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今、なぜ吉田拓郎なのか? ボブ・ディランと共鳴する“稀代のメロディメーカー”の歩み

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 70年代以降の日本の音楽シーンで最も影響力があったアーティストが吉田拓郎と言って過言ではない。

 まだ作詞家・作曲家・歌手とそれぞれが分業だった時代、シンガーソングライターという言葉すらない時代に吉田拓郎は自分の言葉で自分の歌を歌った。それも、それまでの歌謡曲とは全く違うスタイルでだ。ギター一本あれば、誰もが音楽の送り手になれる。70年代のその後のフォークやロックの流れに繋がる最大の扉を開けたのが彼だ。それは音楽の革命と言って良かった。

 ただ、そんな風に書いただけでは、吉田拓郎を語ったことにはならない。そうした説明は、70年代前半のフォークやニューミュージックと呼ばれた一連の音楽全体にも当てはまるからだ。吉田拓郎の特異性は、彼が開けた扉からその後に続々と登場したアーティストとは、音楽の成り立ちから違っていたということがある。そして、彼のそんな背景が、今でも自分のことを「俺はフォークじゃない」と言う根拠にもなっている。

 今、なぜ吉田拓郎なのか、という一つの要因が、去年のボブ・ディランのノーベル文学賞受賞があると言って良さそうだ。60年代から70年代に登場した日本のシンガーソングライターの中で、誰もが思い浮かべたのが吉田拓郎だった、ということもある。言葉を詰め込んだ曲のスタイルや、言葉を投げ出すように歌う歌いっぷりはディランの影響であることは間違いない。去年のツアーの中でも、自分の思春期にディランがどんな影響を与えたかを「風に吹かれて」を歌いながら、面白おかしく話していた。

 吉田拓郎は、常々「ボブ・ディランは稀代のメロディメーカー」と話している。詩人、というよりメロディの人。それは、日本で暮らす僕らの中に英語の理解度が不足しているという前提はあるものの、彼がディランのどこに影響されたかを端的に物語っていないだろうか。

 吉田拓郎は、同時代の同じように語られるアーティストと音楽の成り立ちが違う、と書いた。

 例えば、彼の最初の音楽体験がロックバンドだったことを知る人は多くない。大学生の時に組んだのはビートルズスタイルのバンドである。しかも、プロになりたいと、メンバーと一緒にバンドのテープを持って広島から上京、渡辺プロダクションを訪れている。

 その一方、一人でディランスタイルの活動もしており、フォークソングの全国コンテストにも出場している。その時のステージは、当時、若者たちのオピニオンリーダー的役割を果たしていた雑誌『平凡パンチ』で“和製ボブ・ディラン”と紹介されていた。単身上京して、千葉県検見川のお寺に居候しながら、レコード会社に曲を持ち込んだりもしていた。

 ビートルズとボブ・ディラン、そして、もう一つ、重要なのがR&Bである。アマチュア時代に組んでいた、二番目のバンド、ダウンタウンズは、山口の岩国基地で米兵を相手にR&Bを演奏するバンドだった。吉田拓郎はサイドギターとボーカルである。そして、その頃のことを「ライバルはザ・タイガースだった」と話す。彼の歌の節回しに黒人R&Bを見つけることは容易だろう。ダウンタウンズはヤマハのライトミュージックコンテストの全国大会に中国地区代表で参加している。

 60年代後半である。そうやって何度かプロになろうとして叶わなかった彼が、1968年に、広島にいくつかあった学生フォーク団体を集める形で発足したのが「広島フォーク村」だった。1970年に彼らが作った自主制作アルバムの中に、デビュー曲の「イメージの詩」があった。

 もし、彼が注目されるきっかけとなったのが「広島フォーク村」でなかったら、どうだろう。

 彼は、今のように“フォークソング”という括りの中で語られていただろうか、とも思う。

 それが時代の偶然であり、巡り合わせということなのだろう。それまでの日本の歌謡曲とは、全く違う「イメージの詩」は、そうした時代の中でしか受け入れられなかったかもしれない。「イメージの詩」の歌詞の<これこそはと信じれるものがこの世にあるだろうか>と誰もが感じていた時代だったからこそ、「俺たちの歌がない」と思っていた若者達に熱狂的に支持されたのだろうし、世の中に迎合しない吉田拓郎の生き方は、そんな気運を見事に体現していた。

 例えば、最近でもテレビなどで「なつかしの70年代」的な歌番組を目にすることは珍しくない。その中で「リクエストランキング」が発表されたりする。

 吉田拓郎の曲は、そういうところにはあまり上がってこない。ヒット曲がないのではない。その逆である。あまりに多岐にわたっており、「なつかしのこの一曲」的な曲が選べない。ジャンルを超えた名曲が残されている。森進一が歌った「襟裳岬」やかまやつひろしが歌った「我が良き友よ」に見られるように、フォークでも歌謡曲でもない。その垣根を越えている。キャンディーズや南沙織に提供したヒット曲もある。

 吉田拓郎の全貌は、未だに明かされていない。

『今日までそして明日からも、吉田拓郎 tribute to TAKURO YOSHIDA』

 6月7日、吉田拓郎のトリビュートアルバム『今日までそして明日からも、吉田拓郎 tribute to TAKURO YOSHIDA』が発売になる。

 吉田拓郎のトリビュートアルバムは、彼の影響の大きさに比べると極端に少なかった。なぜならば、楽曲が多岐にわたりすぎているのと、彼の存在感がありすぎたからだ。トリビュートしようにも、オリジナルを超えられない。トリビュート作品の面白さである“継承と発見”という領域に至らない。

 『今日までそして明日からも、』は、武部聡志がプロデュースしている。2012年以降の吉田拓郎のバックバンドのリーダーであり、1996年から始まったテレビ番組『LOVE LOVE あいしてる』(フジテレビ系)以来のパートナーである。今年の夏、特別番組として復活することもすでに話題になっている。彼は、今回のトリビュート企画についてこう言っている。

「華やかにしたいと思ったんですね。拓郎フォロワーと言われる人たちが歌う男の歌、というアルバムは今までもあったと思うんですが、そうじゃないものにしたかった」

 逆転の発想、と言えばいいかもしれない。唯一無比の声の持ち主が歌った曲の“声”を外して考える。彼は「無骨さとか力強さがクローズアップされる中で、ロマンティックな要素やメロディの情感の繊細さを再認識した」とも語っている。

 奥田民生、chay、Mrs. GREEN APPLE、竹原ピストル、鬼束ちひろ、一青窈、井上陽水、高橋真梨子、徳永英明、織田哲郎、THE ALFEE、ポルノグラフィティーー。

 ジャンルも世代も超えたアーティストが、キーボーディストの武部聡志だからこその解釈やアレンジで歌う。

 あなたの知らなかった「もう一人の吉田拓郎」が、ここにいるはずだ。

(文=田家秀樹)

■リリース情報
『今日までそして明日からも、吉田拓郎 tribute to TAKURO YOSHIDA』
発売:6月7日(水)
価格:2,800円(税別)

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<収録曲>
1.奥田民生「今日までそして明日から」
2.chay「結婚しようよ」
3.Mrs. GREEN APPLE「流星」
4.寺岡呼人feat.竹原ピストル「落陽」
5.鬼束ちひろ「夏休み」
6.一青 窈「メランコリー」
7.井上陽水「リンゴ」※既発音源
8.髙橋真梨子「旅の宿」※既発音源
9.德永英明「やさしい悪魔」※既発音源
10.織田哲郎「おきざりにした悲しみは」
11.THE ALFEE 「人生を語らず」
12.ポルノグラフィティ「永遠の嘘をついてくれ」

『今日までそして明日からも、吉田拓郎 tribute to TAKURO YOSHIDA』

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