追悼・ジョニー大倉が音楽家として残したもの アメリカンポップス伝道師の顔とは

 ロックバンド・キャロルの元メンバー、ジョニー大倉が11月19日に肺炎のため亡くなった。彼の名前は、ジャパニーズ・ロック成熟への種をまいたミュージシャンの1人として残っていくであろう。しかし、若い方にとっての彼はタレントや俳優業のイメージが強く、また多くの音楽ファンにとっても、ミュージシャンとしてのイメージはあくまでも“矢沢永吉とキャロルを組んでいた人”ではないだろうか。今回の記事では、ジョニー大倉が地道に残した音楽的功績についてお伝えしたい。

 ジョニー大倉ソロデビュー40周年記念スペシャルBOXセット『JOHNNY ROCK’N'ROLL』(12月24日発売)の充実した内容を見るまでもなく、彼の音楽活動歴はキャロル解散後の方がはるかに長い。その間に作られたオリジナル楽曲の多くは、甘いアメリカン・ポップス調のメロディに、英語と日本語が混在する独特の歌詞を乗せたものだ。このBOXセットで初CD化となる1977年のシングル曲「恋のまちぼうけ」、山一證券のCMに使われていたことでも印象深い「今宵はパラダイス」などが代表例である。

 キャロル解散後、矢沢永吉が歌謡曲の要素も取り入れた楽曲と海外レコーディングによる本格的なサウンドを結び付けて独自のロックを確立して行ったのに比べ、ソロ活動におけるジョニーはあくまでもルーツ音楽にこだわっていた。1976年に発表したアルバム『JOHNNY COOL』では、「ヘイ・レゲェ・ブギ・ウギ」というタイトルのスワンプ・ロックから始まり、全編レイドバックした南部ノリのサウンドを展開した。それはキャロルで表現していた初期ビートルズ的なイギリス発のロックンロールよりも、アメリカンポップスこそが彼のアイデンティティであることを伺わせている。

 ジョニーが作るソロの楽曲の多くは“ポップでファニー”。そのかわいらしさはどんなアップテンポな曲でもひたすら甘く響く、彼の歌声と作詞法によるところも大きい。キャロル時代には、そうしたジョニーの個性と矢沢永吉によるメロディアスでビートのある曲とのマッチングにより、洋楽ロックンロールの単なる模倣とも違う不思議なオリジナリティを生み出していた。「ファンキー・モンキー・ベイビー」「レディ・セブンティーン」「コーヒー・ショップの女の娘」など、洋楽ロックへの憧れと日本語で歌う必要性との狭間で作られたこうした曲たちは、この時代・この2人にしか生み出せなかったものではないだろうか。

関連記事

インタビュー

もっとみる

Pick Up!

「アーティスト分析」の最新記事

もっとみる

blueprint book store

もっとみる