Netflixオリジナルフィルム、『ビースト・オブ・ノー・ネーション』の衝撃

 アグーが同じく捕虜となった子供たちと共に少年兵に仕立てあげられる過程には、飢えと銃器、"指揮官"の大いなる権威と歪んだ仲間意識、様々な要素が絡みあっている。脱落はそのまま死に直結する状況で、アグーは少年兵として"完成"していく。フクナガ監督はナイジェリア人作家ウゾディンマ・イワエラの同名原作を元に脚本を書くため徹底的なリサーチを行い、執筆には約10年もの時間をかけたのだという。その年月こそが、吐き気を催すほどの細密なディテールとして結実しているのだ。

 だが、フクナガ監督の覚悟が伺えるのはそこだけではない。今回、彼は撮影監督も兼任しているのだ。彼が映し出すのは偽りなき戦争の風景だ。ただ逃げることしか出来ない人々、ナタを振り上げながら敵陣へ突っ込んでいく少年兵たち。バズーカ砲はフロントガラスを突き破り車を爆散させ、銃に撃ち抜かれた者たちは自分の血を浴びながら次々と道に倒れていく。フクナガ監督は絶え間なき暴力から目を背けない。アグーが行うこととなるおぞましき通過儀礼の時もそうだ。苦悩に揺れるアグーの顔だけではなく、彼が暴力を振り下ろしたその先に広がる血と死の光景を監督は見据える。さらに彼は『TRUE DETECTIVE』で見せた長回しと同等、いやそれ以上に巧みな長回しを使い、観る者の心を打ちひしぐ。

 こうして戦争の原風景を目の当たりにするうちに私たちが気づくのは、少年兵になるというのはただ単純に殺戮マシーンのなる訳ではないという事実だ。戦いの合間アグーたちはサッカーを楽しみ、友人とじゃれあい、そして戦場では"指揮官"の命令のまま殺戮を繰り広げる。つまり人間性を失うというのは正確ではない。笑うだとか泣くだとか、そういった子供が、ひいては人間そのものが持つ当たり前のパーソナリティに“人を殺す”という概念が付け加わるという事実。フクナガ監督はそれを明らかにしていく。

 この作品で最も重要な存在は、アグーを演じたエイブラハム・アタの他にはいないだろう。無邪気な少年だったアグーが残酷な少年兵へと変貌を遂げる様を熱演し、私たちの生きる世界で確かに起こっている悲劇を体現する。人を殺し、人を殺し続けるうち彼の顔に浮かぶのは深い諦念だ。アグーは心のなかで独り呟く。

太陽はどうして輝くのだろう
あの光を全て搾り取ってやりたい
世界が闇に包まれれば
目の前に広がるもの何もかもを
ぼくは見てなくて済むのだから

 『ビースト・オブ・ノー・ネーション』は、いかにして戦争が個々の人間の人生を捻じ曲げていくかを、一切の妥協なく描き出していく。目にするだろう現実は残酷すぎるかもしれないが、フクナガ監督が目を背けなかったように、私たちもこの現実を目に焼きつけ、語り継いでいかなければならない。

 今作について、現時点での2016年アカデミー賞予想ではイドリス・エルバが助演男優賞ノミネート確実では?との下馬評に加え、作品賞では『スティーブ・ジョブス』や『デニッシュ・ガール』と並び最有力候補の1つとの噂も。日本ではオスカー候補作は授賞式後にしか観られないことも多いが、この作品はNetflixに登録すれば今すぐ観られるのだ。これを逃す手はない。

 つい先日、今作が劇場とネットで同時公開されることに米国の大手映画館チェーン各社が反発とのニュースが流れた。だが、私は「映画は映画館で観るべき」といった言葉に「日本では地方で上映してない。そもそも映画館が周りにない」という諦めの声が返るのを何度も見てきた。Netflixはその現状を変えてくれるのだ。ネットさえ繋げば何処でも同じ映画が楽しめる、フクナガ監督も今作について語っているように「映画鑑賞の民主的な時代」が実現したのだ。今はもう映画館だけで映画を観る時代ではない。映画館で、TVで、ネット配信で、自分の好きな方法で、映画を観る時代なのだ。

■済藤鉄腸
ライター。ネット配信で映画を観るのが好き。MUBIとNetflixで引きこもりが捗る。配信スルー映画・日本では知られていない世界の映画作家たちを紹介するブログ"鉄腸野郎Z-SQUAD!"を書いてます。

■作品情報
『ビースト・オブ・ノー・ネーション』
監督・撮影:キャリー・ジョージ・フクナガ
出演:イドリス・エルバ/エイブラハム・アタ
Netflixで配信中

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