カンザキイオリにとって“カンザキイオリ”は仮面だ 『サブスタンス』と自己像をめぐる葛藤

カンザキイオリ、『サブスタンス』を語る

 映画の主人公エリザベスは、50歳になった。かつてはハリウッドスター。今ではエアロビクス・フィットネス番組を担当。しかしそれも、降板になる。それが映画の出発点。

 ババアである。それだけを理由に降板された彼女の前に、一つの再生医療が訪れます。

 若く。美しく。完璧に。たった一回の注射で、DNAが解除され、新たな細胞分裂が始まり、別バージョンのあなたが生まれる。それが、「サブスタンス」。

『サブスタンス』©The Match Factory

 何かの比喩表現だと思うでしょう? 違うんです。本当に、生まれるんです。別バージョンの、エリザベス。

 一本の注射を打つと、背中から、メリメリっと、ほんとうに、もう一人の自分が生まれてくる。

 ぶっ飛んだ設定でしょう。ぶっ飛んだ映画なんです。本当に。人間が崩れていく様を見たいあなたに、この映画は最適です。ちなみにこの映画の尺は、2時間21分。映画としては結構長い尺。でもあなたを飽きさせないことは確信できる。

 それはこの映画のカットや、音の使い方。演出の仕方。全てが観ていて飽きさせない。ずっと脳を刺激して、ずっと脳をいじくり回す。まるで若くてエロいねーちゃんを見ているみたいに。

 エリザベスの背中からメリメリっと生まれたもう一人の自分もそれこそ、めちゃくちゃ若くてエロいねーちゃん。エリザベスが50歳なのに対して、生まれた自分はめちゃくちゃ若くて、めちゃくちゃスタイル抜群。より良いバージョンの人間が生まれたのです。

 どちらも同じ「エリザベス」である。だけど、若いほうのエリザベスは、自分のことを「スー」と名乗り、その美を使い、人気者になっていく。

 日の目を浴び、たくさんの人たちに愛され、たくさんの人たちに評価され、称賛されてゆく。しかしそれは長く続かない。だって「スー」にとっても、「エリザベス」つまり老いた自分は切り離すことができない。

 エリザベスとスーは、片方が起きている時、片方は眠らないといけない。そして、スーは、エリザベスの背中あたりから抽出される液体。おそらく髄液のようなものだと思う。それを定期的に補給しなければならない。7日ごとに入れ替わる。7日間はエリザベス。7日間はスー。そして絶対に守らなければいけないこと。「Respect the balance(均衡を守れ)」

 はは、守れるわけがないんです。美しい自分で、ずっといたいでしょう? 今までの人生で、客観的に見て一番美しい自分に戻れるとしたら? ずっとそのままでいたいでしょう? 老いた自分になんて、二度と戻りたくないでしょう? ずっと永遠に若いままで、生き生きと、健康なままでいたいでしょう? 足も速く、徹夜しても辛くない。お腹もきゅっと引き締まった、ぷりっぷりのお尻のままでいたいでしょう?

 そんな抗えない欲望に翻弄される。どんどんとんでもないことになっていく。

 とんでもない映画です。本当にぜひ観てほしい。どんな人間にも強烈な心象を与えます。

 俺がこの映画を観ていて一番辛いところがあるんです。それは、エリザベス。つまり本来の50歳の自分が、昔の友人フレッド(エドワード・ハミルトン=クラーク)と食事に行こうとするシーン。

 フレッドは、エリザベスが人気者でない頃、つまり何者でもなかった、ただの一人の女性であった時から、彼女を知っている人間です。

 偶然道で出会い、久しぶりに食事をしようと、携帯電話の番号をエリザベスに渡す。

 そんな彼のことを忘れ、サブスタンスに手を出したエリザベス。

 スーが称賛され、人気になる様子とは反対に、醜いままのエリザベス。

 電話番号をもらった紙を偶然見つけて、フレッドの言葉を思い出す。「君は今でも世界で一番綺麗な女の子だ」そんな言葉、美しすぎるよ。嬉しすぎる。

 でも、エリザベスは食事に行けない。食事に行く前、鏡で、「本当の自分」を見てしまったから。

 本当の自分。スーではない、自分。50歳の自分。スーは肌も、唇も、胸も透き通っているのに、鏡の前の自分ときたら。もう少しだけ化粧を。時間が。食事に行く時間が迫る。

 コートを着て、外に出る前に。家の窓から見える、「スー」の身体を全面に使った看板が見えてしまう。

『サブスタンス』©The Match Factory

 もう一度鏡へ戻る。私の胸は垂れている。醜い。スカーフで隠す。時間が迫る。口紅も塗り直す。白く、さらに白く化粧をして。より赤い口紅へ。

 そしてようやく外へ。出る。ことはできない。なぜならドアノブに映る、湾曲した自分の顔を見てしまったから。

 鏡へ戻る。また、化粧を拭う。怒りに身を任せて顔をこねくり回す。髪の毛もぐちゃぐちゃに。怒りが彼女を襲っている。

 外面的なところではない。もっと深いところ。心の中までも、本来あるべき場所を間違えた内臓のように、ぐちゃぐちゃにねじれ、ドロドロに淀んでいる。

 このシーンが一番観ていて辛かった。だってフレッドは、どんなエリザベスだって、愛してくれるはずなのに。美に飲み込まれて、本当の愛や正しさを見失ってしまう。

 私たちは、この先、どう生きていけばいいんだろう。醜くなっていく。美しくなるために努力し続けなければいけない。どうすればいいの。どうすればいい? 美しくない自分でも、自分を愛せるようになるには、どうすればいい?

 私にも、カンザキイオリ、っていう、スーみたいなやつがいる。

 だって、私は私が嫌い。醜いし、汚いし。でもカンザキイオリは皆に愛されてる。愛されて、崇拝されて、救われましたっていろんな人に言われている。私自身だって何度も救われている。救われているけど。でもそれって本当に、私自身の本心なんだろうかとも思う。

 私だって誰かを見て、醜いと思う。太っている人を見て、太った、と思うし。汚い人を見て、汚い、と思う。自分より金持ちの人がいると、羨ましい、と思うし、自分より幸せな人がいると、死ね、と思う。

 そういうものを削り落として残ったものを、カンザキイオリとしているだけなんだと思う。

 削り落とされた肉のカスの塊が、私だ。私は孤独だ。私という醜さが、ずっとカンザキイオリの影に隠れて、孤独だ。

 でもその代わり、私は無敵だ。この世の評価も称賛も、全部カンザキイオリが受け止めてくれる。

 化粧品が肌に合うか、みたいな感じで。私の曲が、小説が、創作が、肌に合うか、その評価は全部カンザキイオリが受け止めてくれる。

 私はその隙に眠らせてもらう。ご飯を食べて、醜くならせてもらう。きっといつかカンザキイオリが私を救ってくれる。そう信じている。君がいるおかげで、私は、安心して醜くなれる。

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