「アカデミックにVTuberを鑑賞する」とはどういうことか? 『VTuber学』著者が考える、バーチャルYouTuberの「鑑賞の態度」

バーチャルYouTuberの「鑑賞」を考える

研究者ならではのVTuber視聴基準を聞く

――研究者としてリサーチする上で、VTuberの事例を数多く集める必要があると思います。近年は供給過多ともいえるVTuber業界ですが、研究者として事例収集を行う上で、どのような基準で視聴するVTuberを選定していますか?

山野:今のところ、視聴する際の基準は3つ設けています。ひとつ目は「なるべく新人の方を見る」ということです。「#VTuber準備中」や「#新人VTuber発掘」などのハッシュタグ、あるいは企業勢ならプレスリリースから、新しくデビューするVTuberはできるだけチェックするようにしています。

 すべての初配信を見るにはさすがにリソースが足りないですが、少なくとも最初の5分だけは見るようにしています。一口に初配信と言っても、自分の好きなものやこれからの活動目標を話す人もいますし、自分の世界観やキャラクター性を強く押し出す人もいます。大きく言えば、これらは「アバター文化」と「二次元文化」のバランスの違いだと言えます。そうした初配信ごとの差異をチェックするだけでも意味があります。

 そしてその過程で、「見事な配信をされる方だ」と感銘を受けるVTuberの方もいます。例えば、私は特に“マスコット系VTuber”の方々をよくチェックするようにしているのですが、その中でも、2025年6月21日に初配信をされた「FIRST STAGE PRODUCTION」5期生のもふちゅ大佐の配信にはいつも感銘を受けています。詳しくはもふちゅ大佐の配信を実際に観てもらいたいのですが、愛くるしいマスコットキャラクターのような見た目にぴったりな「声」と「話し方」は、まさに「もふちゅ大佐」という唯一無二の存在を生み出しています。先日行われた「朝活ゲーム配信」(11月4日)では、過去最長の8時間超えを記録しましたし、11月11日の「ポッキー&プリッツの日」では、YouTubeのチャンネル登録者数が4000人を突破しました。「幅広いVTuberを観るようにする」という実践が無ければ、こうした出会いも無かったでしょう。

【#初配信 】しょくん!け~れ~!わがはいが、もふちゅ大佐である!【#もふちゅ大佐 / #いちプロ 】#いちプロ5期生デビューリレー配信

 2つ目の基準はデータです。様々なアプリなどから得られた情報で、追うべきVTuberをチェックしています。

 自分はとくに「ぶいまと!」を見ています。これは、様々なVTuberの配信状況を一覧でチェックできるアプリです。その上で、自分はXアカウント「ぶいまと!データ速報」の「再生率ランキング」に注目しています。

 再生率とは、再生回数をチャンネル登録者数で割った数値で、そのランキングはファンエンゲージメントの強いVTuberを示します。ここから、いままで発見することができなかったVTuberを発見できたりします。

 そして、再生率ランキングからは最新トレンドも浮かび上がってきます。最近だと、ある女性VTuberの方が、読み方のわからないガンダムシリーズの名称に触れる配信が何万回も再生されていて、その日の世界ランキング2位に浮上していた、なんてこともありました。当時、『機動戦士Gundam GQuuuuuuX』が大変流行っていましたから、その影響を受けてのバズりでしょう。

 あとは、最近チャンネル登録者数や再生回数が急増したVTuberの方の配信も観に行き、「何が要因となってそこまで数字が伸びたのか?」ということを検討するようにしています。自分があまり知らないVTuberの方だった場合は、特に綿密にチェックをします。直近の事例だと、「MAD TOWN」効果を受けて注目度が一気に上がり、11月6日に「チャンネル登録者数8万人耐久歌枠」を行ったメーメントヴァニタスさん(「無原唱レコード」所属)は衝撃的でした。もともとメーメントヴァニタスさんのYouTubeチャンネル登録者数は、10月1日午前0時の段階で13700人で、11月1日午前0時の段階で48300人ですので、「MAD TOWN」が開催された一カ月間だけで34600人の増加です(※独立研究者のmyrmecoleonさんよりデータ提供をいただきました)。そんな彼女の「8万人耐久歌枠」は同時接続数が3400人を突破、高評価数も5000を突破しました。

 実は、メーメントヴァニタスさんは、私が普段よく見ている「ぶいまと!」さんに登録されていないんです。何人ものユーザーの方々がアプリ内で追加要望を出されているのですが、おそらく、大変過ぎて運営の手が回っていないのでしょう。彼女は「MAD TOWN」でYouTubeチャンネル登録者数が伸びたVTuberのうち、増加率第三位の記録を持っているのですが、「ぶいまと!」さんの集計には載っていない……ということが話題になっていました(それに関する切り抜き動画なども上がっています)。このことから、一つのサービスだけを過信するのではなく、複数の集計サービスをチェックすることが大事だとわかります。

 3つ目は「ランダム性に頼る」ということです。例えば、XやYouTubeのアルゴリズムに従っておすすめされたVTuberも、自分がその時点で知らなければ積極的に見に行くようにしています。

 私はVTuberの方々を追うためだけのXアカウントを持っていますが、そのアカウントでは、見かけたVTuberの方々はすべてフォローするようにしています。また、YouTubeにおいても、見かけたVTuberの方々を全員チャンネル登録して、さらに通知もONにしています。おかげで、私のスマホは常に通知が鳴りっぱなしです。「20時」とか「21時」みたいなゴールデンタイムでは「着信が鳴っているのか」と勘違いするくらいに通知の振動でスマホが鳴りっぱなしですし、朝方からお昼にかけての時間帯は、北米圏や東南アジアのVTuberたちの「配信開始」の通知が多数来ます。もちろん、さばくべき情報が多すぎるという意味で負担はありますが、やるからには徹底的にVTuber文化の研究をしたいので、日々、VTuberの方たちのフォローを増やすようにしています。

 また、本気でVTuber研究を行っていくためにこのような実践をしているので、いわゆる「特定の推しを観続ける」みたいな視聴の仕方は一切できなくなってしまいました。一人のタレントさんを何時間も観ている間に、チェックすべき事例はどんどん情報の海の中に消え去ってしまいますから。なので、VTuber文化を観始めたときのように「このVTuberのコンテンツはすべて追うようにする」なんてことは、もうできていません。ただ、VTuber研究をするということは、そうした「推し活」的なVTuberの視聴習慣を諦めることなのだと思います。

――メディアも同様の視点を持たざるを得ないですね。特定の人のファンになってしまうと、どうしてもほかが見えなくなってしまいますから。

山野:これはメディアに限った話ではありませんが「言葉によるカテゴライズ」にも気をつけたいですよね。短い言葉で表さなければならないというのは承知の上ですが、それでも「言葉によるカテゴライズ」は様々な人々や事物の在り方を一緒くたにまとめてしまう力があるので、丁寧に行わなければ、しばしば非常に暴力的なものになります。また、ヒアリングやファクト調査を丹念に行っていないのに、個人の偏見や検索で読みかじった情報を無批判に投影した意見発信も、暴力的なものになりえます。あろうことか、そうした無意識のバイアスや議論の飛躍を「学者」の肩書きで正当化している(権威バイアスを利用している)としたら、それはもう研究者の姿勢として明らかに問題があると言わざるを得ないでしょう。

 文化を論じるということは、他者を論じるということです。他者の在り方を勝手に決めつけて断定してしまう言説が「悪」であるならば、文化を断片的に捉えて一方的に評価づけしてしまう態度も、同様に「悪」であると言わねばならないでしょう。

ネガティブな感情も、研究対象のひとつ

山野:私はVTuber研究を行う中で、この文化の良いところも悪いところも両方見えています。実際にライブ会場に足を運んで「近い距離」からこの文化を観測することもありますし、データやグラフなどを見て「遠い距離」からこの文化を分析することもあります。いわゆる「ファン」と呼ばれる人の言説も、いわゆる「アンチ」と呼ばれる人の言説も、両方注視するようにしています。

 こうした観測や分析の中で、大切だと思っていることがあります。それは、自分自身の感情や情動を「客観視」する(対象として捉える)ことです。例えば、ある特定のタレントの活動を見て、好ましく思うかもしれません。反対に、別のタレントの活動を見て、強烈な違和感を覚えるかもしれません。私たちは人間ですから、そうした感覚を覚えるのは当たり前のことです。「VTuber文化の営みが理解できる!」という肯定的な反応もあれば、「VTuber文化の営みが理解できない!」という否定的な反応もあるでしょう。

 このとき、大切なのは、そうしたポジティブないしネガティブな感情自体も研究対象にするということです。「VTuberが大好きだ」と感じるとして、それはいったいなぜでしょうか? なぜ実写的なアイドルにははまらず、VTuberにはドハマりするのでしょうか?

 反対に、「VTuberが嫌いだ」、「VTuberにハマる人間の気持ちが理解できない」と感じるとして、それはいったいなぜでしょうか? 他のものにはハマっているとしたら、それとの差異は何でしょうか? 反対に、何にも熱中できない(何のオタクにもなれない)としたら、それはなぜでしょうか?

 ポジティブな感情を持つことも、ネガティブな感情を持つことも、人間だから両方あるでしょう。しかし重要なのは、自分の感情が実際にどのように動いているのかという「心の動き」と、心に働きかけた「コンテンツの性質」の構造的特徴を捉えるということです。そして、そうした構造を理解していく中で、「だから自分はこのような体験をしたのだ/できなかったのだ」ということが分かれば、メタ認知が一歩前進したと言えるでしょう。研究者として求められるのは、こうしたメタ認知を進めていく過程であり、そうしたメタ認知を向上させるための議論的枠組み(説明図式)です。

 また、付け加えるなら、VTuberコンテンツの構造的特徴や歴史的文脈を調べていく過程で、(いわゆる)「ファン」としては知りたくもない情報に接することになるでしょう。私はすでに何千もの「アンチたちによるVTuberへの誹謗中傷」の書き込みを調査し、その特徴を分類・整理していますが、こうした作業は、純粋に「ファン」としてVTuberを応援していたり、当該のタレントを推していたりする人には耐えがたいものになるかもしれません。そうした点でも、VTuber研究をすると、いわゆる一般的なファンとしての通常の「推し活」は難しくなってしまうと言えるでしょう。

 ただ、私自身は「推し活」の延長線上でVTuber研究をするような方がいたとしても良いと思っています。もしかしたら、「VTuberを好きな人がVTuber研究をするとバイアスがかかる!」、「むしろVTuber文化の悪いところをまず見るべきだ! 批評とはそういうものだ!」と息巻く人がいるかもしれませんが、「VTuber文化の良さをそもそも理解できない」という態度も、「悪いところを見つけてやろう」という態度も、両方すでにバイアスにかかっています。

 重要なのは、「このようなバイアス(ないし前提)のもとで議論をしていませんか?」ということをお互いに指摘し合えるような仲間たちと慎重に議論を積み重ねることです。「あ、この人全然ふだんVTuber観てないんだろうな」、「この人、とにかくお金をもらうためだけにVTuber関連の原稿を引き受けたんだろうな」ということにピンと来てしまった場合は、そうした論考は信用しないようにしてください。VTuber研究は若干軽視されているところがあって、二、三個の事例をとりあえず取り上げておけば持論を展開できると思っている書き手がいます。それは「チェリーピッキング」というものです。そういう議論に騙されないようにする読者側のリテラシーも大切です。「この人の観測範囲、明らかに狭すぎなんじゃないか?」、「ただのこの人の偏見なんじゃないか?」ということを見抜く力がないと、簡単に「“自称”学術的な議論」に騙されてしまうのです。

 さらに、大切なことをもう一つ言わせてください。それは、ある特定の文化の「善し悪し」を判断する前に、まずその文化の構造的特徴や歴史的文脈を分析することを通して、「いかにその文化を記述することが妥当なのか」を慎重に検討するためのフェーズが存在するということです。

 例えば、「VTuber文化は悪い。なぜなら、アイドル売りをしてファンから金銭を巻き上げているからだ」という主張は妥当ではありません。なぜなら、そもそも「VTuber=アイドル」という前提がかなり一面的だからです。また、「VTuber文化は素晴らしい。なぜなら、人形劇や歌舞伎など、連綿と続く日本の伝統芸能を継承しているからだ」という主張も妥当ではありません。なぜなら、「VTuber=演劇」という前提もかなり一面的だからです。どちらの図式も、かなり極端な(しばしば暴力性さえ伴う)単純化です。評論家が「結論ありき」でこの手の議論をするならともかく、研究者が(学者の看板を掲げながら)この手の「単純化」を行うのは許されることではありません。「こうした見方から統一的にVTuber文化を捉える」という“大きなテーゼ”を主張したいなら、その視点を広範な事例に適用して、その説明方式がどこまで耐えられるのかを丁寧に検討する作業を継続的に行っていくべきです。研究者として「言いっぱなし」は許されないでしょう。

配信出演はフィールドワーク

――直近の山野さんは、hololive DEV_ISの儒烏風亭らでんさんの配信に招かれるなど、プレイヤーであるVTuberからのコンタクトも増えていると思います。そして、学術VTuberのムーブメントの興りのなかで、山野さんはまさに“渦中”だと思っているのですが、山野さんはご自身の周囲の受容をどのように受け止めていますか?

山野:「研究者は研究対象から徹底的に距離を取るべき」といった考え方もあります。そうした考え方に則ると、まずVTuberの方々と直接やりとりをするだなんてことは論外、ということになります。過去には「お前はVTuber文化に関して何一つ発言するべきではない」、「お前の研究者としての態度には問題がある」ということを(理不尽な言い分で)執拗に対面およびメールで言ってくる研究者さえいました。(その人物の問題行動については、すでに関係各所に共有済みです。)

――一方で、フィールドワークの側面もあると思います。分野によっては、フィールドワークがなければ研究として成り立たないですよね。

山野:仰る通りです。研究者としての配信出演は、VTuberの方に直にヒアリングができる機会でもあります。VTuber文化を論じるとき、当事者であるVTuber本人の声は非常に大切です。そうした目線が全くないVTuber文化論の方が、世間的には不審の目に晒されるのではないでしょうか? 椅子の上に座ったままアマゾンの奥地の研究ができますか、という話です。

 これはある種の民俗学的アプローチです。諸星めぐるさんの『Hukyu』(Gamabooks)がまさしくそうで、あの本は様々なVTuberから集めた“VTuber観”を束ねた、フィールドワークだと思います。

 自分もまた、民俗学的な研究スタイルを持っているのだろうと思います。実際、地域のフィールドワークに出向いた際、地元のお祭りに誘われたときに「研究者なので距離を置きます」と突き放したら、研究になりませんよね。実際に祭りのなかへ入り込み、自分で体を動かして、地域の人とコミュニケーションを取ることで、やっと見えてくる祭りの風景があります。また、そうした風景を単に部屋から窓越しに見ている人と、実際にそこに参加している人とでは、理解度はまったく異なります。

 もちろん、祭りに参加したあとに「楽しかった!」と満足するだめでは(研究者)としてはだめで、「いったい、なぜ自分はここまで高揚感を抱いたのだろう?」とか、「逆に、このお祭りにはある一定の排除の構造があるのではないか?」といった問いを立てることで、自らの体験そのものを研究の材料にすることが必要です。「実際の体験」と「メタ認知」が常にセットで必要です。

 このとき、ほとんどお祭りの知識がなかったり、ましてや現地にほとんど足を運んだことすらないのに、偉そうに「この祭りの本質はここにある」だなんて語る研究者がいたら、それこそおかしな話ですよね。

 また、祭りで演武をする人や、祭りを運営する方々から話を聞くことも大切です。祭りに参加する人の声や、むしろその祭りに反発心を抱いて参加しない人の声を聴くことも大切です。こうした姿勢が、VTuber研究においても必須なのです。

 もちろん、「この会社の社長がこう言っていたのだから、実際そうだったんだろう!」という仕方で結論づけてしまうことも避けられなければなりません。それらは重要な「証言」ですが、それらが自らの議論を支持する「根拠」になるかどうかは、慎重に議論されなければならないからです。また、「証言」にはある種の誇張表現や、記憶違いが含まれている可能性もあります。こうした「証言」をいかに取り扱うかという問題に関しては、歴史学、とりわけオーラル・ヒストリーの分野で蓄積があるので、そちらを参考にしてみるのが良いでしょう。

 VTuberの方とのコラボ配信は、まさに一緒になって楽しむ祭りに類似すると思います。その意味で、VTuberとのコネクションやコミュニケーションを重視するスタンスも、研究者として大切です。むしろ、象牙の塔にこもって机の上で文化をあれこれ論じる研究姿勢の方が危ういと言えます。「その説明方式は実態に即していない」という判断は、まさにその「実態」を観察したり、そこに飛び込んだりする経験がなければ修練されませんから。「こうした説明で合っているのか?」ということを慎重に導き出すためには、実態に即していない説明に対する「違和感」を働かせることが大事なのです。

 いま、私は共同的にVTuberスタディーズを行っていくための「場」を少しずつ構築しています。普段から、哲学研究者やVTuber研究者の方だけでなく、VTuberの会社を運営・経営されている方、VTuber業界に深く関連する事業を展開されている方、実際にVTuber活動をされている方々と連絡を取り、意見交換会の場を頻繁に開くようにしています。それは、様々な「声」を聴き、複数の視点を取り入れることで、研究者としての視点を硬直化させないようにするためです。具体的な社名を挙げることは控えさせていただきますが、いつも本当に貴重なディスカッションの時間をいただいております。そうした日々の信頼関係の中で、研究者としての責務を全うしていきたいと思います。

 「VTuberとは何か」、「VTuberコンテンツはいかに鑑賞されるのか」、「VTuber文化をいかに記述できるのか」、「VTuber文化の歴史はいかに物語られるのか」――今後もこうした根本問題に、仲間と共に取り組んでいきたいと思います。

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