“泣ける”道具として消費される死と“感動映画”の変遷 現在の日本映画が考えるべき問題点

日本映画の“感動映画”の変遷

「泣ける」ための道具として消費される“死”

『人はなぜラブレターを書くのか』©2026 映画「人はなぜラブレターを書くのか」製作委員会

 この時点から、従来以上に「人が死んだら悲しい」という極めて安直な感情を、さも特別視する作品が目立つようになる。その理由はいくら考えても「わかりやすいから」しかないのだが、こうした陳腐すぎるパターン化を揶揄し、“感動映画”と呼んだ次第だ。

 ちなみにこの頃から、医療の進歩によって不治の病のバリエーションが減ったからなのか、『君は月夜に光り輝く』のように架空の難病を扱う作品まで現れる。そこからほどなくして世界はコロナ禍に突入した。誰も知らない未知の存在で身近な人が突然命を落とすという恐怖心、いつなにが起こるかわからない不安感が世界を包み込んだことは、このジャンルの本格的な復活とあながち無関係とは言えないだろう。

 ましてやSNSの隆盛によって、これまで以上に口コミが重要視される時代だ。TikTokで誰かが「泣ける!」と言いだして話題になれば、興行的に盛り上がる。ファンタジー要素を介入させて特攻隊青年との恋を描いた『あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。』や、“インスパイア系”の『366日』がその代表格だ。

 とりわけ後者がこともあろうに不治の病のオンパレードを恥ずかしげもなく繰りだして「泣ける」に依存していたように、もはや人の死や難病というものは物語のための動力ではなく、鑑賞者の「泣ける」ための道具として消費されることになっている。

 おおよそこうした“感動映画”に共通しているのは、生き残った登場人物たちが誰かの死をきっかけに前向きに生きることを決意する“良い話”に落とし込まれている点だ。誰かが死んで初めて命の尊さや日常の愛おしさを理解するなんて、身勝手もいいところである。

 そうした作品の興行的成功で映画界が潤うのであれば悪い話ではないが、短絡的なマーケティングに迎合するように、映画本編まで短絡的になる必要はない。ましてや今後、『人はなぜラブレターを書くのか』のように実話や実在の人物の死を基にした感動映画が増えてくるとなれば、なおさら人の生き死にについて思慮を欠いてはならない。“感動”を求めること自体は間違いではないが、今こそ、基本的な物語の作りかたというものを見直すべき局面ではないだろうか。

■公開情報
『人はなぜラブレターを書くのか』
全国公開中
出演:綾瀬はるか、當真あみ、細田佳央太、妻夫木聡、音尾琢真、富田望生、西川愛莉、菅田将暉、笠原秀幸、津田寛治、原日出子、佐藤浩市
監督・脚本・編集:石井裕也
主題歌:Official髭男dism「エルダーフラワー」(IRORI Records / PONY CANYON)
公開、製作幹事:日本テレビ放送網
制作プロダクション:フィルムメイカーズ
配給:東宝
©2026 映画「人はなぜラブレターを書くのか」製作委員会
公式サイト:loveletter.toho-movie.jp
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