渡邉大輔が論じる、ウェアラブルカメラGoPro最新機種「HERO7」が映画表現にもたらすもの

渡邉大輔が論じる、ウェアラブルカメラGoPro最新機種「HERO7」が映画表現にもたらすもの

他ジャンルと映画の交錯

 あるいは、以上のようなGoPro(的)映像の「規格化」は、――これ自体、デジタルメディア全般にいえる傾向ではあるが――(実写)映画のフォーマットに、別のジャンルやメディア、表現の文脈をハイブリッドに混淆させることも推し進めるだろう。

 たとえば、この点で興味深い動きは、近年、大きな注目を集めている、いわゆる「一人称シューティングゲーム」(First Person shooter/FPS)の映像を模したような、スペクタクルな一人称視点の映像を中心に展開される新世代アクション映画の台頭である。

 FPSとはその名のとおり、主人公=視点プレイヤー視点(FPV)でゲーム内空間を移動し、敵と戦うアクションゲームを指す。したがって、画面にはつねに主観キャラクターの身体の一部しか映らず、キャラクターの全身像が映りこむ「三人称シューティングゲーム」(TPS)とは区別される。いずれにせよ、このFPS特有の映像演出を明確に意識した映画が、21世紀に入ってにわかに目立つようになってきたのである。イリヤ・ナイシュラー監督による全編が一人称視点によって作られた奇抜なSFアクション『ハードコア』(Хардкор, Hardcore Henry, 2015)や、チョン・ビョンギル監督のサスペンス・アクション『悪女/AKUJO』(악녀, 2017)といった作品群は、その代表的な例である。

 いちおう断っておけば、これらのいわば「FPSゲーム的映画」の一人称視点の長回し映像は、たいていはCG処理がされており、『リヴァイアサン』のように、純粋にGoProで撮影された映像ではない。しかしながら、これらのFPSゲーム的映画のカメラアイもまた、従来のカメラワークではけっしてありえなかったような、ミニマムな機動性、身体=物体の動きに密着した視点を獲得しており、画面のルックにおいてGoPro映画とも多くの共通点をもつ(また、ここにはさらに、パソコンのデスクトップ画面上で全編が展開されていく昨今の「デスクトップ映画」の文脈も絡んでくるはずだが、それはまた別の話である)。

『悪女/AKUJO』(c)2017 NEXT ENTERTAINMENT WORLD & APEITDA. All Rights Reserved.

 今回のHERO7の高い映像補正機能やタイムラプス機能、ライブストリーミング機能などは、これまでのウェアラブルカメラ映像をより「シネマライク」なものに近づけていくだろうが、こうしたGoPro(的)映像の「シネマライク化」は、いま起こりつつある「映画とゲームの融合」という事態をも、ますます促進させていくきっかけのひとつになると思われる。さらにいえば、かつてレフ・マノヴィッチが記したように(『ニューメディアの言語』)、現代のデジタル映像の本質が(「実写」から離れて)アニメーションに近づいている――押井守のいう「すべての映画はアニメになる」――のだとすれば、GoPro(的)映画はゲームに加え、アニメーションとも一体化していくことになる。実際、「アニメーション美学」を標榜しているポール・ワードが、かつてジェイ・デイヴィッド・ボルターを援用して、ビデオゲームを「再メディア化したアニメーション」と定義したように、いま、インディペンデントアニメーションとインディペンデントゲームのコラボレーションが急速に進んでいることも知られている。

 いささか駆け足でたどってきたが、GoProによる映画制作が、今後、映画の規範的な位置をますます撹乱し、さまざまなジャンルや表現(ゲーム、アニメーション、ライブ配信動画……)の文脈を呼び込むことはたしかだと思われる。

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