分が多い。しかし、同作での“不思議”がハンギング・ロックと呼ばれる岩山で少女たちが忽然姿を消すという“驚き”だったのに対し、本作は主人公の杏菜がすでに自分の能力に自覚的で、“不思議”が物語の“前提”として進むのが面白い。

 映画の冒頭、見学で学校を訪れた際に莉花が見本で踊ってみせるにもかかわらず、途中から部屋の隅にいる“誰か”と話す杏菜。「ごめん」と謝ったり、「怒ってる。幽霊が」と“何か”を指さしたりと、静かなシーンなのにもかかわらずエンジン全開で作品のサブジャンルを開示していく。その気持ちよさや、交信する死者の魂が生前の顔見知りだけでなく、全く見知らぬ幽霊の場合もあると映すことが、良い意味で作品に不穏さや不気味な余韻を持たせている。

 静かに、何かを見つめ続けるように生死の境界を捉える作風は、どこか『A GHOST STORY/ア・ゴースト・ストーリー』を思わせる。身近な者を失った主人公が死者の魂との交信を試みる要素が日常の中で描かれる雰囲気は、オリヴィエ・アサイヤス監督の『パーソナル・ショッパー』と通じるものがある。

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