Kan Sanoが語る音楽制作と機材 宅録で作る“生のグルーヴ”とサウンドの軌跡

Kan Sanoが語る音楽制作と使用機材

 音楽家の経歴やターニングポイントなどを使用機材や制作した楽曲とともに振り返る連載「音楽機材とテクノロジー」。第9回はキーボーディスト/トラックメーカー/プロデューサーとして活躍しているKan Sanoが登場。

 キーボーディスト、トラックメーカーとしてビートミュージックシーンを牽引する存在である一方、ピアノ一本での即興演奏でもジャズとクラシックを融合したような独自のスタイルで全国のホールやクラブ、ライブハウスで活動中のKan Sano。音楽制作のルーツから、いまお気に入りの機材とプラグインなどについて、じっくりと語ってもらった。(Interview: Kaz Skellington)

演奏家としてのスキルは録音を通してつけた

Kan Sano氏のYouTube

ーーKan Sanoさんのルーツからお聞きしたいです。音楽の世界に入ったきっかけを教えて下さい。

Kan Sano:最初は小学5年生ぐらいの時にミスチルが流行っていて、それでミスチルかっこいいと思い、初めて自分でCDを買ったことですね。そこから見よう見まねで、自分の曲を作詞作曲し、歌いながら楽器を弾いてみたいと思ったんですよね。そこで家にあったアコースティックギターを使って、曲を作るようになったのが、始まりでした。ピアノも家にあり、妹がピアノを習っていたこともあって、ピアノとギターを勝手に自分で触って練習していました。家にはラジカセもあったので、カセットテープに自分の曲を録音して、デモテープみたいなものを作ってました。

ーー小学生の時から友人に聴かせたり?

Kan Sano:してましたね。周りの友達に聴かせたり、親に聴かせたりしていました。反応は薄かったですけどね(笑)。だから人に聴かせるというより、自分が満足するものを作って、自分で聴くという感じでした。

ーーそのころから宅録精神があったのですね。

Kan Sano:そうなんでしょうね。自分の曲をちゃんと録音して形に残すということに最初からこだわりがありました。当時はCDの時代でしたけど、ちゃんとCDにして残すことにも憧れがありました。ラジカセが家に2つあったので、一個演奏したものを再生して、それに合わせて演奏したものをまた重ねて録音する、みたいなことをやっていました。あとで調べたら「ピンポン録音」と呼ばれてることを知ったんですけど、そういうことを自分で考えてやっていましたね。

ーーピンポン録音をご自身で考えてやっていたのですね……!

Kan Sano:知らずにやっていました。でも音をどんどん重ねていくと、最初に撮った音が劣化していくので、どうしたらいいんだろうと頭を抱えながらやっていましたけど(笑)

ーーそういった音楽制作をするうえで、先輩や憧れの存在は身近にいたのですか?

Kan Sano:いや、まったくいなかったですね。当時、僕は洋楽だとThe Beatlesなどが好きだったんですけど、そもそも周りに洋楽を聴いてる人がいなくて。バンドをやってる人もいなかったから完全に孤立してる感じで、学校が終わったら家に帰ってデモテープを作る、みたいな。小学校後半から中学校、高校もずっとそんな感じでした。

ーー機材が変わったり、パソコンをゲットしたりなど、制作スタイルがガラりと変わった瞬間は?

Kan Sano:中学生の時にヤマハのドラムマシンを買ってもらって、それを使うようになったんですけど、高校生になった時に『YAMAHA QY70』という小さいシーケンサーを買ってもらってから変わりましたね。本当に小さい機械なんですけど、いろんな音が入ってるんですよ。一通りシンセサイザーとかドラムとかも入ってて、それは自分の中では衝撃で「これでもうなんでも作れんじゃん!」と思いました。

ーーこれをドラムのシーケンサーとして使ってたんですか?

Kan Sano:ドラムもそうですし、ベースなども全部それで作ってた気がします。それと『YAMAHA MD4』っていう、MDカセットに録音できるMTR(マルチ・トラック・レコーダー)を買ってもらって作ってましたね。だから中学校まではカセットテープだったんですけど、高校からMDになりました。まぁ、MDの時代は一瞬で終わっちゃったので、高校時代の3年間だけでしたけどね。

ーー私も高校時代にMTRを使っていました。MTRはPro ToolsとかLOGICとかのDAWに比べて、ものすごく制限があるじゃないですか。その制限があるなかで、4トラックとか6トラックのみで作る経験が音楽制作に活きてると感じています。そういうMTRで制作していた世代だからこそ得たスキルみたいなものはありますか。

Kan Sano:いま振り返って思うのは、ずっと家で曲を作ってるだけで、ライブをしてないんですよね。高校入ってから大学のジャズ研の人たちとバンドをやるようになりましたけど、それ以前は家でずっと作ってるだけだったので、演奏家としてのピアノのスキルは録音を通してついたのかなと思います。パソコンで制作するみたいに、細かい修正とか録り直しとかがあまりできなかったから、録音ボタンを押したらとにかく弾ききるみたいな。その修正ができない状況で、頑張って弾ききろうとしていたので、その経験には鍛えられたと思います。

留学からDTMの世界に

ーーその後何歳のときに留学されたのですか?

Kan Sano:高校出てすぐ行ったので、18歳のころですね。

ーーMTRで培った演奏面でのスキルが留学時に活きてきたと思うのですが、その実感はありますか?

Kan Sano:そうですね。それ以外にも、高校でバンドをやるようになった時に、僕はその当時バンド未経験だったのですが、録音でずっと演奏はしてたので、割と対応できたというのもありました。

ーーちなみに実際にパソコンでDTMをやり始めたのはいつくらいの時期ですか?

Kan Sano:留学してからですね。ボストンのバークリーに留学して、その時にラップトップを買ったのがきっかけでした。OS10になった最初のMacのラップトップですね。OS10が出てすぐに買ったのですが、学校のMacはまだOS9だったので、仕方なく知人にOSを戻してもらった記憶もあります。

ーーその時はどんなソフトを使われていたのですか?

Kan Sano:Cubaseを最初に使い始めました。学校はDigital Performerでした。それと、学校の課題などで楽譜を提出しなければならないので、そういうのは全部Finaleという楽譜製作ソフトでやっていました。

 いまは譜面を書く機会がほとんどないのですが、書く必要があるときは 手書きで作ります。あとCubaseも今年の1月まで、15年以上使ってました。でも今年から実はLOGICに乗り変えたんです。

ーーなぜ乗り換えたのでしょうか?

Kan Sano:正直長いこと使っていたので、そろそろ変えてみたいなと(笑)。でも、僕は基本的にひとつのものを長いこと使うタイプだとは思います。

ーーちなみにバークリーではDTMについて実際に教わったりしましたか?

Kan Sano:そういう授業もあったんですけど、僕は選択していなくて。どちらかといえば、アレンジやスコアを書くスキルをメインに学んでいたので、DTMは完全に独学でした。

ーーバークリーに留学されていた2000年代中盤は、パソコンを持っていてDTMをやっている人はかなり少ない時期ですよね?

Kan Sano:今ほどはいなかったですね。たしか初期の段階でGarage Bandがもうパソコンに入ってたんですけど、みんな使ってなかった気がします。でも2005〜2006年ぐらい、留学時代の後半になってくると、Garage Bandを使ってる人も結構出てきました。Garage Bandでちゃんとしたものを作る人も出てきて、そこから変わってきたと思います。

ーー当時現地のスタジオでレコーディングすることはあったのですか?

Kan Sano:スタジオは学校にたくさんありました。リハーサルスタジオとレコーディングスタジオが学校にたくさんあって。例えば学校でリサイタルをやるときは、リハーサルスタジオに入れますし、学校の課題で録音物を提出しないといけない時はレコーディングスタジオを使用できます。学校の他の科には、エンジニアリングの勉強をしてる学生もいるので、そういう人たちに録ってもらっていました。いろんな授業があったので、エンジニアの課題の為に録ることもありましたし、僕が受講していた作曲の授業のために録るようなこともありました。そういう意味では音楽を勉強するのに恵まれた良い環境でしたね。



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