松村北斗が“新海誠ワールド”に溶け込むワケ 『秒速5センチメートル』での自然体の演技

『秒速5センチメートル』松村北斗の魅力

 アニメーション映画『秒速5センチメートル』は新海誠によって2007年に発表された。ラストシーンで描かれたあまりにも美しい絶望に対しては、意見がはっきりと分かれた。バッドエンドと捉える向きもあれば、ハッピーエンドと感じた向きもあった。完全にバッドエンドと捉えた筆者は、翌日欠勤するくらいのダメージを受けた。どちらとも取れるエンディングについては、監督の新海誠自身の筆による小説版で、答えが出ている。

 なんにせよ、この物語は2007年当時の新海誠の絵柄や演出が醸し出す、「切なく美しい紙芝居」のような雰囲気だからこそ成立するものだというイメージがある。だからこそ、最初に実写化の報を聞いたときは、遠野貴樹や篠原明里が生身の人間として泣いたり笑ったりする画が浮かばなかった。

 実写版の監督を務めたのは、『アット・ザ・ベンチ』(2024年)でも注目を浴びた奥山由之。米津玄師の腕がやたら太くなったり突然トラックに跳ね飛ばされたりする「KICK BACK」のMVを監督した人と言えば、「ああ、あのMVの人!?」と、わかってもらえるのではないだろうか。奇しくも、新海監督が原作版を発表した年齢と同じ34歳にして、本作を発表することとなった。

 本作を観始めて最初に感じたことは、「2次元が3次元になっている」ということだ。何を当たり前のことを、と思われるだろう。言い換えれば、「より血の通った人間になっている」ということだ。

 原作アニメにおける明里と会えなくなってからの貴樹は、常に心ここにあらずな諦念の中に生きていた。貴樹と会えなくなってからの明里は、貴樹の回想や空想の中に現れる、概念のような存在だった。どちらも、はっきりと地面を踏みしめていないかげろうのような雰囲気があった。平熱も、35度台前半ぐらいの低体温なイメージがあった。

 本作において3次元に肉付けされた貴樹と明里は、確実に地面を踏みしめていた。平熱も36度台の健康体に見える。松村北斗と高畑充希は、貴樹と明里にしっかりと命を吹き込んでくれた。

松村北斗演じる遠野貴樹

 まず本作は、松村北斗による遠野貴樹ありきの作品だ。『キリエのうた』(2023年)や『夜明けのすべて』(2024年)など、「重いなにかを背負い込んだ繊細な役」を演じている彼を、近年よく観る。彼が貴樹を演じるのは、とても自然な流れではある。

 ただ、アニメ版に比べて本作の貴樹により体温の高さを感じる点は、立ち止まってしまわず、前に進もうともがいているところだ。その歩みは、一日一歩ずつのゆっくりのんびりしたものかもしれないが。

 アニメ版の貴樹は、突然仕事を辞めたまま動き出さないし、傷つけて別れた恋人のフォローもしない。だが本作の彼は、新しい仕事も紹介してもらい、別れた恋人に対してもきちんとケジメをつける。仕事を紹介してくれた元・上司(岡部たかし)にもらったたこ焼きを、ひとり屋上で食べるシーンがある。たこ焼きを食べるという行為が、こんなに画になる俳優を初めて観た。ゆっくりと味わってたこ焼きを嚙み締める横顔には、止まっていた時間が動き出したような、小さな希望が感じられる。

 また本作の貴樹は、アニメ版の貴樹ならやらない、ある行動を起こす。ネタバレになるので多くは語れないが、本作で山崎まさよしの名曲「One more time, One more chance」が流れるのは、そのシーンにおいてだ。〈こんなとこに いるはずもないのに〉という、どうしても耳に残るこのフレーズの胸への突き刺さり方も、アニメ版と本作では大きく違う。アニメ版の刺さり方は、しばらく立ち上がれないほどのダメージを負う。〈こんなとこに い・る・は・ず・も・な・い・の・に〉と、一音ずつカット割りしながら、小刻みに心臓をえぐってくる。

 だが本作における〈こんなとこに いるはずもないのに〉は、貴樹を前に進ませるための、あえての愛の鞭に感じられる。だからこそ、新しい上司である吉岡秀隆に、「なんだかお顔が変わった気がします」と言わせたのだろう。事実、吹っ切れたいい顔をしていた。

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