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ロシアの自殺ゲーム「Blue Whale」の衝撃 井上明人×高橋ミレイ対談(後編)

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 ゲーム研究家の井上明人氏とテクノロジーに詳しいライターの高橋ミレイ氏が、「Blue Whale」問題を軸にゲーミフィケーションの闇に迫る本特集。後編では、ゲームと快楽の関係性、そして現状で考え得る“自殺ゲーム”への対策に話が及んだ。
※前編:ロシアの自殺ゲーム「Blue Whale」の衝撃 井上明人×高橋ミレイ対談(前編)

ゲーム制作サイドが「ハマりやすさ」をコントロールする必要性

高橋:Blue Whaleの議論に戻りますと、考えなければいけないのは、背景にロシアの社会問題もあるのではないか、ということです。最近、Netflixで『アウトサイド・マン』というイギリスのドキュメンタリーを観たのですが、いまロシアでは多くの若者たちが国粋主義に走り、「純粋なロシア人以外は出て行け」というようなヘイトデモを行うなど、かなり過激な活動をしている様子が描かれています(「4. ロシア: 誇り高き超国粋主義」)。排外主義の思想を持ったグループの参加者たちは、デモをするだけでなく、「移民たちから国を守るため」と言って軍事訓練まがいのことをしていたり。そうした世の中に対する不安感や、不満のようなものがあるからこそ、フィリップ・プデイキンのような若者が出てくるのではないかとも思います。排外主義は、同時に「正しい自国民のあり方」を先鋭化させる側面も持ちます。そうなると、自殺願望や精神疾患を持つなどの弱者もまた、排除の対象になることがあります。

 アクセス数の多いコミュニティの管理人には広告費が入るので、動機としてはお金儲けというものもあったと思うのですが、彼の供述によると、「自殺願望がある若者たちはクズだから、俺は社会を掃除してやっただけだ」というような、優生思想的な考え方を持っていることがわかります。つまり、一種の思想犯的な側面があった可能性がある。若さゆえの露悪的な発言という面もあったのかもしれませんが、あの事件がどういう社会背景から起きたのかということも考える意味があると思います。

 もうひとつは、自分の万能感を感じたかったから、という可能性もあると思います。これはゲームをする動機にも近いわけで、ある意味彼自身もゲームにはまっていたという見方もできます。つまり、例えばシューティングゲームに夢中になる理由のひとつは、いわゆる「俺TUEEE」(おれつえー)感がほしいからですよね。先ほど少し話題に出た『エースコンバット』も、プレイヤーが万能感を感じるように作られていると聞いたことがあります。フィリップ・プデイキンは自分の考えたプログラムや自分の言葉により、子どもたち生殺与奪を握るという実感を持つことに対して、ゲームで得られるような中毒性のある万能感を自家中毒的に得ていたのではないでしょうか。

井上:なるほど。ちなみに僕は、『エースコンバット』シリーズが大好きなんです。日本が生んだ傑作シリーズだと思うのですが、実は戦闘機マニアからは、あまり評判がいいわけではないんですね。例えば、F15が現実ほど強くないし、無茶な飛行でもなかなか失速しない、という話になる。

高橋:シミュレーターではないですからね。

井上:そうなんです。『エースコンバット』をきっかけに戦闘機の世界に興味を持ち、すこし勉強して、もう少しシミュレーター寄りのゲーム――例えば、セガの『エアロダンシング』をプレイしてみましたが、これだと着陸訓練が難しくて、とくに戦闘中に空母に着陸しようと思うとすぐに撃沈されてしまう。どちらがゲームとして優れているということではなく、手軽に味わえる爽快感か、リアルな操縦の再現か、ということも含めて、どこにフォーカスして快楽を感じさせるか、ということは、実はゲームにおいてはタイトルごとにかなり細かくチューニングするんです。現在ではそれこそ脳波をダイレクトに見て興奮度を検証する、ということも行われていて、それに合わせてゲームの作りを変える、ということもあります。

高橋:『Left 4 Dead』などはまさに、テストプレイの段階で、プレイヤーの反応を分析して、製品版ではAIで敵の出現頻度や現れ方をコントロールしています。ユーザーの緊張感が高まってくると敵が引いて、逆に安心しているとワッと襲われる、という。

井上:つまり、良くも悪くもハマり加減のコントロールができる部分があるということです。えぐいハマり方をしているプレイヤーが出やすいようなゲームを意図的につくっている開発者は、そろそろ自覚的になってきたほうがいいとは思います。ギャンブル依存の場合は、シンガポールなどで依存症対策がとられ実際に効果も挙げていますが、国内ではゲームの危機感を煽る側からの玉石混交の批判ばかりで、ゲーム業界内部や、ゲームに詳しい人からの議論がとても少ない。ゲームに詳しくなければ、何の愛着もない人達から雑な批判をさせないためにも、もう少しきちんとした議論があってもいい。

高橋:日本国内では、せいぜいコンプガチャ問題をきっかけに景品表示法の景品規制を設けるくらいでしたね。

ガチゲーマーに求められる「ゲーマーシップ」とは

井上:依存関係の話として参考になると思うのが、スポーツです。スポーツだって実は対立構造を煽って戦わせると、人間関係をおかしくしてしまう余地はあります。ゲームにおいては、90年代の伝説的な作品に『蓬莱学園』というプレイバイメール(インターネットや郵便を介して、離れたプレイヤーと遊ぶゲーム)のものがあるのですが、その前身となる『ネットゲーム88』というゲームで、ゲーマー同士で対立的な構造をつくったら、本当に憎み合いはじめてしまったということがありました。対立的な役割を設定させられることが、対立的な感情を育んでしまったわけですね。

 「スポーツマンシップ」という概念がスポーツに要請されるのは、こういったことを防ぐという側面があると思います。「スポーツマンシップ」という概念は、19世紀中頃のイギリスで生じたとされています。近代スポーツというものができあがるのとパラレルで共進化してきたものです。偽善的で嫌だな、と思う人も多いものですが、スポーツ研究の本を読むと、そもそもボクシングとかは血なまぐさい殴り合いに起源をもっていたり、いろいろなスポーツが、必ずしも紳士的なものではなかった。意図的にこれを穏やかにするための副次的な制度を埋め込んでいったのが近代スポーツの成立過程でした。

 ゲームの場合にも、ガチゲーマーについては、「ゲーマーシップ」のようなものを埋め込むのもアリなのではないかと思います。オンラインゲームの怖い話で、「これからガチ戦争するので仕事やめてくれませんか?」みたいなことをギルドメンバーに言う人がいるとか、戦闘中に仲間が我慢できなくなってトイレに行くと激怒する人もいる。それは単純にゲーマーコミュニティ内部でも、いかがなものかと思われているタイプの発言ですが、これは単に幼いですよね。ゲーム自体が社会的に新しい文化で、まだ洗練されていないため、まだスポーツマンシップのような社会的な仕組みが埋め込まれていないということが問題を生じさせている面もあるような気がします。

高橋:「ゲーマーシップ」というと、具体的にはどんなものを想定されますか?

井上:例えば、MMORPGで小中学生がメインのガチゲーマーギルドに行くと、先ほど申し上げたように「遊びじゃないんだよ!」とか、「部活が忙しいとか何言ってんだ!」というような、メンバーを追い詰めるようなコミュニケーションをするプレイヤーはいます。そこで、「学校は大丈夫?」とか、社会人なら「重たいお願いかもしれないけど仕事は大丈夫?」とか、気遣い合うことは当然、あったほうがいいですよね。幼いプレイヤーが、幼いことを言ってしまうことをゲーム内の仕組みとして抑制できるような構造を、ゲームの設定とか演出として埋め込むぐらいのことはあっていい。ガチゲーマーの「ガチ」価値観に社会的包摂をきちんと埋め込ませていきましょうということです。

 そうしたことがBlue Whaleのような問題に対して抑止力になるかどうかはわかりませんが、依存症に近いところに入ってしまうゲーマーの人たちには、ある種の歯止めになると思います。

高橋:私もかなりガチでMMOをプレイしていた時期がありましたが、基本的に社会人が多いゲームだったので、それほど過激なことを言う人がいるギルドには出会ったことがありませんでした。

井上:プレイヤーがいい大人だと、まあ、そうだと思います。低年齢メインのネットコミュニティというのは、オンラインゲームでもSNSでも、社会人の知っているネット空間とは別の世界ですからね……。「敵チームに対して敬意を払う」とか、「楽しみを損なうようなゲームプレイをなるべくしない」とか、そのレベルの合意が成立してないゲーマーコミュニティもまだまだ多いので、「ゲーマーシップ」みたいなものを明示的に提唱するのに意味はあるかと思います。わかった上であえてメタ的にそこから外れるようなロッケンロールなガチゲーマーならいいんですが、そういうことのはるか手前の話ですね。

 さて、Blue Whaleも含めてゲーム的な構造を持ったものは、人間の行動制御の技術であって、一歩誤れば面倒な状態に陥ってしまう、という話は至極当然な気がしています。2010年までの家庭用ゲーム機の時代は、任天堂などが、明確にゲームのライトサイドのみを打ち出して、暗い方向に近寄らないことを強いポリシーとしてやってきていますね。それでも任天堂もスマホゲームに参入してしまいましたし、業界全体が任天堂のようなものの制御を、良くも悪くも離れてきています。ゲームのライトサイドとダークサイドのバランスを保つ仕組みを再設計したほうがいいタイミングだと思います。

高橋:SNSが日常生活に普及してからは、ゲームコンテンツとしてパッケージはされていないものの、よりゲーム的なものが世の中に溢れるようになったと思います。ネットの炎上もそうで、自分とは無関係でも相手を安心して叩くことで自分の社会正義が証明されて快楽を得られる、という構造になっているように見えます。炎上に加わる人たちの心理を考えると、おそらくほとんどの人が、本気でその問題にコミットしようとは思っていないのではないでしょうか。つまり単純に、石を投げて自分の心理的なポジションを上げる、というゲームになってしまっているのではないかと思うんです。なので、ゲームのダークサイドについて議論するときに、パッケージされた作品だけを対象にするのは、もう今の時代には合わないと思いますし、その延長線上に、Blue Whaleのような問題があるのだと思います。

井上:おっしゃるとおり、広義でのゲーム的なものがたくさん出現していて、僕が書いた『ゲーミフィケーション―<ゲーム>がビジネスを変える』(2012年、NHK出版)はまさに、ライフログやセンサリング技術が発達してきたことにより、社会のいろいろなところにゲーム的な仕掛けを作れるようになって、そういうものが増えてきていますよ、という本でした。ゲーム的な構造はもともと世の中にあって、それがネットにつながって組み変わっていく。それに気づいて露骨に操作する人もいれば、誰が意図したところでもなく、ゲーム的な構造が生じていることもあるわけです。ネットの炎上は、誰かがコントロールしていると言えるかは微妙で、ボーダーラインのふちにあるというイメージですが、いずれにしても、結果的にゲーム的な構造が生じている部分があるということですね。

高橋:そうですね。ただおそらく、記憶に新しい、セクシャルハラスメントの告発をめぐる『#MeToo』の騒動などを見ると、だいぶ図面が引かれていた気がします。

井上:そこにゲーム的な構造を見出すと、ブロガー的な人たちは、問題が大きくなっていくなかで、PV稼ぎのためにコミットしている、という感じがします。僕も多少、気持ちがわかるのですが、PV稼ぎを日常的にやっていると、それ自体が面白くなってくるということは実際にあります。

 高橋さんは、ネットの炎上を超えて、さらにBlue Whaleのような事件に至るような問題が、例えばこの日本でも生まれてくる可能性があると思われますか?

高橋:いつ起きてもおかしくないんじゃないかなと思っています。他の国でも起きているので、いまのところ日本で起きない理由が見つけられません。

      

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