ロシアの自殺ゲーム「Blue Whale」の衝撃 井上明人×高橋ミレイ対談(前編)

自殺ゲーム「Blue Whale」の衝撃(前編)

依存とゲームにおける「自由意志」とは

井上:ゲームのダークサイドの話をする場合に難しいのは、「自分の意志でプレイしている」ということをどのように捉えるか、というポイントだと思います。

 ゲームの定義の一要素として「自由に始められて、自由にやめられること」が挙げられることは多いです。このBlue Whaleだと、はじめることは自由でも、やめることはできないことがあるわけですね。構造的にはそれは依存症の話と部分的に近いところがあります。世界保健機関(WHO)が2017年12月、病気の世界的な統一基準である国際疾病分類(ICD)に「ゲーム依存症」を加える方針を明らかにしました。「自分の意志でプレイしているのだから問題ない」と論じられる方も多いのですが、「依存」と判定される場合というのは、自分の意志でやめられなくなってしまった人のことを指すので、だから問題が起こるわけです。

 ゲームの依存の場合は同調圧力というよりは個人の意志の制御が難しくなるという側面が強くイメージされがちです。しかし、コミュニティによるプレッシャーが依存状況を悪化させるということはゲーム依存でもありますね。洗脳的なものとは違うとは思いますが。

高橋:特にMMORPGなど、コミュニティ型のものだと同調圧力の強さがゲーム依存の原因になるケースがありますよね。一方で、ソーシャルゲームはゲーム内での人との交流がないものが多いので、その場合のゲーム依存の原因は他にあるのだと思います。昨年、『エースコンバット』をつくった東山朝日さんにインタビューしたとき、「いかに面白さを、言い換えれば快楽を仕組み化するかが、ゲームデザインのポイントだ」という趣旨のことをおっしゃっていたのが印象的でした。それが先鋭化し、過剰に快楽にハマってしまうようなゲームデザインになると、それ自体が依存の対象になって抜け出せない、という問題が生じるのかなという感じがします。

井上:なるほど。WHOで運用される「ゲーム依存症診断ガイドライン」のドラフト作成でも活躍されている樋口進先生は、『スマホゲーム依存症』というご著書のなかで、スマホゲームのなかでも「ガチャ」がギャンブル依存に近い仕組みなのではないか、とおっしゃっていて、それは簡単には否定できない主張かと思います。もちろん、ソーシャルゲームのガチャは、ギャンブル依存と違っていて、報酬が現世利益と離れていて、自己満足的な報酬だという点は大きな違いです。

 しかし、難しいのは、逆にパチンコ依存の研究においても、依存の度合いが強まると、「いくら儲かるか」より、脳内の内的な報酬のほうがキーになっているケースがけっこうあるという話もあります。パチンコも自己満足なんじゃないか、と。

 僕はゲーム研究者であり、ゲームの価値を主張する側ですが、ゲーム依存はある程度の線を引いて認めたほうがいいだろうと考えています。「3日間飲まず食わずでオンラインゲームをやり続けて死亡」みたいな極端な人は定期的に報道されていて、ここまでいかずとも、その手前ぐらいまでやりこんでしまっているような人は、少なく見積もっても国内で百人以上は確実にいると思います。彼らにストップをかける社会的な仕組みは確実にあったほうがいい。

 一方で、ゲーム依存症が国内だけで500万人いる、というような話を出す人もいて、これはちょっと同意するのが難しい数字です。ゲーム依存についての推計有病率は0.7%というものもあれば、27.5%という数字もあってバラつきが大きい。10数年前にあった「ゲーム脳」というかなり雑な議論もあり、ただのゲームバッシングとも結びついてしまいやすい。ゲームにはライトサイドとダークサイドの両面があると思いますが、ゲーム依存について書く人は、基本的にはダークサイドを強調する話になりがちで、「依存を防ぐためには、そもそもゲームをなるべくやらせない」という話になってしまうことが多い。


高橋:悩ましい問題ですね。

井上:樋口先生の本を読むと、オンラインゲームの依存から回復する方法として、治療キャンプのプログラムが書かれているんです。オフラインで直接、患者同士を交流させて、仲間づくりのゲームや富士山のトレッキングをさせる――要するに、ゲームのダークサイドから回復させるために、ゲームのライトサイドの力を使う、という話とも言えます。

高橋:これはいわゆるスマホ依存から脱却するためのデジタル・デトックス・キャンプのプログラムに非常に似ていて、ゲーム依存に限らない内容だと思いました。

井上:ゲーム依存において、末期的なところまで行き着く人はスタンドアローンのゲームより、オンラインゲームのほうにかなり多い。そうなった場合に、ゲームの問題なのか、インターネットがメインでそこにゲームが結びついているのか、という議論になります。そこは切り分けるのが少し難しいところかなと。

高橋:スマホゲームとコンシューマーゲームは別々に議論しないといけませんね。『ファイナルファンタジー』にいくらハマっても、依存症にはならないと思いますから。

井上:スタンドアローンのゲームでは、依存になる人はあまり多く聞きませんね。

安易にゲームを「悪者扱い」することで生じる弊害

高橋:少し脱線しますが、私もオンラインゲームやスマホゲームが大好きで、去年も、ハードボイルドな世界観のアドベンチャーゲームに一時期ハマったんです。ソーシャルゲームにもある「ログインボーナス」があって、それぞれ報酬が与えられる日々のミッションもいくつかある。そうすると毎日ログインしていて、最初は「ミッションだけクリアしておこう」と思って、しばらく遊ぶんですが、気がつくとミッション以外の作業も始めて数時間経っている、ということもザラなんですよね。「いかにゲームに滞在させるか」というところで、これは巧妙につくられているな、と思って危険を感じたので、アンインストールしました(笑)。

井上:そうですね。ゲームをやっていて漫然と時間が過ぎることは、僕もとても多いです。スタンドアローンのゲームですが、例えば『ディスガイア』シリーズは、仕事が終わって金曜日の夜にプレイしはじめて、気がついたら月曜の朝……ということもありました(笑)。

高橋:怖い怖い(笑)。

井上:とはいえ、僕は朝昼晩と食べていますし、トイレもお風呂も睡眠もとって、月曜になれば仕事に行っているわけです。その意味では「気がついたら」というのは誇張表現です。一方で、「ボトラー」という言葉がありますが、本当に依存レベルで行き着いたオンラインゲームのプレイヤーは、トイレに行く時間を惜しんで、ペットボトルに用を足しているようです。本当にトイレにも行かず、食事もとらず、会社にも行かなくなる人もいて、そうなってしまう人をどうしましょうか、というのが依存症として問題になるケースです。

 依存問題にも、Blue Whaleの事件にも共通して言えるのは、社会的に問題を抱えている人が依存になったり、自殺へ導かれやすい、ということがあるのではないでしょうか。家庭に問題を抱えていたり、学校でいじめられていたり、そういう状態の人が何かしらに依存してしまうという話はよくあり、その対象がたまたまゲームだった、という場合がある。そこが難しいところです。

 言い換えると、ゲームが依存状態をつくるプロセスのなかで作用しているのは確かですが、買い物依存でもセックス依存でも、買い物やセックスが依存を媒介しているのと構造的には同じです。買い物やセックス自体が社会的に悪いものだというわけではない。依存として機能する可能性のあるものが、心が弱っているときには、ネガティブに働いてしまう。ICDの今回の決定は、行為依存のなかでも買い物依存やセックス依存といった各種の行為依存よりも、ゲーム依存について踏み込んだ決定をしているわけですが、ゲームというものがそれ自体社会的に「駄目なもの」というレッテルを貼られやすい側面もあります。

 確かにゲーム依存についての研究結果もあるかもしれませんが、安易にゲームを悪者扱いすると、家庭内で「ゲームなんてやっていたら依存症になるわよ!」と追い詰められた子が、自己成就予言的に病を増やす、という現象もセットで起こりかねない側面もあります。ゲームが病因として認められなければ診療報酬も出にくい、という医療側からのインセンティブなども、それはそれで重要でしょうか、社会的な二次的効果についても医療関係の方には一緒に考えていただきたいと思いますね。

※後編はこちら

(構成=編集部)

■井上明人
1980年生。現在、関西大学総合情報学部特任准教授、立命館大学ゲーム研究センター客員研究員。#denkimeterプロジェクトを提唱し、CEDEC
AWARD ゲームデザイン部門優秀賞。単著に『ゲーミフィケーション』(NHK出版,2012)

■高橋ミレイ
編集者。ギズモード・ジャパン編集部を経て、2016年10月からフリーランスに。デジタルカルチャーメディア『FUZE』創設メンバー。テクノロジー、サイエンス、ゲーム、現代アートなどの分野を横断的に取材・執筆する。関心領域は科学史、哲学、民俗学など。

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