『ブレイキング・バッド』ヴィンス・ギリガンが本領発揮 『プルリブス』の革新性に迫る

『プルリブス』の革新性に迫る

 しかし、キャロルは納得がいかない。第2話では、同じ立場にある同化してない11人のなかから、英語を理解する5人との会談を企画し、この問題を共有して意見を交換しようとするのだった。面白いのは、そのなかにアメリカ人はおらず、全員が“非白人”であるということ。

 従来のアメリカの作品であれば、白人のキャストで占められるはずだが、英語話者が11人中6人となるのは多めだとはいえ、白人が地球人口のほんの一部であることを考えると、世界から特異体質を無作為に抽出するのであれば(何をもって白人とするのかの基準はさまざまだが)、白人がキャロル以外いないという結果は妥当だといえよう。これは、従来の白人中心だったアメリカのエンターテインメント業界の常識を逸脱し、アメリカ中心、白人中心の世界観を揺るがせる展開として、先進的な設定だといえよう。

 「われわれ」に同化しなかった人々のキャスティングは、非常に人種的な多様性に満ちていて興味深い。会社員を辞めてハリウッドで近年キャリアを積むアジア系俳優のシャロン・ジー。オランダ系モーリタニア人の俳優・コメディアンのサンバ・シュッテ。ペルーからの移民のアーティスト、ダリンカ・アロネス。スリランカ系オーストラリア人俳優のメニック・グーニラトネ。そして、おそらくはモンゴル人を演じているアマラア・サンジッド。

 なかでもサンバ・シュッテが演じるキャラクターが発する、「いまとなっては肌の色は意味がない」というセリフは、逆に、いかにこれまでの社会が偏った状態にあったのかを差し示している。とはいえ、彼はスーパーモデルのような容姿を持った「われわれ」の女性を集め、彼らが最大限に寛容なのをいいことに、ハーレムを形成している。それは不道徳であることに間違いないが、これまでの法律が無効化された社会状況において、それを“悪”として断罪できる者はいない。

 彼ほど状況を楽しんではいないものの、他の5人たちもまた、それなりに現在の社会状況に順応している。そしてキャロルもまた、「女海賊」に頼りたいという願望を抱いているように見える。しかし、キャロルだけは現状に猛烈に反発し、人類の復権を熱弁する。だが、その熱意が高じてそれぞれの個人としての弱さを糾弾し、人間性までをも否定しようとする彼女の意見は、共感や同意を得られず、そこでも孤立することになるのである。これは、ある意味で“アメリカ的個人主義”の理念、感覚が、こういった状況では必ずしも機能することがないという現実を映し出そうとするものだ。同時に本シリーズのアンチ・ハリウッド的姿勢を助長してもいる。

 さて、このような構図は、いったい現実の何を反映させているのか。表面だけ見れば、これは社会が分断した状況で、“正しさ”が暴走して一種のファシズム化が進行する展開を描いているように感じられる。“グローバリズム”が正しいとされ、“多様性の尊重”という単一の価値観が、個人の自由な考えや意志を“息苦しく”抑圧し、孤立させているかのように。

 とはいえ、実際にこういったことが起こっているかといえば、答えは否であろう。現実の社会では、グローバリズムや多様性尊重の理念に対し反発する“揺り戻し”が起き、むしろ排外的な人々が差別的な見方を正当化している状況にある。ドナルド・トランプ氏が再選したことが証明しているように、アメリカもまた反グローバリズムの方に針が振れ、決してその思想が孤立しているわけではない。ならば、本シリーズが表現するものは何なのか。

 ここで注目すべきは、キャロルが“作家”であるという部分なのではないか。有名クリエイターという、一般的に希少だと見られ、影響力のある存在である彼女は、必然的に社会的責任が重くなり、取り乱して極端な物言いをすることで、社会的に問題視されてしまう。それが感情的であるほど、旧態依然とした考えに基づく攻撃的なものであるほど、クリエイターとしての立場は危ういものになっていくのだ。それは、本シリーズで度々「われわれ」に衝撃を与えフリーズさせてしまうキャロルの失敗に重ねて見ることができる。

 例えば近年、イギリスの有名作家や、日本のアニメーターや声優などの発言が社会的に問題視されたような事例は、まさにこういった構図そのものだといえる。そういう人々にとってみれば、SNSで大勢が言っていることや、支持を受けている政治家の意見に同調しただけなのに、なぜここまで叩かれなければならないのかと思っているかもしれない。しかし思想が分断されているからこそ、それがたとえ素朴な感覚による発信であるにせよ、多様性を尊重する人々やさまざまなマイノリティ当事者の陣営に大きな衝撃を与えることは確かなのである。冷静に考えれば分かるが、思想的な揺り戻しが起こっていたとしても、パブリックな場で他者を不必要に攻撃するような極端な物言いが社会的に許されたわけではないのだ。

 そう考えれば、自分以外の者たちが同一の考えを持つことで“孤立感”をおぼえるというキャロルの状況は、知らず知らずのうちに社会が先進的に変容し、自身の素朴な意見が通用しないばかりか、それを力説したり攻撃的な物言いをすると多数に衝撃を与えるようになってしまった1人の人物の孤独な世界観を具現化しているように見えてくるのだ。

 それは必ずしも有名クリエイター特有の話に限らない。自分もいつか、「その考え、間違ってるよ」と指摘され、進歩的な人々に優しく諭される哀れな立場に立たされるのかもしれない……。そんな世界でもがく1人の人物のストーリーは必然的に、大勢の人々がどこかで感じている、アイデンティティを揺るがされる不安や恐怖を反映しているといえるのではないだろうか。

■配信情報
Apple TV『プルリブス』
Apple TVにて配信中
画像提供:Apple TV

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