『FFT』が教えてくれた歴史フィクションの“愉しみ方” 「マクロな既知」と「ミクロの未知」を両取りで味わう甘美をもう一度

『FFT』に学ぶ歴史フィクションの愉しみ方

あなたはラムザでありラムザではない

 『ファイナルファンタジータクティクス』(以下、『FFT』)の主人公は、奇妙なかたちでわたしたちの前に姿を現す。

 あなたがタイトル画面で「NEW GAME」を選ぶと、まず、「イヴァリースの中世史を研究しているアラズラム」と名乗る歴史家がプレイヤーに語りかけてくる。

 いわく、かつてイヴァリースなる世界で獅子戦争という大戦が起こり、ディリータという平民出身の英雄によって平定された。「しかし、――」と、画面に金髪の人物のシルエットが浮かび上がる。

 近年発見された文書によれば、ディリータの影を生きたもうひとりの青年が存在したという。その青年は真の英雄とも、邪悪な異端者とも評価されている。デフォルトの名をとって、仮にラムザと呼ぼう。

 アラズラムはあなたをこう誘う。「どちらが(ラムザの)“真実”なのか? さあ、私と共に”真実”を探求する旅へとでかけよう」。そうして、「歴史の真実」を探求するための冒険がはじまる……のかとおもいきや、その前にアラズラムはこんなことをいいだす。

 「その前に貴君の名前と誕生日を教えてくれるかな?」

 いわれるがままに、あなたは主人公の名前と誕生月日を入力させられる。

 ……エッ? 待ってほしい。すこし、整理させてくれ。

 「さあ、私と共に」とアラズラムから呼びかけられたあなたは、あきらかに獅子戦争の「あと」から過去のラムザの物語を俯瞰する立場にあった。つまり、歴史の観察者だ。ラムザではなかったはず。そんなプレイヤーのポジションを決めたのは、他ならぬアラズラム自身だった。

 なのに、舌の根も乾かぬ間に、この老人は「主人公」の名前と誕生日を入力してくれと気軽に乞うてくる。素朴なRPG観において、主人公の名前を入力する行為はプレイヤーが主人公にみずからを同一化させるための手続きのはずだ。

 『FFT』と同年に発売された『ファイナルファンタジーVII』における名前入力の流れと比べても、その異様さは明らかだ。当作のオープニングにおいて、主人公(デフォルト名はクラウド)は「元ソルジャー」という名無しの状態で現れる。テロリストとしてあるエネルギー施設を襲撃する過程で警備兵たちとの戦闘を通じ、プレイヤーにキャラを操作をさせ、ある程度「なじませた」うえで、テロリスト仲間に「で、名前は?」と訊ねさせて名前の入力画面へと移行する。

 なんというナチュラルさ。物語のレイヤーにおいても、プレイヤーの感覚においても齟齬は一寸たりとも生じていない。

 ところが『FFT』ではいきなりプレイヤーとプレイヤーキャラクターの境界が揺るがされる。

 あなたはラムザであるが、あなたはラムザではない。

 いったい、じゃあ、なんなのか。

 『FFT』とはなんなのか。

歴史フィクションとしての『FFT』

みんなのアイドル、アルガスくん

 わたしたちにとっての『FFT』とは歴史フィクションの愉しみを教えてくれたゲームだ。
 もちろん、『FFT』は架空の世界の物語には違いない。ファンタジーだ。剣と魔法だ。チョコボも出てくれば、魔人も出てくる。

 一方で、そこに描かれている権力闘争や陰謀劇は、紛れもなくわたしたちの世界でも演じられてきたもの(獅子戦争のモデルが『ゲーム・オブ・スローンズ』とおなじく薔薇戦争(※1)という噂は有名だ)だ。ディリータという立志伝的英雄譚や獅子戦争という時代をゆるがす大イベントの陰で、ほとんど「オリキャラ」のように自らの物語をつむいでいくラムザも、ウォルター・スコット(※2)以来のヨーロッパ的歴史小説の伝統から外れていない。

 歴史を題材にしたゲーム(特に戦略シミュレーションジャンル)は、事実の正確性とリアリズムを重視する。それはつまりヨーロッパ中心的で男性中心主義的な「伝統的」な歴史観に即るということでもあるのだけれど、一方でその枠内で歴史のプロセスをたどりつつ、過去におけるありえたかもしれない可能性を探求することもできる。

 歴史に「もしも」はない。だが、余白はある。フィクションはその余白に「もしも」を書き込む。

 実証主義的な学術の領域から離れての、歴史の余白についての語り直しは、かつて、クリエイターの特権だった。吉川英治が宮本武蔵を、司馬遼太郎が坂本龍馬を「創造」したように、歴史もの・時代ものの創作者たちは題材となる時代や人物から与えられた要素から新しいイメージを創りあげていった。

 ビデオゲームはその特権の一部をプレイヤーに分け与えてくれる。

 本作を手がけた松野泰己氏(※3)の前作にあたる『タクティクスオウガ』では、ルートの分岐があった。プレイヤーの選択によって途中の物語が劇的に変化し、クリア時の条件でエンディングも微妙に違ってくる。このドラマティックさはプレイヤーにまさしく主人公として自分の手で歴史を創りあげていく感覚を与える。

政治・宮廷劇としての『FFT』

 かたや、『FFT』のストーリーは一本道だ。けれど、このことは『タクティクスオウガ』と比べたときの物語体験の貧しさを意味しない。歴史フィクション的な体験においては、むしろプラスとなる。

 歴史フィクションを読むとき、わたしたちは史実と呼ばれる大まかな流れを知っており、荒唐無稽な伝奇時代ものでさえ、その流れから最終的には逸脱しないと了解しつつ読んでいく。アリストテレスは「歴史家は実際に起こった出来事を語り、詩人は起こるであろうような出来事を語る」と語る(『詩学』三浦洋・訳)。いってみれば、歴史フィクションとは歴史と詩(フィクション)のいいとこどりだ。

 松野泰己を始めとした制作陣が緻密に造りあげたイヴァリースは、架空でありつつも、信じるに値する重みを持っていた。そんな世界で、一本道のシナリオをまっすぐなぞっていくことは歴史フィクションの読書行為と重なるだろう。

 そのうえで、『FFT』は史実たるストーリーの合間にプレイヤー独自の体験を描く余地も残している。

 たとえば、パーティメンバーたちとの交流。無個性な顔グラフィックとランダムな名前しか持たない汎用ユニットであるかれらと、通常戦闘や育成や編成画面上での会話や派遣クエストの報告などを通じて交流し、そのプレイヤーだけの特別な関係を築いていく。その各キャラとの関係が、本来システマティックで無味乾燥な戦闘において「あいつが助けてくれた」「こいつを死なせてしまった」というドラマを生み出していく。あなただけの、歴史書には記されないドラマだ。

過去は再読される

 マクロな既知を俯瞰しつつ、ミクロな未知に胸踊らせる。

 『FFT』は歴史フィクションそのものだ。すくなくとも、『ファイナルファンタジー』という看板に誘われて遊びはじめ、歴史SLGとはまた違った形での歴史と戯れることの甘美さをわたしたちに教えてくれたのは、このゲームだった。

 あなたはアラズラムの講釈を受けるプレイヤーでもあり、ゾディアックブレイブの秘密を追うラムザ・ベオルブでもある。観察者であると同時に、観察されている登場人物だ。そうなると、見下ろしクォータービュー視点の戦闘マップも単なるジャンル的な慣習ではなくて、「全体を俯瞰しつつ個人に入りこむ」という体験の一環であるとさえ思えてくる。

 ゲーム本編中でも、視点の二重性は発揮される。戦闘やカットシーンはラムザのいた獅子戦争時代のレイヤーで語られる。しかし、ひとたびワールドマップのメニュー画面から「ブレイブストーリー」と呼ばれるキャラクター事典にアクセスすれば、ひょっこりアラズラムが顔を出してくる。そして、「歴史上の人物」であるキャラクターなどを紹介していく。

 参照する物語のレイヤーを自由に行き来できるのも、またプレイヤーならではの楽しみだ。

ブレイブストーリー機能での人物紹介。アラズラムが語るという例

 歴史は物語ではない。けれど、歴史となる物語はある。『FFT』に始まったイヴァリースアライアンスは『ベイグラントストーリー』、『ファイナルファンタジータクティクスアドバンス』、『ファイナルファンタジーXII』、そしてアライアンス外にある『ファイナルファンタジーXIV』をも巻きこみながら、そのサーガを刻みつづけてきた。

 そうして、いまや、事実上二度目の復刻となる『FFT』。その物語は、広く知れ渡っている。

 だから、もう一度読むのだ。歴史のように。
 
 あるいは初めて読むのだ。物語のように。

 新しく始めれば、またアラズラムが呼びかけ、誘ってくれる。何度でも。


※1 薔薇戦争:1455年にイングランドで発生した内乱。赤い薔薇を紋章とするランカスター家と、白い薔薇を紋章とするヨーク家が王位を争った。

※2 ウォルター・スコット:『ウェイヴァリー』『湖上の美人』などの代表作で知られるスコットランドの小説家・詩人。

※3 松野泰己氏:『FFT』のディレクター・脚本を務めたゲームクリエイター。クエスト在籍時に『タクティクスオウガ』を手掛けた直後、スクウェア(現スクウェア・エニックス)に入社し『FFT』の開発に携わる。

参考文献:
Diana Cristina Răzman. “REPLAYING HISTORY:Accuracy and Authenticity in Historical Video Game Narratives.”(2020)
イヴァン・ジャブロンカ. 真野倫平訳.『歴史は現代文学である―社会科学のためのマニフェスト』名古屋大学出版会(刊行2018, 原著2014)

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