「まともを笑えるようなことをやりたい」水溜りボンド・カンタ×令和ロマン・くるまが語る“YouTubeとお笑い”

水溜りボンドカンタ×令和ロマンくるま対談

 400万人超えのYouTube登録者を抱えるチャンネルのブレーン的役割を担い、「佐藤寛太」名義でミュージックビデオなどの映像作家としても目覚ましく活躍する水溜りボンド・カンタと様々な業界のクリエイターが、クリエイティブの源流を含む創作論について語り合う連載企画「クリエイティブの方舟」。

 第6回は、令和ロマン・くるまが登場。2024年の『M-1グランプリ』で史上初の2連覇を成し遂げたあと、活動自粛や事務所退所など人生において大きな転機を迎えたくるま。カンタとはともに1994年生まれ、大学のお笑いサークルに所属していたという共通点をもつ。今回は2人に、学生時代から現在〜未来のこと、そしてYouTubeとお笑いについて語ってもらった。(編集部)

2人から明かされた、意外な水溜りボンドの“原点”

ーーお2人は1994年生まれですが、くるまさんは浪人されているので同級生ではないですし、出身校も違いますよね。共通点といえばお互い“大学お笑い”をやっていたことだと思うのですが、ファーストコンタクトはどのタイミングだったのでしょうか。

くるま:最初にカンタさんを見たのは、僕が大学1年生のときですね。カンタさんの母校の青学(青山学院大学)や僕の母校の慶應義塾大学、そして早稲田大学と明治大学が集まってできた『CHAP』というユニットがあって、そのユニットライブにカンタさんが出演した際にお見かけしました。

 でもちゃんと話したのは、ナイチンゲールダンスのヤスさんが主催した飲み会で。カンタさんはぜんぜんご飯を食べてないし、お酒も飲んでないのに、割り勘させられてました(笑)。

カンタ:名前が出た『CHAP』に関しては、ライブをやるだけじゃなくて当時YouTubeチャンネルを立ち上げていて。色んなグループが曜日レギュラーを担当して動画を作っていくという活動を取っていて、水溜りボンドもそのなかの一組だったんですけど……誰もちゃんと更新してなかったよね。

くるま:そうなんですよ。

カンタ:僕らは動画を作れたからちゃんとやっていたけど、あまりに誰も更新しないから「もう自分たちでYouTubeやった方がよくね?」というのもあった。お笑いはもちろん大好きだけど、動画でも満たされる感覚があったし、この組み合わせは普通できないことだし。

 そんな状況で活動を続けるなかで『キングオブコント2014』では準々決勝まで進むことができたんですけど、そこから壁にぶち当たって。知名度とかもしっかり蓄えていかないといけないぞと、自分たちのチャンネルを作ったわけです。

くるま:そう考えると『CHAP』って意外と大事なトピックだったんですね……(笑)。カンタさんはあの時期に一番ちゃんとしていた人なんですよ。当時の慶應のお笑いサークルはとくに周りに馴染めない奴が集まっている傾向にあって。そんななか、青学は明らかにまともで人気もあって、ちゃんと青学の学生が見にくるみたいな。

カンタ:たしかに真空ジェシカのガクさんやさすらいラビーの宇野さんのような、すごく真面目な人たちが多かったかも。

 それで言うと、僕は近くにいた後輩たちのあいだで高比良くん(くるま)という名前をよく聞いていて。舞台上だとちょっと様子おかしいけど、すごくまともなイメージだったから、しっかり話せる人がいてよかったというところはあった。

くるま:そのときはヤバい奴になりたかったんですよね。そうじゃないとウケないというか……。

カンタ:それこそテレビで見てきた芸人さんとまたちょっと違うヤバさも感じたかも。「お笑いに命かけてる」雰囲気はあった気がします。

くるま:僕自身はヤバいふりをして頑張っていたけど、正直、根っからヤバい奴ではないので、無理して顔を白く塗ったりして……。途中で「俺、違うかも」と思いはじめ、いまのコンビではおとなしく漫才をするようになりました。

 そうこうしているうちに、暴れん坊たちが暴れきったのか、『M-1グランプリ2016』で正統派の銀シャリさんが優勝したからなのか、学生お笑いも一気に流れが変わったんです。いままで個性派に負けていた正統派の人たちが突然評価されるようになって。

令和ロマン・くるま

カンタ:あのころの学生芸人はみんな銀シャリさんの影響を受けているかもね。

くるま:そのあとシンクロニシティの西野さんが当時組んでた漫才コンビの30度バンクが学生お笑いの大会で優勝して、俺らもその恩恵を受けて、K-PROがやっている『レジスタリーグ!』とかで急に優勝できちゃったんですよ。そのあと3連勝して、そこから中心に入れてもらえました。

カンタ:面白い! でも大学お笑いは難しかったね。しっかりやっていても負けちゃうし、しっかりやらなかったらプロで通用しないこともあるから。それこそスパナペンチや真空ジェシカが人力舎に入って、初めての実例が出たみたいな。

 僕は当時、慶應とライブを一緒にさせてもらって上手くいかなかったときに、真空ジェシカの川北(茂澄)さんが裏で「よかったよ」って言ってくださったことがあって、このまま続けようと思った時期だった。

くるま:僕はたまたま流れが変わって、このままでいいかとなりましたけど、カンタさんはそこで違う能力と掛け合わせて、別のフィールドに行ったじゃないですか。そういうの、すごく尊敬しますね。

カンタ:嬉しい。でもね、大学お笑いというフィールドからYouTubeにいくって、セルアウトみたいに思われないかという不安はずっと付きまとっていたし、なんなら今も少しそういうコンプレックスはあるかもしれない。芸人さんもYouTubeをやっていない時代だったから、どう見えているのかはすごく怖かった。

くるま:先輩たちが水溜りボンドのトランプを投げてきゅうりを切る動画をみて、「どうしたんだ……」「何をしているんだ……」とか言ってましたよ。水溜りボンドはすごいのに、YouTubeの評価が極端に低いから、動揺してたんでしょうね。

 動画がすごく伸びてからは、僕の周りでも「あのとき俺たちもやっていればな」みたいに言っている人は多かったですよ。みんな羨んでました。

令和ロマンが“M-1戦士”になったのは消去法だった?

カンタ:僕はYouTubeでの数字が積み重なってからは、『キングオブコント』の予選には出ないようにしてた。出たら自分たちのファンの方たちが来て、出てきただけで喜んでもらえるみたいなことになっちゃうから。学生のうちにちゃんと収益を立ててプロになろうと思っていたけど、やっぱりちょっとどこかで芸人になりたくて。めっちゃ面白い学生お笑いの人たちがどんどん売れていって、俺たちは面白くないと思われたらどうしようとか、何百万再生とっても「裏でなんて言われているんだろう」とか、怖かった時期ではあった。

くるま:よくそれであんな大変なことをやり続けられますよね。

カンタ:まあ……。で、くるまくんは『M-1』チャンピオンでしょ? 去年ご飯行ったとき、たしか『M-1』目前で。いままで『M-1』を見てきたなかで2回優勝したコンビはいないから、難しいんだろうなと勝手に思っていたけど、めちゃくちゃ優勝したから。

くるま:めちゃくちゃ優勝しました(笑)。

カンタ:令和ロマンが勝ってくれるのは嬉しいよね。自分がやってきたこともちょっと肯定されるような気がして。仲間だと思う人がそこで結果を出すというのは誇らしかった。

くるま:本当に嬉しい。

カンタ:もうやりたいことないんじゃない?

くるま:やりたいことはもともと一つもないんです。“流され師”なんで、流されるままにやってるだけですよ。

カンタ:そうなんだ! 『M-1』を獲りたいとかもなかった? 漫才は好きでやっているわけでしょ?

くるま:もともと『M-1』を見たことがあんまりなくて、ネタもまったく知らなかった。バラエティで仕切っている人が一番偉くて、ネタをやっている人は「面白くないからなにか披露させられている」と思っていたんですよ。

カンタ:学校みたいな(笑)?

くるま:明石家さんまさんとかビートたけしさんとかは、学校の先生みたいなことじゃないですか。こういう方々が偉いと思っていたから、ネタを披露する芸人に注目したことがなくて、偉い人たちがなんて言うのかを見てました。

カンタ:でもその世代かもね。MCの人にネタを見てもらう時代みたいな。令和ロマンはもともとネタ至上主義ではなくて、バラエティという感じだったよね。

水溜りボンド・カンタ

くるま:そうですね。それで芸人になってから『M-1』は自分たちに向いているし、最初は『M-1』だけやっておくかみたいな。当時はオーディションを受けたり、お笑い第7世代が一気に注目された時期で、“次の第7世代”を探すための流れのなかでやるのは難しかったです。ものまねやショートネタとかをやって、TikTokも本当は頑張らなきゃいけなかったんですけど、そこでサボりすぎちゃって。漫才はちょっと上手だったからやっていたら、「M-1戦士だね」とか言われだしたんです。

カンタ:誰かがそう言ってくれたからここにいようと、ここで輝こうと思えたの?

くるま:輝こうというより「漫才だったら大丈夫かな」みたいな感じですね。なんかもう、頑張れなかったんですよ。こういうのをやってみようと思いついてケムリさんに言っても、反応がよくなかったらなにも始まらない。もうダメだと思っていたらM-1戦士扱いしてくれたんで、「これぐらいなら頑張れるよね」とお互いに確認して、『M-1』に挑戦した感じですね。

 なんとなくそれでいいやと思ってやっていたらコロナが流行って、その煽りを受けて。当時はバイトで月30万くらい稼いでいたんですけど、そのバイトもコロナで整理されてクビになって、SNSもやっていないから金ゼロ。国の補助金とか家賃補助を受けたときに、「ヤバい!」みたいな。

カンタ:最低限は生きてはいけるだろうみたいに思っていた?

くるま:生きていけないと思ったときに、芸人を辞めようと思ったんです。芸人になりたくてなったけど、テレビにいっぱい出れるわけじゃないし、なんとなく閉塞感があって。1年目はまだ稽古があったり、闇営業問題で会社も厳しくなって、しんどいなと思っていました。

カンタ:お笑い自体も大丈夫なのか、みたいな感じだったよね。

くるま:女性問題もお金関係も気をつけなきゃいけないというがんじがらめ状態で。だから今後どうしようかなと思っていたんですけど、その年の11月に『NHK新人お笑い大賞』でたまたま優勝できたんですよ。

 優勝できたおかげでコロナ禍でも劇場に呼ばれる数少ない枠に入れて、大阪の劇場にも呼んでもらえるようになって、ギリギリご飯が食べられた。これなら漫才で稼げると、俺が漫才に飛びついたんですよね。とりあえず稼がなきゃと思って、ケムリさんを「漫才だけやりましょう」と説得して。いろいろあったけど、漫才でギリギリ食べられるようになりましたね。

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