高橋一生の原点は『耳をすませば』にあり 天沢聖司がジブリ男子の中で異彩を放つ理由

一方で、天沢聖司の出発点はもっと日常に近いところにある。
クレモナでヴァイオリン職人の修業をしたい。その夢は、誰かに託された使命ではなく、聖司自身が選んだものだ。親とぶつかりながら自分の進路を切り開こうとする聖司の姿は、雫にとって大きな刺激になる。彼が先に走り出したからこそ、雫もまた自分の中にある「やってみたい」という気持ちから目を逸らせなくなっていく。
ここで重要になるのが、聖司の“等身大”の感触だ。近藤喜文監督は声の出演者を選ぶにあたり、「日常的な芝居が普通にできる」ことや「実年齢が持つ空気や存在感」を大切にしていたという(※2)。背伸びをしながら夢を語り、好きな相手の前で少しだけ不器用になる聖司のまっすぐさは、当時14歳だった高橋自身の空気とも重なっていたのだろう。実際に高橋は後年、収録から1週間ほど後に声変わりが始まったとも語っている(※3)。つまり作中に残された聖司の声は、大人の声へと変わる直前のほんのわずかな時期に収められたものだった。
そのことを知ったうえで、地球屋の地下で雫にヴァイオリン職人になる夢を語る場面を聴き直すと、声の印象はより鮮明になる。

「バイオリンは300年前に、形が完成しているんだ。あとは職人の腕で、音のよしあしが決まるんだよ」
ここでの聖司は、夢を語る少年であると同時に好きな相手に自分の世界を知ってほしい少年でもある。図書カードに自分の名前を先に残そうとして本を読み、雫の前に何度も現れるほど積極的なのに、自分の夢や気持ちを語る場面ではどこか照れくささがにじむ。強気に見えて不器用。大人びて見えて、まだ少年。高橋の声は、そんな聖司のアンバランスな魅力を自然にすくい上げている。
ラストの「雫、大好きだ!」も、言葉だけを見ればかなり直球だ。しかし、あの少年の声で発されることで、聖司の強引さは不思議と嫌味にならない。余裕のある告白ではなく、ずっと隠しきれなかった気持ちが最後にそのままあふれたように聞こえるからだ。夢に向かってまっすぐ進むひたむきさと、好きな相手の前では照れくささを隠しきれない少年性。その両方が同じ声の中に宿っているからかもしれない。
『耳をすませば』は、見るたびに少しずつ違う顔を見せる。雫の物語として、聖司の物語として、あるいは夢を口にすることのまぶしさや自分の未来を選ぶことの怖さを思い出す作品として。大人になってから観返すと、かつては胸をときめかせた台詞が少し違う切実さをもって響くこともある。今回の放送では、そんな天沢聖司の言葉と、それを支えた高橋一生の“声”にも改めて耳をすませてみたい。
参照
※1. https://futabasha-change.com/articles/-/2690?page=1
※2. https://kinro.ntv.co.jp/article/detail/2019010901
※3. https://x.com/kinro_ntv/status/1083698568261554176
■放送情報
『耳をすませば』
日本テレビ系にて、5月1日(金)21:00〜23:19放送 ※ノーカット
原作:柊あおい
製作プロデューサー・脚本・絵コンテ:宮﨑駿
監督:近藤喜文
音楽:野見祐二
出演:本名陽子、高橋一生、立花隆、室井滋、露口茂、小林桂樹ほか
©1995 Aoi Hiiragi, Shueisha/Hayao Miyazaki/Studio Ghibli, NH
























