VR/触覚研究者・亀岡嵩幸に聞く、“バーチャルと身体の現在地“ 「とても良いデバイスでなくともいい、将来の土壌を作ることが重要」

“バーチャルと身体の現在地“

 以前からも徐々に注目を集め始めていたものの、2020年からのコロナ禍以降、爆発的に注目を集めている「VR」や「メタバース」といったバーチャル空間に関連するキーワード。

 バーチャルの世界は広がり続けており、我々はHMD(ヘッドマウントディスプレイ)を装着してさまざまなコンテンツを体験することができるようになった。アトラクションや絶景を楽しんだり、友人知人や知らない人とのおしゃべりに興じてみたり、ファッションや睡眠など……その内容は多岐にわたる。視覚と聴覚を存分に活用したそれらの体験が、まさに“新たな世界”を見せてくれるものであることは疑いようがないだろう。

 一方で、“現実感”についてはどうだろうか。我々は誰かとハグをした際の暖かさに安堵し、手に触れることで「そこに在る」と認識する。バーチャルにおける体験が、より身近に感じられるために必要なものとは、“感触”なのではないだろうか。

 今回、リアルサウンドテックでは、VR/触覚の研究者・亀岡嵩幸氏にインタビューを実施。同氏が研究テーマである「粘着感」に出会ったきっかけから、各所で話題になった「失禁体験装置」のこと、研究が進むことで訪れる未来とそのキーポイントまで、たっぷりと話を聞いた。

亀岡嵩幸/ふぁるこ

■亀岡嵩幸/ふぁるこ

 VR/触覚研究者。VR、Hapticsをキーワードに研究開発を行う。2014年より「失禁体験装置」の開発に着手し、多数の賞を受賞する。本装置は現在も開発を継続しており、医療・介護・エンタメなど様々な領域への応用を進める。
またVR環境を利用したイベント運営やコミュニティ形成を得意としており、全てのプログラムをVR空間で行う「バーチャル学会」を運営している。
人体の感覚メカニズムに基づいた物理デバイスの開発と電脳空間の活用という異なるフィールドにて活躍する。
2023年4月からは筑波大学の応用触覚研究室に所属、研究員を務める。

「触覚は五感の中でもとくに“人間の心を大きく動かす体験”」(亀岡)

――亀岡さんは2018年時点で「粘着力分布計測によるスキンケア製剤のべたつき感の評価」「失禁体験装置:尿失禁感覚再現装置の開発とその応用」という論文を出されていました。まずはこれらの分野に興味を持つことになったきっかけ・バックグラウンドについて聞かせてください。

亀岡嵩幸(以下、亀岡):2016年に当時所属していた電気通信大学の梶本研究室に入ったんですが、これから研究に初めて携わるというタイミングで、梶本裕之先生から「粘着感」というテーマを提案していただいたのがきっかけです。これは人間の触覚を応用するというよりは、もっと原理的な部分から解明していくというテーマで、計測をして人間の主観的な感覚とデータをマッチングさせることで、どのように人間の触覚に影響を及ぼすのかを調べていくというものです。

 最初はハードウェアではなくアプリケーション寄りの研究も検討していたんですが、実際にこの研究テーマに取り組んでみるとロボティクスと認知心理学の両方に携わる研究テーマとして非常に面白いなと気付きました。

 「失禁体験装置」の方は2014年くらいから取り組んでいたのですが、VR空間における触覚や感覚に興味があり、自主的に作っていたのが始まりでした。なのでどちらかというと、エンターテインメントコンテンツを開発したりロボティクスに触れる楽しさを経験した上でトピックとして「失禁」を選んでいます。「失禁」感覚の再現に取り組んでいる人がまだ誰もいないし、これが実現できたらなかなか面白いのではないかと。

――そもそも「触覚」に興味を持った理由というと、どんなものがありますか?

亀岡:触覚は五感の中でもとくに“人間の心を大きく動かす体験”だと感じているんです。「失禁」なんかもその一つで、温度を出すということはさまざまな体験のなかでも大きいと思います。たとえば人に触られたときの感覚、触覚的には「温度」「圧力」など細かく分解できるんですが、個人的にはそのなかでも「温度」が一番人間の知覚に影響を及ぼすのではないかと。ほかにも、ジェットコースターなどはガタガタと振動があったり加速度を感じたりと、触覚的な感覚の領域だと思っていて。「触覚を使った体験」は特に感情を揺さぶる体験として、エンターテインメントに大きく貢献できる分野なのではないかと思っています。

――たしかに映画でも4DXでは風が吹いたり、霧吹きのように水が出てきたり、あるいは熱風が来るといった触覚に作用するものがあり、とくにアクション映画やホラー映画などでは効果が大きそうです。触覚は五感の中でも外的にアプローチできる一番効果的な方法なのかもしれないですね。

亀岡:そうですね。視覚や聴覚の体験とはことなり、触覚は人間のフィジカルに直接的な影響を与えるので、人間の感覚としても危機意識が働いたり「対応しなくては」という風に思わせる効果があるのかなと。人とのコミュニケーションにおいても、視覚や聴覚だけのコミュニケーションからより親密な領域に行くためには握手をしたり体が触れるなどの触覚的な交流は大事で非常に効果的なアプローチだと思います。

――亀岡さんが研究されている触覚のテーマのうち、「粘着感の計測」と「Haptopus:吸引触覚提示装置を内蔵したHMD」は密接に繋がっていると思うのですが、前者のテーマから後者のテーマに派生していくまでの考え方の変遷についても伺いたいです。

亀岡:「粘着感の計測」と「Haptopus:吸引触覚提示装置を内蔵したHMD」には、共通している部分として基盤技術に吸引触覚が使われているということがあります。粘着感の計測は、最終的には粘着感覚を再現するために行っていました。粘着感覚を再現するには様々な技術が考えられるんですが、そのひとつとして吸引技術は使えるんじゃないかと思ったんです。

 一方で、Haptopus自体の着想は粘着感の研究とは別のところにありました。2016年から2018年にかけてのHMDが一気に普及し始めていた時期に「HMDを使ったVR体験に触覚体験をどう組み合わせると良いのか」という研究がたくさんあるなかで、吸引触覚提示装置をHMDに内蔵してしまえば装着感が改善されますし、触覚体験の普及にも繋がるのではないかと考えたんです。ここが根本になって生まれたのが『Haptopus』でした。

氏が開発した『Haptopus』(YouTube「WHC2021 Haptopus 2021/07/09」より)

 なので、元々得意としていた吸引触覚の技術を「HMDの方で使えるのでは」と思ったという点では2つの研究が繋がっている部分もありますね。

――Haptopusは吸引の強度によって、引っ張られるだけではなくて圧迫感覚も含めてコントロールができるんですよね。表面的にはいわゆる「受動的な触覚」を味わうものに見えますが、論文を見ると「バーチャルリアリティを用いた幻肢痛の新しい治療」を引用するかたちで義肢の感覚フィードバックや「触覚情報を異部位にて感じる現象(Referred Sensation)」を用いて、VR環境における手の触覚情報を転移させるとあります。新たな装置を使わない形でHMDの中にどう収めるか、視覚情報をHMDを介してどう手の感覚だと違和感なく思わせるかという点がすごく興味深く感じました。

亀岡:ありがとうございます。誤解なきように改めてご説明すると、VR環境で手でものを触ったときの指先の感覚を顔に出す「異部位触覚」の構想自体は最初から全く変わっていないんです。つまり「本来別の場所で感じた感覚を別の場所で提示してあげても問題ないんじゃないか」ということですね。これを基盤技術としておいて提案をしています。

 たとえば腕を切断してしまった人が顔を触られると「存在しないはずの部分の触覚を感じる」ことがある。それは、元々脳の中にあった“腕の領域”がなくなってしまったことで、その周辺にある“顔の領域”が侵食して、そう感じるのではないか?といった考えが異部位感覚の原理になっているんです。なので私の研究では、そもそも顔と手の領域が近いのであれば、健常者の人であっても「手でなにかを触っている映像」を見せながら顔に触覚的なアプローチをおこなうことで、手の触覚として違和感なく感じることができるのではないかということを考えました。HMDの中に触覚体験の装置を組み込むという提案はたくさんあるんですが、「顔で感じる感覚をそのまま顔に出す」というものが多く、そのなかにおいてこの研究の新しい部分は、能動的な手の触覚を顔に出せることになります。

 それから、この論文で提案しているように、手の感覚を顔に出す装置をHMDに内蔵することによってデバイスが少なくなるというメリットがある。今後、HMDが普及していくにあたって、コントローラーはなくなっていくと思っているんです。そういったときに、手の触覚を顔に出すのが一番楽なのではないかと思うんですね。

亀岡嵩幸/ふぁるこ

――今後コントローラーはなくなっていくと思うというお話もありましたが、コントローラーがなくなることによって触覚はどういった役割を担っていくことになるとお考えでしょう?

亀岡:「コントローラーが使われなくなった未来はどうなるのか」と考えたとき、たとえばVR環境の中でボタンを押すというインタラクションをしたときに全く触覚的なフィードバックがないのであればそれは味気ないですし、ミスタイプや誤操作も増えてしまうだろうと思うんです。私の研究している技術はそういったところに貢献できるのかなと思っています。

 ただ工業的な面も考えていくと、実装段階で触覚技術がどれくらい必要かというのは結構難しい話だとも思っていて。たとえば触覚がなければ映像などでその分を補正をしたり、AI技術や機械学習で人間の動きを予測することでそもそも触覚がなくともミスタイプをなくしていったりと、方法はあると思うんです。そうなったときに触覚がどう関わっていくかというと、なんとなくクリック感が気持ちいいみたいな、人間の主観的な感覚として重要になってくると考えています。

 コストの面も考えると、それに見合わない研究内容を実装していくのは難しいでしょうからね。開発者と研究者が一緒になって、よりよいデバイスの設計をおこなうのが理想的ではないでしょうか。そういう風にすれば「仕事の効率が良くなるわけではないけれど、体験として楽しかったりモチベーションが上がるよね」「これくらいまでなら入れられそうだよね」といった形で、相互にバランスを取りながら実装を進められるでしょうから。

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