映画『PERFECT DAYS』共同脚本・高崎卓馬「心が向かう方向に進んでいたらこうなった」 放送作家・白武ときおに語る“完成までの道のり”

白武ときお×高崎卓馬が語る完成までの道のり

ヴェンダース監督を口説き落とした方法

白武:ヴェンダース監督にはどうやってお願いされたんですか?

高崎:最初に、柳井さんがとても深くて愛のある手紙を書いて、僕がそこに断りにくい企画をつけたんです。僕は、大学時代にヴェンダースの映画を観て、8ミリフィルムのカメラを買って、自主映画を作っていたんです。それで今の会社に入って、映像の仕事をするようになった。だから僕の第一歩はヴェンダースなんです。

 当時ミニシアターブームがあって、なかでもヴェンダースは神格化されていたと思います。『ベルリン・天使の詩』の頃とか。その前に作っていた作品もすべてミニシアターで上映されるようになって、常に満席でしたね。日本ではとりわけ人気だったんじゃないでしょうか。

 僕も多分に漏れず影響を受けて、いまの仕事をしながらも、ヴェンダースのインタビューや本をずっと読んできました。だから、ヴェンダースは自分のことをよく知っていると驚いていました。

 だから、彼が次にやってみたい企画やアイデアは、なんとなく想像がつくんです。そこに触れるような手紙を書けたんだと思います。

白武:熱量がすごいですね。そういうお願いの仕方って特別なパターンですか?

高崎:他の仕事も基本的には同じです。あまり人任せにしないように気をつけています。
いつのまにかいなくなる偉いひとが苦手で。逆の立場で考えると、考えた人間が最後の
最後までいたほうが安心ですよね。キャスティングも、キャスティングディレクターの元川さんと一緒にまわりました。直接お会いすると、やる、やらないだけじゃなくて、不安の量とか覚悟の質とかいろんなものを感じることができるから、プラスがたくさんあります。

白武:熱量で押し切ってしまうようなことはありますか?

高崎:あまりないと思います。ダメな場合はすぐに引きます。ああ、縁がなかったなと。
縁のないものを無理やりやるとあとでそこから亀裂がはじまるので。普段のプレゼンでも
説明しながら「あれ?違ってたかも」と思ったらそこで案をひっくりかえして、別の案を考えながら説明したりすることもあります。

 自分のアイデアのどこに固執すべきか、どこまで柔軟でいるべきか、はとても大切な線があります。一般的にとか、過去こうだったという理由の場合は理由として不健全な気がするのでかなり抵抗しますが、もっと根本的な部分だったり、目の前にいるひとの本心から来てるものの場合は、固執するべきじゃないと思っているので、普段のプレゼンや撮影でも「違うな」と思ったらその場でひっくり返して改めて立て直すようなことをしますから。

白武:それができるのはすごいですよね。始まってしまっているのに。

高崎:いままでの積み重ねで、聞いてもらえることをわかっていたり、僕が逃げないってことをわかってくれていたりする関係値があるからですね。許してもらえる関係値ができていることは大事だと思います。もちろん考え抜いたり、確認し尽くしたりはした上で提案しますしね。

 大先輩の演出家の方から「本当に正しいことは、どのタイミングで言ってもいい」と教えられたんです。でも、それが本当に正しいのかはみんなで考えなきゃいけない。みんなが本当に正しいと思うならそうなるし、それほどでもないことなら「やめろ」と言う人が出てくる。それを絶対に忘れないようにして、多少嫌がられても手を挙げるようにはしています。

クリエティブディレクターの高崎卓馬を作った“電通での最初の配属”

白武:僕はいま33歳なのですが、高崎さんが33歳の頃は何をされていましたか?

高崎:ようやく自分の仕事がなんとなく形になり始めたのが、その頃だと思います。僕は映像の仕事がしたくていまの会社に入ったんですけど、コピーライターとしてアートディレクターの下に配属されたんです。

白武:それは珍しいことなんですか?

高崎:めちゃくちゃ珍しいですね。普通だったらそもそも、コピーライターだったらコピーライターの下、プランナーだったらプランナーの下につきますから。

 でも結局のところ仕事は複合技だから、いろんなことを知って経験を積まないと、コントロールできないんです。その周辺の匂いだけ嗅いだ感じの人間になっちゃって、企画ができなくなるから。

白武:じゃあ、最初にその配属になったことは結果的に良かったんですか。

高崎:とても良かったです。当時はまだポスターとかに自分の書いたコピーを写植で、原寸で作ってレイアウトなどを確認していて。それを先輩アートディレクターたちと一緒に見ながら進めていました。おかげで、アートディレクターの思考回路とか、広告が出来上がっていく流れが、よくわかりました。

 たとえば、四隅にものがあると角が行き詰まった感じがして風通しの悪いものになるとか、人間が広告を見る順番の中に興味を持つ瞬間と失う瞬間があって、そこで興味を持たれる効果的なキャッチコピーの使い方とか。広告に対して人がどう接するのかを直接学ぶことができたので、すごく勉強になりました。

白武:かなり鍛えられたんじゃないでしょうか。

高崎:本当にコミュニケーションの超基本を、グラフィックの制作を通じて学びました。映像にしても基本的にはやっぱり複数枚の絵でできている。ビジュアルでコミュニケーションをするというのはどういうことなのかを、学習できた時間だったかもしれないですね。

 そうしているうちに、アートディレクターが呼ばれているキャンペーンの仕事のときに、僕がCMの企画も出すようになって、「そういうのをやりたい奴なんだな」と次はプランナーから呼ばれるようになって、企画を出すようになっていったのが、いまのキャリアの始まりだったと思います。

白武:高崎さんはCMだけでなく、小説や舞台なども手がけられていますけど、そういった方は社内によくいるんですか?

高崎:僕の先輩たちには自分の作品も作るクリエイティブな方がいました。でも僕の場合は、自発的にというよりも縁やタイミングがあって、課題をいただいて、それを最適な形にする手段として小説や舞台などにしているだけなので。

 だから「映画を作りたい」と思って映画を作るというよりは、目的のためにその手段を選んでいる。手段と目的を混同しちゃうのが、なんとなく自分はあんまり好きじゃなくて。そこの線引きをちゃんとしていたほうが、魂が健全でいられる感覚があるんです。

白武:魂が健全、というのはどういうことでしょうか。

高崎:たとえば賞を取ることが目的になったりすると、簡単にいうと、作り手としての「ダークサイドに落ちる」と思うんです。手段を目的にして躍起になってしまうと、作っているもの自体があんまりハッピーじゃないなと。当然、できあがったもののクオリティのほうが大事じゃないですか。

白武:でもやっぱり若いうちにカンヌの広告賞とかを取って、早く一丁前になりたいとか思いそうなものじゃないですかね。

高崎:もちろんそのことによってもらえる大きなチャンスはあるし、打席が増えるきっかけにもなると思いますが、同時についてくる責任もある。認知されて、自由と責任が手に入って、仕事のサイズが大きくなったときに、それでなにをやるかということがやっぱり問われる。

 結局は、仕事が次の仕事をくれる。賞を取ることが目的になったらそれがゴールになってしまうから、僕はそこで終わりたくない感じというか、ずっと山を登っていたいので、ゴールを決めたくないのかもしれません。

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