渡邉大輔が論じる、ウェアラブルカメラGoPro最新機種「HERO7」が映画表現にもたらすもの

新型GoPro「HERO7」と映画表現

 9月末、アウトドア用ウェアラブルカメラ「GoPro」の最新機種「HERO7」が発売された。

【国内正規品】GoPro HERO7 Black CHDHX-701-FW ゴープロ ヒーロー7 ブラック ウェアラブル アクション カメラ 【GoPro公式】

 今回、新たにつけ加わった機能のなかでも、とくに注目されているのが、いわゆる「ジンバル」(手ブレ補正器具)なしでも映像がまったくブレない、「スーパースムース」と呼ばれるものであるらしい(「Black」のみ)。

 従来のGoProとの比較映像を確認してみると、たしかに新機種では、画面のブレが圧倒的に少なく、激しい動きのPOVショット(一人称視点)でも、はるかにクリアな映像の撮影が可能になっている。こうした完璧なまでに手ブレ補正が効いたウェアラブルカメラの登場によって、今後の映画制作にはどのような変化が起こるだろうか?

HERO7 TimeWarp - Hyperlapse without a Gimbal

 とはいえ、筆者はカメラマンでもエンジニアでもないので、純粋に技術的な側面から、その画期を語ることは難しい(この点は、編集部にも断っている)。このコラムでは、おもに筆者の専門である映画批評や映像メディア論の視点から、今回のHERO7の普及によって、映画の演出や表現に起こりうる変化の可能性について、素描的に考えてみたい。

GoPro映画のポストカメラ的なインパクト

 映画ファンにはすでに知られていることだろうが、もとより、GoProを使った映像撮影は、ドローンと並んで映画や映像業界ではいまやすっかり一般化しているといってよいだろう。この、本来はアウトドア撮影を目的とした防水機能つき超軽量小型カメラが発売されたのは、2000年代なかばのことだが、その後しばらくして、映画の撮影にも用いられることになる。

 筆者の見るところ、GoPro撮影の映像がひとびとにインパクトを与えたもっとも初期の例は、2012年ころから現れる。この年、GoProを駆使して撮影された劇映画とドキュメンタリーが相次いで公開された――すなわち、デヴィッド・エアー監督の『エンド・オブ・ウォッチ』(End of Watch)と、ルーシァン・キャステーヌ=テイラー&ヴェレナ・パラヴェル監督の『リヴァイアサン』(Leviathan)である。

 このうち、後者の『リヴァイアサン』の映像のもつインパクトについては、筆者もこれまでにもたびたび論じてきた。この映像人類学的な海洋ドキュメンタリー映画においては、舞台となる漁船に合計11台ものGoProがいたるところにセットアップされ、これまでの映画では見たことのないような、迫力ある「多視点的」なカメラアイを可能にした。手軽に持ち運べ、身体や物体のあらゆるところに装着でき、これまでは撮影が困難だったシチュエーションにも対応可能な「GoPro映画」は、当然のことながら、映画で映像化できる条件や範囲を飛躍的に押し拡げることに成功した。

 三脚に固定され、あるいは人間の眼の高さに据えられた従来の「人間=カメラマン中心的」なカメラアイやカメラワークは、いまや人間の手や重力から解き放たれ、ユビキタスな機動性を獲得しつつある。いみじくもGoProが発売された前後、何人かの映像研究者たちのあいだでは、「ポストカメラ」や「非擬人的カメラ」なる言葉が生まれていた。デジタル技術の進展により、人間の存在や操作をかいさずに機能するようになった新たなカメラワークや映像表現を指す言葉だが、まさに今日の「GoPro映画」こそ、このポストカメラ映画の最たるもののひとつであり、HERO7がそれをますますラディカライズしていくことは間違いない。『リヴァイアサン』の映像が典型的なように、これまでのGoPro映像の激しい画面の揺れや振動は、映像に迫真性を付与する一方で、観客に映画としての見にくさも感じさせてしまっていた。HERO7の手ブレ補正機能は、GoPro映像におけるこの障壁を取り除くだろう。

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