『平場の月』『花束みたいな恋をした』『片思い世界』 土井裕泰が描く“距離を見つめる愛”

言葉にできない“距離”が映し出す、大人の愛のかたち

『平場の月』で土井監督が見つめているのは、恋の成就ではなく、関係を持続させることの難しさだ。愛は、燃え上がる瞬間よりも、その後の持続にこそ真実が宿る。青砥と須藤は、若き日のように感情を爆発させることもなく、ゆっくりと寄り添う時間を重ねていく。カメラはその姿を俯瞰せず、寄り添いもせず、わずかな距離を保ちながら2人を見守る。その中間距離こそ、土井裕泰が長年テレビドラマで磨いてきた「視聴者との距離感の演出」を映画に昇華させた証だ。
この映画の俳優たちは、感情を過剰に表現しない。井川遥はインタビューで「50代になると、抱えている問題が多く、若いころのように一直線には踏み込めない」(※)と語っているが、その踏み込めなさ、言葉にならない間こそが、土井演出の核心。カメラは、彼らの再会を劇的に切り取ることを拒む。ただ、同じ景色の中で再び呼吸を共有することの奇跡を見つめている。

やがて物語の終盤、夜空に浮かぶ月がふたりを照らす。その光は、若き恋人たちを包むロマンティックな輝きではない。むしろ、互いの孤独を照らし出す冷たい光でありながら、同時に赦しにも似た温度を帯びている。陰影を残したまま照らす光は、ふたりが背負う孤独の輪郭をも際立たせているかのよう。“平場”――それは、高低のない場所、つまり優劣も勝敗もない人生の水平線。青砥と須藤はその平場の上で、やっとかけがえのない関係を見つける。そこにあるのは、静かな達観と、それでも消えない微かな情熱だ。
印象的なのは、須藤が台所で洗い物をするシーン。水が跳ね、彼女がそれを拭う仕草は、涙を拭っているのかどうか判然としない。その演出は、感情を説明することを拒みながら、確かに悲しみの残像を刻む。井川遥自身も「感情を表に出さない中での表現が難しかった」と語っており、その抑制こそが表現しない演技に繋がるようだ。ここにあるのは、涙そのものではなく、涙のあとを撮る映像の詩学だ。
主題歌は、星野源の「いきどまり」。〈行き止まりのその先に まだ歩ける場所がある〉――その歌詞は、青砥と須藤の物語の余韻をまるで包み込むように響く。人生の途上でふと立ち止まった人々に、“それでも生きていく”という微かな希望を残すバラードだ。土井の映像と星野源の音楽は、どちらも感情を煽らないという一点で深く共鳴している。沈黙と音、距離と時間。そのすべてがいきどまりの先にある、もうひとつの光を示している。
『花束みたいな恋をした』の喧騒の先に、『片思い世界』の空白があり、その先に『平場の月』の静寂がある。彼のカメラは、愛の熱量を測ることをやめ、光と空気と時間の流れそのものを撮る段階へと至った。土井裕泰監督が描くのは、愛の熱ではなく、その残響なのだ
参照
※ https://www.youtube.com/watch?v=FakUtRUm_Po
■公開情報
『平場の月』
全国公開中
出演:堺雅人、井川遥、坂元愛登、一色香澄、中村ゆり、でんでん、安藤玉恵、椿鬼奴、栁俊太郎、倉悠貴、吉瀬美智子、宇野祥平、吉岡睦雄、黒田大輔、松岡依都美、前野朋哉、成田凌、塩見三省、大森南朋
原作:朝倉かすみ『平場の月』(光文社文庫)
監督:土井裕泰
脚本:向井康介
主題歌:星野源「いきどまり」(スピードスターレコーズ)
配給:東宝
製作:映画『平場の月』製作委員会
©2025映画「平場の月」製作委員会
公式サイト:https://hirabanotsuki.jp/
公式X(旧Twitter):@hirabanotsuki
公式Instagram:@hirabanotsuki






















