鈴木福×あのが体現する“絶望の青春” TVドラマ版『惡の華』が暴く自意識の正体

TVドラマ版『惡の華』が暴く自意識の正体

 鬱屈とした日々を過ごす学生が、あるクラスメイトとの出会いによって、自らのアイデンティティーを崩壊させながら異様な境地へと進んでいく、押見修造の漫画『惡の華』。この作品を原作とした、鈴木福、あの(あのちゃん)主演の春のTVドラマの放送・配信がスタートしている。

 現在リリースされている第2話まででは、中学2年生の春日高男(鈴木福)が、クラスの問題児である仲村佐和(あの)に弱みを握られ、秘密の契約を交わして主従関係になってしまう姿が描かれる。エスカレートしていく仲村の奇行に翻弄される日々のなか、春日の青春はどこへ辿り着こうとするのか。

 ここでは、そんなTVドラマ版『惡の華』の内容を紹介しながら、本シリーズについてはどうしても冷静ではいられなくなってしまう筆者の実際の経験や感情を通しながら、いまだからこそ再確認できる、作品の背景にあるものを、それが暗示する可能性も含めて解説していきたい。

 物語の舞台は群馬県の小さな都市。中学2年生の春日は、そこで平凡に生きる日々に漠然とした嫌悪感を抱いている。そんな彼の心のよりどころとなっていたのが、フランスの詩人シャルル・ボードレールの詩集「惡の華」("Les Fleurs du mal")であった。そこに記された背徳的で退廃的な耽美世界が、少年のナルシシズムや歪んだ優越感を密かに刺激していたのだ。

 ある日、春日が忘れ物を取りに教室に戻ると、そこには憧れの女子生徒、佐伯奈々子(井頭愛海)の体操着が落ちていた。春日は体操着がまとっていたシャンプーの芳香を吸い込むと、物音に動じて衝動的に体操着を盗むという行為に及んでしまう。こうした春日の奇行を目撃していた仲村は、春日の秘密をつかんだことをネタにして“契約”を持ちかける。それは、体操着を盗んだ過ちを告発しない代わりに主従関係を結び、さまざまな命令をするというものだ。春日はその後、ひょんなことから佐伯とデートする約束を取り付けるという千載一遇のチャンスに恵まれるのだが、背後で暗躍する仲村から、デート中ずっと盗んだ体操着を服の下に着用するという、アブノーマルな行為を強要されるのだった……。

 この原作漫画にもある設定が、まず画期的だったのは、日本の地方都市の少年が、このようなフランスを中心とした19世紀の芸術活動である「象徴主義」に傾倒していき、退廃美を味わっているという状況が、ある種の滑稽さとともに表現されているところだ。甲子園を目指したり、不良のケンカや男女の甘酸っぱいグループ交際などを描いた青春漫画は数あれど、こうした特殊な文学にはまって、暗い優越感をおぼえる主人公の日々を描く作品は稀有だろう。

 これに筆者が衝撃を受けたのは、中学生とは言わないが、高校時代に同じような仙台の片隅で、同じようにボードレールや、オスカー・ワイルドの諸作やユイスマンスの『さかしま』や『彼方』、『大伽藍』を読み耽り、そこから派生してバタイユ、マルキ・ド・サド、マンディアルグなどの退廃小説に手を伸ばし、そのアブノーマルな世界をナルシスティックに享受していたことを思い出さずにはいられないからだ。筆者は、2019年に井口昇監督の映画版『惡の華』のパンフレットに寄稿する機会に恵まれたが、それもこうした経験を吐露したことがきっかけだった。

 そして、やはり筆者も、“こんな本を読んでいる自分”という歪んだ自意識が、こうした象徴主義や幻想文学を楽しむ上でのスパイスになっていたのは事実だと言わざるを得ない。衝撃的だというのは、単にそれを『惡の華』という作品で描かれてしまったということにとどまらない。こうした作品を描いた漫画家がいたということ、そしてそれがヒットし、多くの人々に共感されたことがショックだったのである。

 つまりそうした青春は、こうして“春日的”と象徴化できるほどカテゴライズし得るものであり、それを多くの人々が共感できるほどありふれたものであるという事実に気づいてしまったのである。このような状況は、太宰治の『人間失格』などの小説にはまって、ナルシスティックな破滅願望に耽溺するといった、ある種の人々の典型的な通過儀礼であると言われたのに等しい。非凡だと思っていたものが凡庸だとされ、あまつさえそれに気づいていないという事実まで突きつけられてしまったような。

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