実写版『秒速5センチメートル』成功の理由 新海誠の作家性を再解釈し健全な恋愛映画へ回帰

新海誠監督の2007年公開のアニメーション映画、『秒速5センチメートル』。『君の名は。』(2016年)で大ブレイクを果たす前の小規模公開作にして、新海監督のテイストが色濃く味わえる作品だ。この一作を本格的な初長編作品の題材に選んだのが、写真家やCMディレクターとして活躍し、『アット・ザ・ベンチ』(2024年)で映画に進出した奥山由之監督。同名の実写作品として、新たに公開されている。
運命に翻弄される男女、届かない気持ち、そんな感情を風景とともに映し出す“エモい”映像の数々。そして、そんな映像に同期する、山崎まさよしの曲「One more time one more chance」。実写版もまた、アニメーション版と同様の内容を、大きく肉付けしながら再現している。しかしその雰囲気は、かなり違ったものとなった。
新海監督のアニメーション版は、異質な作品だったといえる。小学生時代に出会った少年と少女。そして中学時代にともに過ごした時間。13年後に再び燃え上がる想い……。主人公の少年・遠野貴樹(とおの・たかき)のモノローグを中心に、成長しても大人になっても忘れられない相手・篠原明里(しのはら・あかり)への切ない感情をくすぶらせていく物語が綴られていく。
そんな感情を、時間をかけて情景に投影したことが、アニメ版の大きな特徴だった。必然的に、それをどのように実写で描き直すのかが、本作への興味の一つとなる。ここで奥山監督は、「デジタルで撮影した映像を、レーザーや高精度の装置を使ってフィルムに1コマずつ焼き付ける」という「フィルムレコーディング」という技術によって対応したのだという。
現在のカメラによる高精細な映像とデジタル処理した箇所を、フィルムに統合し、ぼんやりと紗がかかったような手触りに仕上げた世界は、なるほど、新海監督の独創的な映像世界とは異なるものの、別の角度から抒情性を盛り上げている。こういった映像そのものへのラディカルな試みは、写真家を経由した奥山監督ならではのものだろう。
アニメ版がいまでも一部で愛されながらも、当時大きなヒットへと結びつかなかったのは、さまざまな要素が万人向けではなかったからだろう。その後に川村元気プロデューサーらの打ち出したと思われる方針転換に乗って新海監督が手がけた『君の名は。』と、その点を比較してみたい。
まず細密に描いた、リアリティがありながらファンタジックにも見える情景へのこだわりとは裏腹に、『秒速5センチメートル』では、キャラクターの描写の点では弱かったといえる。『君の名は。』では、『もののけ姫』(1997年)の作画監督だった安藤雅司を共同キャラクターデザインと作画監督として呼ぶなど、製作上の強化によって、この点が大きく改善されている。
さらに、内省的なキャラクターの内面も特徴的だった。とくに主人公の遠野が詩人のようにモノローグで心理を語っていく内容は、一部の観客に「暗すぎる……」という印象を与えることとなったのではないか。当時は『新世紀エヴァンゲリオン』の演出の影響がアニメ業界に根強く、新海監督もまた、そのフォロワーの一人であったことは、『ほしのこえ』(2002年)を観れば明らかである。そういった時代性を内面化していた観客にとってみれば、『秒速5センチメートル』は意外と浸りやすかったところがある。
とはいえ、『エヴァ』以降の観客にとって、その極端な内省的表現は理解しづらいものになっていったといえる。例えば、好きな相手に会うための電車が遅れたり、手紙が風で飛ばされただけで、世界の終わりでもあるかのように深刻に語られるアニメ版『秒速』の内面描写は、それが中学生時のエピソードだとしても、さすがにナイーブに過ぎると感じられる。しかも、それから13年間、社会人になっても一人の女性を思い続け思い悩む姿に、「暗い」、「ちょっと怖い」と感じてしまうのは、筆者だけではないのではないか。しかもヒロインたちと交流している姿以外に、ほとんど主人公の社会性が描かれていない部分も、そういった印象を助長させている。
一方、『君の名は。』の主人公は、ヒロイン以外にも、友達やバイト先の先輩と交流するなど、社交的な面が描かれたことで、『言の葉の庭』(2013年)にもあった、恋愛への思いの強さから生まれる違和感を、かなりの部分で軽減させていたところがある。このように筆者がつまずいていた点の多くは、『君の名は。』においてかなりの点で改善され、さらにそれが大ヒットに結びついた事実は、それ以前の新海監督の作品、つまり『秒速』の弱点を浮かび上がらせてしまったともいえる。
























