VIVA LA ROCKプロデューサー鹿野 淳が語る、ロックフェスの「物語」と「メディア性」

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音楽雑誌『MUSICA』を発行しつつ、ロックフェスを積極的に手がける鹿野 淳氏。

2000年代前半のサマーソニックで、フェスのメディア性を実感した

――「物語」という言葉を今使われましたけれど、そもそもフェスにとって「物語」というものはどういうものだと考えているんでしょう?

鹿野:柴君はそもそも何だと思いますか?

――僕は、00年代というのは、ロックフェスがメディアになっていった時代だと考えているんです。フェスが音楽をショーケース的に紹介する場になったし、レジャーの場にもなった。そのことで、いわゆるシーンというものが可視化されるようにもなっていった。その上で、フェスにリピーターとして通う人たちが共有できるコンテキスト、その場に行くとわかる文脈が必要になった。それがいわゆる「物語」だと思います。成功したフェスにはそれが備わっていたと捉えているんですけれども、どうでしょうか。

鹿野:今話してくれたことをもうちょっと具体的に語りたいんですけど、フェスがメディアになっていってると自分が感じたきっかけは、サマーソニックだったんですよ。2000年を越えたあたりから、洋楽雑誌の売れ行きが厳しくなってきた。洋楽マーケットが衰退してきたとも感じたんですけど、その中で一番力を持っていると感じた洋楽メディアが、実はサマーソニックなんじゃないかということに気付いた。当時は、環境のフジロック、ブッキングのサマーソニックという風に言われていて。サマーソニックは都市型フェスだけあってブッキングに非常に力を入れていた。世界の洋楽シーンの動きを反映したアーティストをちゃんと呼ぶステージを用意して、その流れを見せることに力を入れていたんです。洋楽リスナーが「今年のサマソニのソニックステージに誰が出るのか?」に注目する時点で、そこが一番のメディアになってると思ったわけ。

――それが00年代前半の頃だった。

鹿野:ただ、それは洋楽シーンの中の出来事であって。邦楽の分野においては、当時自分がやっていた雑誌とフェスを比較した時に、まだ紙媒体のほうがメディア性は高いと自覚していましたね。ただ、2006、7年ぐらいから、邦楽シーンにおいても、紙の雑誌とロックフェスというものをメディアとして比べて考えたときに、パワーバランスがほぼ一緒か、むしろフェスのほうが高くなってきたという実感を、雑誌編集が一番の生業だと思っていた自分としては非常に残念ながら感じていて。ただ、その状況自体に根拠はすごくあるなと思ったんですよ。

――というと?

鹿野:当時は世の中のメディアについて、すべてネットというものを軸に語られる時代になってきた。ネットは非常に現場に近いメディアですよね、音にせよ映像にせよ。みんなが無邪気に、瞬発力を持って言葉を発することができる。それはメディアとして、空想したり妄想はたらかせたり、幻想を抱いたりさせる力を持っている雑誌などの紙媒体とは本質が違うと思ったんです。そういう新しい時代のメディアの変化と、フェスというもののメディア性が強くドッキングしたんじゃないかと思って。それをお客さんが誰よりも体感していることを2006~2007年ぐらいから感じるようになった。そこからロックフェスがメディアであるということが、開催サイドの思惑だけじゃなくて、お客さんとの共通事項になったという実感を覚えるようになりました。

――90年代後半から日本にロックフェスが根付いていく過程において、ロックフェスがメディア性を持ち得るということが、もともとの設計図の中に入っていたんでしょうか?

鹿野:それに関していうと、まず97年のフジロックが日本の現代ロックフェスの始まりになっていますが、フジロックはイギリスのグラストンベリー・フェスティバルという、非常に不自由で、だからこそ自由を感じる牧場でやってるフェスをモチーフにしていました。当時の日本で、ベックとレッド・ホット・チリ・ペッパーズとレイジ・アゲインスト・ザ・マシーンとザ・プロディジーとエイフェックス・ツインが一緒に来て、しかもそこにTHE YELLOW MONKEYとザ・ハイロウズと電気グルーヴとボアダムズが出て、それが2日間で行われるなんてことは考えられなかったんですよ。洋楽のアーティストが10人顔を並べるだけで異常な事態だった。まずフジロックがそれをやったことが0を1にした瞬間だったわけだから、そこにはメディア性も何もない、ただただ夢が実体になった瞬間でした。そして今度は2000年にクリエイティブマンがサマーソニックを立ち上げた。サマーソニックは、イギリスのレディング・フェスティバルというものをモチーフにして、都市型のフェスとして差別化した。99年には邦楽だけでフジロックみたいなフェスをやりたいということで、ライジングサンが始まった。そういう、いろんな固有の理由があってフェスが始まっているんです。

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