ひとりで遊ぶゲームは楽しくて自由なんだーー数か月ぶりの格ゲーで感じた、“無機物とのふれあい”の安心感

格ゲーで感じた“無機物とふれあう”安心感

 ここ数か月、仕事でドタバタしまして、身内の不幸が重なるなど、思ったより忙しくなってしまったわけです。それで、この連載も何回もお休みをいただきました。けれどいま、ようやくこうして原稿を書く段になってみると……いやいや、忙しいと言いつつ時間は充分に確保できたのでは? と思えてなりません。ゲームができず、よって原稿も書けていませんでした。けれど少なくとも、子どものころの情熱があれば、確実にゲームはやっていたでしょうし、なんなら原稿も書けていたはずです。

 ここで私の悪い癖が発動しました。「俺は本当にゲームが好きなのだろうか?」という自問自答を始めてしまったわけです。「本当にゲームが好きな人間なら、もっとできるんじゃないか?」「そんな人間が偉そうにゲームについての記事を書いていいのか?」こんなふうにゲーム全般、さらには記事を書くこと自体との向き合い方を考え始めると、いよいよアカンのです。悩みながらも進める人もいれば、悩み始めると全機能がストップする人もいます。私は完全な後者です。自分の全機能が停止して、次に問題からとりあえず目を逸らします。しかし問題は消えるはずもないので、それが脳の隅っこに居座って、徐々にこっちにプレッシャーをかけてきて……。私は十年ほど前から鬱病とお付き合いをしているのですが、だいたいこういう流れで発病・再発してきました。

 いまの自分はダメっぽい流れだなぁと、また悩んでいる間に、せっかくできた時間を食い潰しそうになりました。これはいかんとゲームを起動して、『ストリートファイター3』に挑戦です。しかし、不安ばかりが積もります。なんならゲームを起動するのが憂鬱でもありました。プレイの空白期間も数か月は空いていますし、思いどおりに動かせないんじゃないかと。練習して、やっと通常技も必殺技も出せるようになって、ボスとも戦えるようになったのに、あの努力も全て無駄になったのではないかなと。しかし結論から言うと、それらは杞憂でした。いや、むしろ逆と言いますか……。

 以前に練習していたとおり、ダッドリーを選んで、アーケードモードをやってみたんですよ。そうしたら、まず出せないかもと不安に思った技が、すべて出せたんですね。自転車の乗り方みたいなもんで、体が覚えていると言うか。ちゃんと覚えたとおりにコマンドを入力すれば、思ったとおりに動かせて、しっかり勝てました。さらにそのまま(難易度は一番低くしてますが)負けなしでボス戦まで行って、普通に全クリできました。「ああ、無駄にならなかったんだなぁ」と安心しまして。そして思ったのです。ゲーム……というか、本や映画、物言わぬ「無機物とのふれあいで得られる安心感」ってあるなぁと。

 心が疲れたとき、いろいろな対処法があります。薬を使った治療はもちろんとして、あとは他人との会話も重要です。専門家とのカウンセリングや、普通に友だちと話すのも、自分の考えを整理する効果があったり、癒しとなるでしょう。そういう人と話すことで得られる安らぎはあります。ですが逆に、機械的な優しさというか、無機質な安らぎってあると思ったんですよね。ゲームは基本的にコマンドを入れたら、そのとおりに動くようになっています。加齢のせいで手が滑ることが増えてきたり、勃起不全に悩んでいる昨今、ある意味でゲームは自分の体以上に自分の感覚どおりに動いてくれるわけで。これが心地よいわけです。もちろん負ければ悔しいですが、それ以上に自分の思うとおりにキャラクターが動くことが気持ちいい。ひとりの世界に籠って、じっと集中する楽しさを思い出し、自由であると感じることができました。そして身も蓋もないことを思い出すわけです。「やっぱゲームって、面白いんだなぁ」

 というわけで、再び『ストリートファイター3』を遊ぶ毎日が戻って参りました。ノーミスでラスボスまでは行けるようになってきたので、次はそろそろゲーセンに行ってみようと思います。乱入してくる他プレイヤーに勝つ自信はありませんが、昔の夢だった「ゲーセンで『ストリートファイター3』を全クリア」がイケるかもしれません。もしも途中で負けたって、きっと楽しめるはずです。だってゲームは面白いんですから。

人生は何事もトライ&エラーである――中年男性が四半世紀ぶりの格ゲーで思い出した敗北の大切さ

連載「38歳からのゲーセン入門」では、約20年の時を経て『ストリートファイター3』で技が出せるようになった筆者の挑戦をつづってい…

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